ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

どん底からスタートした「シンガポール」は今やアジア有数の近代国家 ―― 「哲学」がある国家は発展する / 人材育成を国の中心事業とした

「シンガポールという国を知っていますか? 東京の23区くらいしかない小さな国です」

女性

「名前は、よく知っています。確か、東南アジアにありますよね」

「マレーシア連邦から追い出されたので、止む無く1965年に独立したという国です」

女性

「普通は「独立おめでとう」ですが、シンガポールの場合は違ったのですね」

「指導者のリー・クアンユーは記者会見で涙を流し、「独立させられた」と語っています。彼の本心は、マレーシア連邦の一員として発展したかったのです」

女性

「どうして追い出されてしまったのですか?」

「対立の根源は「民族政策」と「経済政策」です。マレーシアはマレー人優位を掲げ、農業中心政策ですが、シンガポールは多民族平等を掲げ、工業化・貿易・金融を進めたいという方針でした」

女性

「完全に対立していますね」

「さらに、シンガポールのPAPという政党が、マレーシア全体の選挙に候補者を立てたことで、中央政府の最大政党(UMNO)と全面対立します」

女性

「地方政党が全国政党に対抗した訳ですね」

「本国の方から見れば、シンガポールが乗っ取りを計画しているように見えたのでしょうね。そして、極めつけは1964年にマレー人と華人との間で暴動が起きます。そして翌年、マレーシア首相トゥンク・アブドゥル・ラーマンは「シンガポールを連邦から分離する」と議会に提案し、それが可決されてしまいます」

女性

「突然の切り離しだった訳ですね。ショックだったでしょうね。ここからが本論です  ↓ 表紙写真は「日本旅行」提供です」

 どん底からのスタート

2人の会話にあるように、もともとは一都市だったのですが、マレーシアから追い出されるかたちでシンガポール共和国として1965年に独立をします。当時の人口は約200万人ですが、現在の人口は約600万人です。先進国の多くが少子高齢化、人口減で苦しんでいますが、人口は増え続けていますし、経済発展を続け、アジア有数の近代国家と言われるまでに成長しました2024年のGDPは世界28位となり、マレーシアが37位ですので、かつての本国よりも経済規模が大きくなっています。しかも一人当たりのGDPは世界5位です (ちなみに日本は38位です) 。

シンガポールが独立した当時、多くの問題を抱えていました。シンガポールは砂と湿地の島で、天然資源ゼロ、産業基盤なし。水・食料・エネルギーを自力調達できない。周辺国は敵対的。人口の75%が華人で民族対立の火種あり。面積は東京23区程度。若者の失業率は高く、街にはスラムが広がっていた。外務省、外交官、中央銀行、軍隊すべてなしという悲惨な状況でした。つまり、資源ゼロの都市国家として放り出されたため、国家として生き残ることはできない、と当時の識者の多くは考えていました。常識的には、そう考えるだろうと思います。

そのため、リー・クアンユーは涙を流しながら「独立宣言」を読み上げたのです。「我々は日本軍占領期以上の危機に直面した」と述懐しています。そのような絶望的な状況から、どういう考え方をして、今の先進的な都市国家としての地位を築いたのかということです。日本が学ぶべきことが、そこに多くあると思います。

(「テンミニッツ・アカデミー」)

 シンガポールの発展の礎を築いたリー・クアンユー

今のシンガポールの発展の礎を築いたのがリー・クアンユー (1923~2015)です初代首相であり、建国の父と言われています。彼が生まれた時のシンガポールはイギリスの統治下、つまり植民地でした。法律・行政・経済のすべてが英国人に握られ、現地住民には政治に参加する権利はなく、教育も不十分でした。しかも、自民族の将来を自分で決められない社会だったのです。

1942年、日本軍がシンガポールを占領しました。 “アジア最強”といわれたイギリス軍が数日で敗北しました。リーはこれを生涯忘れないと心に誓います。「大国でも無能なら崩壊する」「国家の運命は人材の質で決まる」「政府が無能なら国民は悲惨な目に遭う」。そして後に、こう語っています――「私は無能な政府がもたらす地獄を見た。だから絶対に無能な国家をつくるわけにはいかなかった」

戦後となり、リー氏は英国に留学し、ケンブリッジ大学で法律を学びます。そこで体験したのが、イギリス行政官の高度な知性・倫理性・議会制度の重視でした。そして、①行政官は国家の参謀である。②教育が国家を作る。③人材が制度を動かす、という“国家運営の原理”を吸収します。そのような学びが祖国再建に力を発揮することになります。リーは、国を強くするためには、優秀な人材をつくることだと考え、「人材国家戦略」を打ち出します。

(「るるぶ+」)

 「教師の質は国家の未来そのものである」(リー・クアンユー)

国家の最大の資源は人材であり、人材の源泉である教師こそ最重要職という位置付けです。そのため、教員養成のための機関(National Institute of Education/「国家教員学院」)は国の直轄による運営が行われています。教育学部ではなく、「教員養成のためだけの大学」です。日本の場合は、希望者が応募するかたちを取りますが、シンガポールの場合は国が教員の候補者を選抜して入学をさせるというものです

その候補者の選抜にあたって教育省が全面的に関与します。選抜基準は、高校の成績、人格・価値観、コミュニケーション力、学校活動でのリーダーシップ、推薦・面接です。それらを総合的に判断して選抜します。「教育は国家の最重要課題だから、国家が教師を選抜する」という考え方です。選抜された学生は、入学段階で公務員として扱われ、給与(奨学金)が支払われます

リー・クアンユーは次のように考えました――「国家が持続的に生き延びるには、優秀な教師が優秀な子どもを育て、優秀な官僚が国家を動かさねばならない。」日本の場合は、学部の単位にプラスして教職課程の単位を取れば教員免許が取得でき、あとはペーパー試験に合格すれば教員として仕事が出来ます。非常に安易な考え方がそこにはあります。だから、変な犯罪をするような人間でも、教員として働けるのです。

リー・クアンユーは単に建国の父ではなく、人材国家シンガポール”というOSを設計した最高の制度思想家と言えます。そしてその思想は、シンガポールの官僚・教師・政治家の行動様式の中に深く根づき、国家の発展を支えています。シンガポールのGDPは約88兆円です。千葉県と同じくらいの人口の国です。千葉県の年間予算は約2兆円です。地方分権を導入して、千葉県が「本気」を出せば、かなりの伸びしろがあるということがこれだけでも分かります。

シンガポールの経済力の源泉である人材育成について、次回のブログで紹介したいと思っています。

(「日本経済新聞」)

読んでいただきありがとうございました。

よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

最新情報をチェックしよう!