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大局観のない場当たり的な戦後の外交 / 負のスパイラル外交を一度断ち切る必要性あり

女性

「慰安婦像、徴用工像、そしてついに土下座像が出ましたが、韓国は、こんなことを戦後ずっと行っているのですか?」

「いえいえ、そうではありません。失礼ですが、西暦何年生まれですか?」

女性

「えっ、年がバレてしまうじゃあないですか。私は昭和の終わり頃です。1983年ですね」

「ちょうど、あなたが生まれた頃あたりから教科書問題、慰安婦問題、そして最近になって徴用工の問題が起きています。ちなみに、従軍慰安婦が韓国の教科書に登場するのは、1997年です」

女性

「その前はなかったのですね」

「その前は、日韓基本条約の締結をめぐって両国がその認識の違いをどうやって埋め合わせるかということで大変だったと思います」

女性

「その条約はいつ結ばれたのですか?」

「1965年ですね」

女性

「ということは、終戦から20年ですね。どうして、そんなに掛かったのですか?」

「いろいろな要因が絡み合っているのですが、一つは1950年の朝鮮戦争、もう一つは
その戦争で分断国家が成立します。そういった事情もあったのです」

女性

「それにしても長いですね。何で揉めたのですか?」

「大きな論点で言うと、1910年の朝鮮併合以降の歴史をどう評価するか、そこには建国をいつとして考えるかということが絡んでいたのです」

女性

「朝鮮併合については、何となく分かる気がするのですが、建国云々というのが、よく分からないです。だって、韓国は戦後建国された国でしょ」

「北朝鮮と同じく、戦後の1948年を建国という考え方もあるのですが、主流派は1919年に上海で設立した大韓民国臨時政府を建国と考えます」

女性

「そうなると、敗戦の捉え方が違ってきますよね」

「おっしゃる通りです。1948年説であれば、朝鮮半島は日本なので敗戦は悲しむべきことですが、1919年説になると、解放されるきっかけとなった敗戦は喜ぶべきことになります」

女性

「今の韓国政府は、1919年説をとっているので、さかんに戦時中のことを言っているのですね。ここからが本論です ↓」

 無理が通れば、道理が引っ込む

 1919年説というのは、殆ど屁理屈のようなものですが、結局これが韓国の中では正史として扱われていきます。韓国の国定教科書を紹介します。ちなみに、韓国の教科書は国定教科書です。しかも、1冊しかありません

「われわれが光復を迎えることができたのは、連合軍の勝利がもたらしてくれた結果でもあるが、この間、わが民族が日帝に抵抗してねばり強く展開してきた独立運動の結実であるということができる」(『中学国史・下』)

「わが民族の光復は米国、英国、中国、ソ連など連合軍が勝利した結果でもあるが、わが民族が国内外でたゆみなく展開してきた独立闘争の結実であった。8.15光復はすべての民族が日帝の支配に対抗して闘争してきた結実であったため、多くの人びとの犠牲と献身は民族運動史の偉大な業績として残ることになった」(『高校国史・下』)

この教科書で韓国国民は教育されていることを、日本人は頭の片隅に置いておく必要があるのです。

 

 玉虫色の決着と資金提供、日本組み易しの情報が流れる

1965年に日韓基本条約が結ばれ、これによって日本と韓国の国交が正式に結ばれることになりますが、これを締結するにあたって、日本側の議論の進め方や決着のつけ方に問題があったのです。結局、韓国側の意見を飲むかたちで決めたことが、その後の日韓関係に歪みをもたらすことになります。

日韓基本条約(1965年)締結の内容が、戦前の日本の統治をどう評価するかという判断材料になるというのに、当条約と付随協約により、日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、当時の韓国の国家予算の2年分以上の資金を提供することを約束してしまったのです

その瞬間に、1910年の朝鮮併合が不当なものであったと認めてしまうことになります。それと同時に、1919年に創設されたという全く実体のない臨時の亡命政府を認めてしまうことになります。どうして、そういうことが分からなかったのでしょうか。

韓国側は1910年の朝鮮併合条約は日本が力を背景に、韓国の主権を踏みにじったもので不当、不法な条約という立場を譲らず、日本側の合法という立場と大きく隔たりがあったのです。

そして、結局、「玉虫色」の決着をはかります。「千九百十年八月ニ十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」(日韓基本条約2条)と書かれることになります。合法とも不法とも判断はしない。あくまでも、両者の間で無効が確認されたという決着の仕方です。

しかし、この内容は明治の人たちの思いを踏みにじるものでした。当時の統監は寺内正穀ですが、墓場の陰で泣いていることでしょう。


(寺内正穀)

併合条約がそういうかたちで処理されれば、後は36年間の日本の統治について、会議の力関係に左右されることになります。決まった内容を見てみると、押されっぱなしであったことがよく分かります

押されても良いのです。点を与えなければ良いのに、その点を与えてしまいます。つまり、半島に遺した資産関係の「放棄」までは良いのです。後で何とでも抗弁できるからです

しかし、「韓国の国家予算の2年分以上の資金の提供」は、後で抗弁できなくなる大チョンボです。つまり、資金提供をしたということは、36年間の半島統治が基本的に誤りだったと後々まで言われる材料を与えたことになります。

しかも、この基本条約の前に設定された李承晩ライン(李承晩大統領による恣意的な国境ライン)によって取られた竹島については、殆ど取り戻そうともしていません。この2つの重大ミスが後々まで響くことになります

 

  日本側の政治的ミスはさらに連鎖反応のように続く

形勢不利な状況から、大量失点を導き出した韓国は笑いが止まらないでしょう。それと同時に、日本は大したことはない、という評判が国際政治の舞台で噂になります

中国、韓国、そして北朝鮮も何も言いませんが、日本を組み易しと思っているでしょうスポーツで言えば良いカモです。少し脅せば言うことを聞くし、ゴネれば金を出してくれる。こんなイメージで日本を捉えていると思います

だから、その後の従軍慰安婦や徴用工といったでっち上げ話が大手を振って韓国側から出てくることになります。その遠因は、戦後の一番最初の外交処理を向こうのペースで行ったためです。

1993年に「河野談話」が出ます。これは、戦前の日本の統治を不法との認識のもと、韓国側にお詫びをする内容のものです。これも大変なミスですが、ところがこれを評価したり、韓国側に立って発言する野党やマミコミも中にはあったのです――「平成26(2014)年3月15日付の『赤旗』では『歴史の虚偽は許されない』―—『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」と題する3ページもの見解が掲載されている。ここでは『河野談話』を天まで持ち上げ、自民党安倍政権を徹底的に批判している」(筆坂秀世『日本共産党と中韓』ワニブックス.2015年/143ページ)。共産党の前に国名の日本をつけている意味をよく理解していない政党だということがよく分かります。


政府も外交関係を一生懸命努力している、外務省も頑張っているのかもしれません。ただ、結果が出ず、悪しき方向に行くということは、何かが足りないということです。

将棋に例えると、大局観です。目先の対策、政策に追われ、日本を遠い所から俯瞰して見ていない。先々の形勢を有利にもっていくには、何を決めて、何を認めてはいけないのか、それを読まないで、相手の打つ手に条件反射的に駒を動かしているだけです簡単に言えば、へぼ将棋だったということです

社会がどのように流れているか、国際的な常識がどうなのか、常に大所高所から見て、判断する、一度判断したら、信念をもってそれを追求するという気迫が必要です

(参考)   黒田勝弘 『韓国人の歴史観』(文春新書.1999年)


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