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尖閣、武装艦船登場――中国今年初の領海侵犯 / 牡丹社事件から台湾出兵へ ―― 戦前の気迫外交

女性

「尖閣海域で2月6日、中国海警局の船2隻が領海侵犯したようです」

「今年は、昨年以上に現場は緊迫感に包まれるのではないかと思います」

女性

「確か、中国は法律を作ったのですよね」

「中国の海上警備を担う海警局に、武器使用や外国船の強制検査権限などを認めた「海警法」を2月1日からスタートさせています」

女性

「素朴な疑問なんですが、相手国の領海内における武器使用を、勝手に定められるものなんですか?」

「そんなことはできる訳がないというのが国際法の常識です。ただ、最近になって彼らは尖閣は中国の固有の領土と言い始めていますので、それを前提にした武器使用を考えていると思います」

女性

「一番心配なのは、普通に操業している漁船に対しての武器使用ですけど……」

「彼らの定めた「海警法」によると、攻撃できることになります」

女性

「ただ、何の根拠もなく勝手に国境線を変えて、その上でそちらが領海に入っているということで攻撃をするということですよね」

「さすがに、無防備の民間人に対してはしないと思いますが、尖閣に対するあからさまな領有権の主張を前にして、玉城知事や沖縄タイムズの言い方のニュアンスも変わってきています」

女性

「玉城知事はどちらかというと、中国に対して好意的な方という印象をもっています」

「そうですね、尖閣の領海は当然と考えるけれど、『中国公船が周辺海域をパトロールしていることもあるので、故意に刺激するようなことは控えなければならない』との発言を昨年6月頃に行っています。しかしそれは、誤解を与えたということで撤回をしていますし、この間の中国の在り方に対して明確に抗議の意志を表明しています」

女性

「ここからが本論です ↓」


 「海警法」を制定し、勝手に中国の「管轄地域」を定める

地元の『八重山日報』「尖閣 自由対独裁の戦場だ」という社説(2021.1.31日付)の中で、「民主主義国家日本の領土である尖閣諸島が独裁国家中国に奪いとられるようなことがあれば、それは21世紀における自由や民主主義の敗北を象徴する出来事になる。今や尖閣は、自由と独裁の戦場と言っていい」と述べています。

経済的にも、軍事的にも力が強い国が、勝手な理屈を並べて相手国の領海・領土を侵犯し、それをかすめ取っていく。そんなことは許されるはずがありませんが、それを行うのが独裁国家の怖いところです。

 根拠は「海警法」ですが、この法律を支えている「主張」は何かと言うと、「管轄海域」という勝手な概念を持ち出して、その区域内については主権の主張と武器使用を認めるとしたのが今回の中身です。日本のマスコミは、尖閣についてしか報道していないようですが、南シナ海の大部分も「管轄海域」に含めてしまっています

 国連海洋法条約は、領海、排他的経済水域、接続水域、公海という海域を定めた上で、沿岸国の権益について定めています。そのルールとは関係のない概念をつくって、それを周辺国に押し付けようとしています。

そして実は、これが最初の第一弾であって、今後もさらに関連法が繰り出される可能性があるということです終わりではなく、始まりの一歩に過ぎないということです。ということは、ここで抗議もしくは何らかの行動をしなければ、承認されたと思い込むだけです国会決議をあげて全体的な意思表明をする、政府の腰が重いと判断したならば、政党独自で外交団を派遣するなど、気骨のあるところを見せて欲しいと思います。

アメリカのバイデン大統領は明確に「チャイナ」との対決姿勢を明確にしました。日本の政権の中枢に媚中派がいて、中国に対する姿勢が甘いのですが、尖閣を守るつもりであればアメリカと行動をともにするしかないと思います。

(「東京新聞」)

 「牡丹社事件」(宮古島島民遭難事件)が外交問題、さらには領土問題に発展


『尖閣諸島10の物語』(宝島社、2013)の中で、牡丹(ぼたん)社事件が紹介されています。この事件は今から150年前の1871(明治4)年、宮古島の住民69名が乗っていた船が遭難して台湾に流れ着き、そこで現地の人の手により遭難したうちの54名が殺されたという事件です。

現地の台湾人の中には、彼らに手を差し伸べる者もいて、12名が何とか無事に保護され、翌1872年に中国の福建省に移送されました。そこで半年余りを過ごしたのち、那覇の港に戻ることが出来たという事件です。

ただ、この問題が琉球 (沖縄)の帰属をめぐる問題に発展することになります。

 <それぞれの立場>

薩摩藩 → 台湾を征伐すべきという意見が出る

琉球 → 薩摩に抑圧されていた。心情的には清(中国)に親しみをもっていた

日本 → 今回の事件を奇禍として、琉球は日本であることを清に認めさせるべき

  → 琉球は清の属国なので、今回の事件は日本に関係のないこと

日本は副島種臣を全権大使として清に派遣します。台湾の統治については、清は「化外の民」と呼び、手を焼いていたのです。そういうこともあり、日本の台湾への軍隊派遣を黙認することになります。これが、台湾出兵の裏事情です

この後、日本は大久保利通を清に派遣し、領土問題をはっきりさせ、互換条約の締結までこぎつけま

<主な内容>

・琉球→日本領  ・台湾→清国領

  • 清は遺族に賠償金を払うこととし、台湾の原住民を統治し、遭難民に危害を加えない
  • 日本軍は1874年までに撤退する

遭難事件に端を発し、領土問題にまで発展したのですが、当時の先人たちは領土問題をきちんと処理していたことが分かります。日中平和友好条約を結ぶ際に、尖閣の帰属のことは今後の話し合いということで、日本はあいまいにしてしまったのです。

当時の力関係からすれば、押し切ることもできたのですが、パンダをもらって有頂天になって肝心のことを詰めずに条約を結んだツケが今起きているのです。こういった戦後の「あいまい」外交、「腰砕け」外交が、いかに国益を損なうかということです。

また、副島にしても大久保にしても死を覚悟して乗り込んでいます。多分、そういった気迫に圧倒されたフシがあります。北朝鮮に中学の女子学生が拉致されたことが分かっているのに、自分の力で誰も救おうとしない。「腰砕け」外交をしているので、中国に舐められるのです。

 牡丹社事件のその後

ところで、牡丹社というのは、当時台湾でそのように名乗っていた者たちが主に引き起こした事件だったからです。その牡丹社事件については後日談があります2005年に遭難民をかばい、祖国へ帰還させてくれた台湾関係者の子孫16名が沖縄入りして、犠牲者の子孫たちと歴史的な対面をしたそうです。那覇の護国寺に行き、犠牲者の冥福を祈り、そこで130年ぶりの和解が行われたとのことです。日台の絆は、こんなところにもあるのです。

                                   (参考: 山本皓一『尖閣諸島10の物語』宝島社、2013年)

(『琉球新報』)

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