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児童虐待が止まらない / 『菊と刀』に書かれてある、かつての時代の子育てを取り戻せ

女性

「悲惨な事件が起きましたね。女の赤ちゃんが父親に殺されてしまいました」

「せっかくこの世に生を受けたのに、わずか1か月で父親に殺されるなんて、可哀そうすぎますね。原因は何ですか?」

女性

「泣き声でストレスがたまったので、やってしまった、と言っています」

「子供は泣くのが商売と思え、とか言って、アドバイスをする人がいなかったのでしょうかね」

女性

「というか、産後1か月なので床上げをしたか、していないかという時期ですが、どうも自分たちで頑張ろうとしていたみたいですね」

「「トコアゲ」というのは、何でしたっけ?」

女性

「産後ママの体が回復するために必要な期間は一般的に6~8週間かかるといわれ、この期間を「産褥(さんじょく)期」と呼びます。出産後の体の回復には時間がかかるので、なるべく体を休ませることが大切なのです」

「思い出しました。ウチの女房は実家に帰っていました」

女性

「そういうふうに家族がサポートしてくれると良いのですが、この方たちはそのように頼れる家族がいなかったのでしょうね」

「お父さんの年齢は若いのですか?」

女性

「新聞報道によると、28歳の会社員ですね。分別がなければいけない年齢だと思います」

「ただ、精神論や協力体制云々で終わってしまうのではなく、増えている子供虐待をどうすれば無くすことができるかを考える必要があります」

女性

「科学的に考えることが大事ということですね」

「まあ、そういうことですが、細かいデータが足りません」

女性

「どのようなデータが必要ですか?」

「教育は個別具体的なものなので、例えば、児童虐待を全国統計、地方統計まで取っていて、どこの県や市が多いかまで分かりますが、さらに学区ごとの細かいデータ、市町村合併をしたところや、学校統廃合をした地域のデータも必要です」

女性

「市町村合併や学校統廃合が、子供虐待と関係があるのですか?」

「データを取る意図は、市町村合併や学校統廃合による地域崩壊が何らかの影響を与えているのではないかと思うからです」

女性

「ここからが本論です ↓」




 ルース・ベネディクトの『菊と刀』の中に古き良き時代の日本が

ルース・ベネディクト(1887-1948)という女性が書いた『菊と刀』という名著があります。その中に、「子供は学ぶ」という章があり、それを読むと、戦前から戦後にかけての日本の子育てについて、その態様がよく分かります。ただ、その中身は彼女がアメリカの戦時情報局による日本研究からもたらされたデータに基づいて書いたのであって、直接日本に来て取材した情報に基づいたものではないのです。

この本の帯の推薦文の中に、川島武宜氏が「私はすべての日本人が本書を読むことを希望する」と書いています。2つの意義があると思います。1つは、アメリカという国は、「敵国日本」のデータをいかに多く集めていたのかということがよく分かります。日本人はともすると、データを集めずに感覚で物事を判断するところが多分にあります。「悪い癖」だと思っています。例えば、せっかくですので、今話題になっている日本学術会議のことで言いますと、学問の自由とか首相の任命権といったことを野党は問題視していますが、そこだけが問題ではないのです。それと合わせて現状把握をデータに基づいて行う必要があります。

主権者国民の関心は10億円にあるのではないでしょうか。10億円を構成員の数の210人で割ると約500万円です。学術会議メンバーは特別職公務員として、手当の他に年金も支払われます。それだけの働きをしているかを検証する必要があります。学術会議は科学技術の振興や発達に関する勧告を政府に行うのが「仕事」ですが、2007年以来答申は出されていません学術会議法の前文を読むと、サイエンス・テクノロジーの科学者の会議だったはずなのに、どうして人文系の学者が入るようになったのか。その経緯を調べる必要がありますし、なぜ彼らが必要と判断されたのかも検証する必要があります。ちなみに、今回任命されなかった人たちは全員人文系の学者です。科学者の「国会」と言いながら、ノーベル賞をとった方でも選ばれていない人もいます。70歳定年制をとっているからだと思われますが、ノーベル賞受賞者を特別顧問として入れるといったことを考えないのか。組織推薦ではなく、実際には個人推薦になっているという話もあります。それも含めて、人選は一体どうなっているのか等。勧告をせず、政治的声明を出すような組織になってしまったので、「解散したらどうか」という意見も出ています。確かに、民間の組織にすれば、経費もかかりませんし、学問の自由の侵害といった問題もなくなります。運営費の10億円を科研費ということで、全国の科学技術の研究者たちに使ってもらうようにすれば良いと思います。

