「日本周辺、「波高し」という状況ですね」
「このまま行くと、尖閣は乗っ取られますよ」
「政府は厳重な抗議をしていると言っていますが……」
「馬耳東風でしょ。力と力の勝負になりつつあります」
「せめぎ合い、凌ぎ合いの根くらべですか?」
「そんな感じになってきましたね」
「素朴な疑問ですが、どうして映像を公開しないのですか?」
「日本維新の会の議員の中には、公開すべきという意見を言う人もいます。多分、官邸周辺で待ったをかけている人がいるのでしょう」
「何となく、誰だか想像がつきますね。ただ、そういった情報はすぐに向こうに伝わりますよね」
「そうですね、そうなると、まだ大丈夫だから行けということになります。日本は絶対に攻撃はしないと見透かされていますから、恐くも何ともないでしょうね」
「沖ノ鳥島周辺のEEZでも、勝手に海底調査をしていますよね」
「東シナ海のガス田開発も勝手にやられていますので、やりたい放題になっています」
「どうして、こんなことになったのですか?」
「一番の原因は、最初の頃の杜撰(ずさん)な外交が大きな原因を作ったと思っています。二階氏は「先人の努力」と言っていますが、共産主義者を相手に、油断し過ぎです。相手が平身低頭で来た時に言うべきことを言わないから、こうなってしまうのです」
「今は力関係が逆転してしまったので、もう何を言っても無理ということですね
「この世界は、力と力の真剣勝負であるという現実を、日本の国民の皆さんもよく見ておいて欲しいと思います」
「理想論だけを言う人がいますからね。ここからが本論です ↓」
尖閣諸島をめぐる動き(戦前)
1885(明治18)年 沖縄県が尖閣諸島の現地調査を行い、無人島であることを確認
1894(明治27)年 日清戦争 (→台湾を割譲)
1895(明治28)年 閣議決定により、尖閣諸島を沖縄県に編入
戦前においては、他国との領土問題が全くありませんでした。沖縄県に編入した翌年の1896年には、実業家の古賀辰四郎が尖閣諸島を政府から借り上げて、開拓を進めています。一時は200人以上が居住し、漁業、鰹節づくり、アホウドリの羽毛採取などを行っています。
1920 (大正9) 年には、尖閣諸島の魚釣島近くで遭難した中国の漁民を救助したので、中華民国政府から感謝状をもらっています。その中で、中国福建省の漁民が漂着した場所を「沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記しています。
「(表1)尖閣諸島をめぐる歴史」(藤野彰、曽根康雄『現代中国を知るための44章』明石書店.2016年) より転載
石油埋蔵のニュースを聞いて、領有権を主張し始める
中学の歴史の教科書(東京書籍)の記述を紹介します――「第二次世界大戦後の尖閣諸島は、サンフランシスコ平和条約で日本が領有権を放棄した台湾や澎湖(ほうこ)諸島には含まれず、沖縄の一部としてアメリカの統治下に置かれ、1972年の沖縄返還にともなって日本に復帰しました」
ただ、その3年前の1969年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、東シナ海に石油埋蔵の可能性ありという報告書を出します。これを機に内外の注目が集まるようになります。ただ、その時点ではアメリカの統治下にあったので、沈黙を守っていたものの、日本に施政権が返還された途端に、中国と台湾が急に領有権を主張し始めます。
1972年に北京で日本と中国との間で日中国交正常化交渉が、田中角栄首相と周恩来首相との間で行われています。その際に、尖閣諸島についての話題を田中首相が周首相に振ると、「今これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と応じたといいます。
しかし、この主張もおかしいと思います。石油が出るとか出ないとかは、領土問題とは関係がないはずです。石油が出ないときはĄ国のものだが、出始めた瞬間にB国に権利が発生するという論理です。屁理屈を言われて、芽のうちに摘んでおけば良かったのに、そのまま曖昧にしてしまったことが、現在にまで尾を引いています。
中国がそこで意見を止めたのは、尖閣にこだわって、肝心の国交正常化が果たせないとなると大変なことになるので、そちらを最優先したということだったのでしょう。
日中平和友好条約から尖閣諸島国有化まで
1972年2月、アメリカのニクソン大統領が電撃的に中国を訪問し、米中関係改善に動き出します。それを見て田中角栄氏が中国に飛び、共同声明を発表します(日中国交正常化)。
1978年 日中平和友好条約の締結
その年の10月に鄧小平が来日しています。その際に、尖閣問題について、「次の世代が我々よりも賢く、お互いが受け入れられる方法を必ず見つけられるはず」と、棚上げ発言を行います。言い方は穏やかですが、内容的にはあり得ない不当な発言です。こういう発言を聞き流しているので、中国から痛打を喰らうことになるのです。
1992年に、中国が「領海および接続水域法」を制定し、尖閣諸島を中国領土と明記してしまいます。国交正常化交渉の時は、日本が優位にあったのです。その時に、尖閣の問題を詰めていなかったため、こういった事態が起きているのです。
現在、尖閣諸島の接続水域に中国公船が常駐しているような状況で、最近はこの近辺で漁をするなと言い始めています。
2005年 日本が魚釣島の灯台を国有化
2012年 日本が魚釣島など3島を国有化
2014年 日本が尖閣諸島を含む国境の離島158の島の名称を定める
(藤野彰、曽根康雄 前掲書 参照)
中国共産党は、尖閣周辺の実効支配を既成事実としたいために、海警局の巡視船がほぼ常駐に近い状態になっています。尖閣は、台湾と沖縄をにらんで、地政学的には重要地点です。簡単に引き下がることはないでしょう。
こういったある意味、非常事態の時は、与野党一緒になって、中国に対して圧力をかけることを考えて欲しいし、行って欲しいと思います。たとえば、日中平和友好条約の破棄に向けての議論をする、日本国憲法の改正に向けて準備をする、実際にそうするかは別にして、そのような一つひとつの行動の積み重ねが相手にプレッシャーをかけることになりますし、大事なのです。
政党の合流話をしている場合ではないと思います。
読んでいただいて、ありがとうございました。
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