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渋沢栄一の『徳育と実業 錬金に流されず』を読む / 江戸、明治、大正、昭和、私心なきその生涯

 

「今日は、渋沢栄一を取り上げたいと思っています」

女性

「前に、このブログで紹介しましたよね」

「彼の代表著作の『論語と算盤』の中身を紹介しながら、彼の考え方がSDGsに繋がっているということを書いたと思います。今日は『徳育と実業』という本を紹介したいと思います」


女性

「来年度の大河ドラマは渋沢栄一で決まりですし、2024年度から発行される新紙幣の1万円札の肖像は渋沢栄一です。彼の生き様の中から、学ぶべきところは学びたいと思っています」

「改めて彼を紹介すると、1840年の生まれです。江戸、明治、大正、昭和の激動の時代を生き、なおかつ士農工商の身分を全部経験した人なのです」

女性

「『日本の資本主義の父』というのが彼につけられたキャッチフレーズなので、スマートな実業家というイメージだったのですが、ちょっと認識不足でした」

「彼は埼玉県深谷の出身です。家は農家ですが、藍玉(あいだま)をつくって、それを販売するようなことをしていたそうです」

女性

「当時は学校がなかったと思いますが、論語だとかどうやって学んだのですか?」

「農家だったのですが、藍玉のお陰で比較的裕福だったようです。そして、お父さんは四書五経を勉強していたそうですが、彼に論語など中国古典を教えたのは尾高藍香(らんこう)です。5歳から約10年間彼に教えを受けて、小さい頃から論語に親しんでいたようです」

女性

「その尾高藍香(らんこう)という人は、どういう方なのですか?」

「渋沢栄一のお父さんと、尾高藍香のお母さんが姉弟(きょうだい)なので、従妹関係になります」

女性

「家庭環境も良かったのですね。」

「尾高藍香は、富岡製糸場の初代の今で言う工場長を務めます。教養あり、経営の才覚ありという彼の影響を受けたことは確かでしょう」

女性

「その辺りも含めて、幼少期の渋沢栄一の様子が大河ドラマで映し出されますよね」

「そうですね。どのように彼の生涯を捉えるか楽しみですね」

女性

「ここからが本論です ↓」




 日本の国の発展のために事業を次々と起こす

渋沢栄一は、日本が後進国から先進国へ飛躍をし、軍国主義が台頭する頃に亡くなっています。幕末に尊王攘夷運動が起こり、彼はその運動に加わり、高崎城の乗っ取りを図ろうとします。ところが、その3年後の27歳の時にはパリ万博使節団に幕臣として徳川昭武(あきたけ)に付き従い、フランスに行っています。表面的には、変わり身の早い人物と捉えられるかもしれませんが、彼の価値観の基軸には常に国家、言葉を変えると公益というものがあったのです。つまり、自分の主義主張ありきではなく、国の行く末を考えた時、自分がどこのポジションにいることが良いのかを考えた方です

彼が設立に関わった会社は、王子製紙、東京電力、東京ガス、サッポロビール、JRなど(いずれも現在の会社名)約480社に及びます。そして彼の著書が『論語と算盤(そろばん)』なので、さぞかし大金持ちになったのだろうと思われるかもしれませんが、それは誤解です。彼は自分の資産形成のために会社を興したのではないと常々言っています

私は人が世の中を生きるにあたって大資産は不要だと決めている。もっとも社会に大資産がなければできない仕事が多いが、それは必ずしも一個人に大資産がなければならないということではない。自分には大資産がなくとも、相応の知恵と愉快な働きができるだけの資産があれば、それを武器として他人の財産を運用し、これによって国家社会の利益となる仕事がいくらでもある」(渋沢栄一『徳育と実業』国書刊行会.2010年/56ページ)。

 三菱財閥創始者・岩崎弥太郎との「屋形船会合事件」(1878年)というのがあります。岩崎は2人で組んで大儲けしようと誘います。そのために独占事業をしようと言います。それに対して、渋沢は真っ向から反対します。多くの事業をおこして、利益を多くの人に分配し、国全体が豊かになって欲しかったのです。2人の意見は対立して、ヒートアップします。そして、岩崎は馴染みの芸者と一緒にその場から姿を消してしまいます。

 

 商業立国を目指す

士農工商の封建時代が終わって、明治の時代になったにも関わらず、商人の地位は相変わらず低いままでした

このままでは商業が発達して、国家が富むことはできないと判断した彼は、「実業家の品格を高め、知識を蓄積し、力を大きくしなければ国家を豊かに強くすることはできない」(渋沢栄一 前掲書.69ページ)と判断し、実業界の開拓を自分の天命と考えて、大蔵省を辞めて第一銀行に入ります

それから約40年間、「銀行業者であったが、あらゆる方面に世話を焼き、製紙業、保険業、鉄道業、海運業、あるいは紡績業に織物業に、あるいは煉瓦(れんが)製造、瓦斯(ガス)製造というように、その会社の設立や経営を助け、またある部分は自分も役職を担ってきた」(渋沢栄一 前掲書.70ページ)のです。

 

 

 「武士道は日本民族の精華」

武士道は日本民族の精華である、と言っています。精華とは、優れて華やかという意味です。その武士道とは何かと問われれば、他人に対する態度やあり方です。不善、不義、背徳、非道を避けて、正義と仁義に徹する心構えで生きることです。

その生き方を実業家や商工業者に求めたのです。一時の利益に目がくらんで約束を守らなかったりということが、もしあったならば我が国の商工業にとって大きな損失だと言っています。

商業であろうと、工業であろうと、どのような産業であろうと、武士道を中心に据えて行動すれば、日本も世界の列強と肩を並べて競争できるようになるだろうと言っています。武士道と実業道は一致するとしています。

 

 「愛国心を持つことは国民の自然なあり方である」

武士道と愛国心は必然的に繋がることになります社会の一員、国家の一員といった意識を自覚的にもつようになれば、国のことを考える心境になっていきます。ただ、それは人間の自然な心情だとします。

自分という人間が生まれ、現在ここにこうして生きているということは、親や家族、そして国家社会によって守られてきたということ。つまり、人間の場合は、他の動物と違って生まれてそのままにしておくと死んでしまいます。そして、どんな人間でも肉体的に衰えるもの。そうなれば、周りや国家社会の世話や助けを受けることもあります。要するに、この世は持ちつ持たれつの社会なのです

そういう基本的なことが分かっていれば、一人ひとりが国に対して権利義務をもちます。「この権利と義務は誰が与えて命令するわけでもないが、その国民は自然に国家のことを思うもので」、それを愛国心だと言っています。そして、「国民の中でこの心が強いか弱いか、厚いか薄いかの違いによって、その国が強いか弱いか、貧しいか富んでいるかの違いもおのずと生じるものであると言えるだろう」(渋沢栄一 前掲書.176ページ)と言っています。

21世紀の令和の時代となり、激動の時代ということが実感できるようになってきました。日本周辺も「波高し」の状況です。こういう時こそ、先人の生き様や言葉が生きていく上での指針となります。

本来ならば、小学校あるいは中学校の道徳教科書の中に掲載すべき人物だと思います。関係者の努力に期待したいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

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