話が横道にそれてしまいましたが、アメリカのデータ重視による科学的態度を改めて見習う必要があると思っています。

2つ目は、彼女の書を読むことによって、「客観的な日本の姿」が分かります。外から日本を眺めると、このように見えるというのが分かりますし、良い点、悪い点も分かります。外国の方の日本人論は、そういう点で大変貴重なのです。そして、本の随所に女性ならではの細かな感性も感じられます。


 ルースの「子供は学ぶ (第12章)」を読む

この章は「日本の幼児は、思慮に富む西欧人がおそらく想像すると思われる仕方とは、異なった仕方で育てられる」(ルース・ベネディクト『菊と刀』講談社学術文庫.2005年/309ページ)との書き出しで始まり、読んでいくと「赤ん坊と老人とに最大の自由と我儘(わがまま)とが許されている」(同 310ページ)とあります。

その章で書かれていることをまとめると、アメリカでは幼児期から厳しい躾をするが、日本では「幼年期と老年期とは自由な領域である」(同 311ページ)としています。そして、「子供に対して真に寛容な国民は、子供をほしがる傾向が強い」(同 311ページ)と書かれていますが、現在とは違う状況が書かれています。

そして、ふと思ったのは、子供に対する非寛容な広がりが、少子化の一つの原因となっているのではないかということです。冒頭で取り上げた事件は、現代の虐待事件を象徴するような事件です。つまり、子供に全く落ち度がないのに、暴力を振るう、傷つける、殺してしまうというものです。

 

 「おんぶ」は日本的な子育て方法

 『菊と刀』を読むと、「おんぶ」というのが日本的な子育て方法であり、そのように育てられることのメリットについて書かれています。

昔ながらの「おんぶ」について、こう書かれています――「1カ月を過ぎると、嬰児は母親の背中におんぶされる。二重にした帯で、子供の腋(わき)の下とお尻の所を支え、帯を母親の肩にかけて前に廻し、腰の前の所で結ぶ。寒い日には、……「ねんねこ」を着る。その家庭の年上の子供が、男の子も女の子も赤ん坊をおんぶすることもあるが、彼らは遊ぶ時にも赤ん坊をおんぶしたままで、ベースに向かって駆け出したり、石蹴りをすることさえある」

これを読んでいて、自分の子供の頃の遊び風景を思い出してしまいました。原っぱに行くと、必ず誰かがいて、何して遊ぼうかという話になり、その集団の中には幼い弟や妹をおんぶしたまま遊んでいた子供が時々いました。

そのようなおんぶは、だっこやショールで肩にかけて持ち運んだり、袋に入れて持ち運ぶよりも優れていると言います。そして、日本の嬰児はおんぶをされながら、「人中で暮らすので、じきに利口そうな、興味ありげな顔つきになる」とのこと。最近の子供たちの顔つきが、利口そうではないのは、もしかしたら、集団から切り離され、親も余りおんぶをしなくなったからなのかもしれません。

 

 子供の虐待がなぜ増えるのか

平成2年度が1,101件、平成29年度が133,778件です。右肩上がりで増えています。異常事態です。なぜなのか、ということです。この世の中は因果関係で結ばれていますので、必ず原因となる事柄があるはずです。それを探り、場合によっては立法的な措置をとった方が良いこともあるでしょう。「虐待防止法」を制定しましたが、歯止めになっていませんなぜ、歯止めになっていないかを議論する必要があります。自分たちの作った法律が有効に作用していないのです。学術会議の任命問題より、児童虐待の原因、無くすためにどうするか、そんなことを国会で議論して欲しいと思っています。

児童虐待の増加の原因を私なりに分析すると、その第一は、地方の衰退に伴う地域の教育力の弱体化があります。第二は、核家族化の進行による、家庭の教育力の弱体化があります。第三は、学校の教育力の弱体化です

ハレンチ教員が大量に出ているので、公教育に対する信頼もぐらつき始めています。本来は、学校教育の中で「総合」や「道徳」の中で、自分の生き方、国の在り方と並行して、子育て学を教えるべきだと思います。その視点がありません。それについては、明日のブログで書きたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

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