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スウェーデン、NATO加盟が確定 ―— 苦闘の歴史が素早い対応を生む / 過去の総括は未来の対応に繋がる

「スウェーデンのNATO加盟が確定しましたね」

女性

「プーチン大統領のオウンゴールとニュースで言っていたのですが、どういう意味ですか?」

「ウクライナへの軍事侵攻がスウェーデンに危機感を与え、NATO陣営に追いやることになったからです」

女性

「地図で見たらロシアと離れているので、大丈夫なような気がするのですが……」

「そう見えますが、よく見るとバルト海をはさんでロシアとスウェーデンは隣国ですからね」

女性

「なるほど、そういうふうに見るのですね」

「そして、ロシアからすると一番攻めやすいのは北欧のフィンランドです」

女性

「フィンランドとスウェーデンはお隣さん同士ですよね」

「フィンランドもスウェーデンもロシアとは何回か戦火を交えてますからね。ウクライナの惨状を見て、次は自分の番かもしれないと思ったのかもしれませんね」

女性

「スイスと同じ中立政策を取っているので、安全なのではと思うのですが……」

「中立政策は安全を保障するものでは決してありません。そもそもロシアという国は、中立条約を結んでから侵略するということを得意としている国です」

女性

「そう言われれば、日本も中立条約を破られましたものね」

「中立という意味は、どの軍事同盟にも属さないという意味なので、自国を一国で守らなければいけないという意味です。現に、スイスには徴兵制度がありますからね」

女性

「中立というのは、却って大変なんですね。ここからが本論です ↓ 表紙は「読売テレビニュース」提供です」

 NATO加盟反対のトルコに大幅譲歩

ロシアのプーチン政権が拡張主義路線をとっているということで、スウェーデンは最悪の事態を想定してフィンランドと共にNATO(北大西洋条約機構)という集団安全保障機構に2022年5月に加盟申請をしました。すでにフィンランドは昨年の4月に正式加盟を果たしています。スウェーデンについては、トルコとハンガリーが首を縦に振らなかったため、NATOへの加盟手続きが遅れたのです。

スウェーデンのNATOへの加盟に一番反対したのがトルコです。トルコ国内で反政府活動をするクルド人武装組織をスウェーデンがかくまって、さらに支援していると思っていたからです。

スウェーデン政府は早速動きます。クルド人武装組織をテロ組織と認定し、メンバー引き渡しに関して法的枠組みをお互いに作ることで合意します。トルコへの武器供与も認めた上で、2国間で安全保障協定を結びます。さらにトルコのEU加盟を積極的に支持する立場をとることを約束したのです。ここまで譲歩されれば、トルコは反対する理由はありません。トルコが賛成に回り、それを見てハンガリーも賛成に回ったのです。

(「読売新聞オンライン」)

 苦闘の歴史が素早い対応を生む

スウェーデンは今後、正式な加盟手続きを経て、32番目のNATO加盟国になります。これを朗報と捉えたのがウクライナのゼレンスキー大統領です。スウェーデンに「バルト海を平和な海にするために、共に強くなろう」と呼びかけたのです。

スウェーデンの国防費は国内総生産(GDP)の約1%位です。NATOは加盟各国に2%の防衛予算を義務付けています。この条件に対して、ウルフ・クリステルソン首相は、今年中に軍事防衛費を増やし、その条件をクリアすることを約束したのです。

今までの中立政策を止めて、180度とも言うべき方向転換をさせたきっかけはロシアの軍事侵攻ですが、スウェーデンのこのような素早い対応を促したのは、かつてロシアと戦った苦闘の歴史(北方戦争/1700~21)があるからだと思います。その「記憶」がある意味、蘇ったのかもしれません。

(「やさしい世界史」)

 過去の総括は未来の対応に繋がる

今でこそスウェーデンは福祉国家として有名ですが、17世紀の頃は軍事大国でした。そういったことに対する周辺国の反発もあったと思います。北方戦争と名付けられているバルト海をめぐる戦いの際に、ロシア側にデンマーク、ノルウェー、ポーランドなどがつき、そのロシア連合軍と戦った歴史があります。ロシアはバルト海への「出口」を確保したかったのです。

当時の力関係は、今とは真逆です。旧勢力のスウェーデンと新興勢力のロシアという図式です。ロシアが1700年にスウェーデンに宣戦しますが、すぐにナルバの会戦で敗退します。スウェーデンはその後、ポーランド、ザクセンを撃破しロシアに向かいます。1709年のポルタワの会戦でピョートル1世のロシア軍に惨敗、そこから戦況が逆転します。戦争終盤の1714年にはスウェーデン艦隊が新生バルチック艦隊に撃破され、敗戦が決定的となります。この戦いの結果、ロシアはバルト海の制海権を奪取します(下図参照)。

その戦争でロシアの捕虜となりシベリアやロシアの各地に送り込まれ、そこで土木作業に従事させられる者もいました。戦争の記録とともに、捕虜となった者たちの苦闘の記録も国民に共有されていると思われます。だからこそ、素早い方向転換が可能だったと思われます。

日本はどうでしょうか。未だに先の戦争の名称すら確定できない状況です。太平洋戦争、大東亜戦争、第二次世界大戦など、それぞれの考えによって勝手に名称を付けているような状況です。何が根本原因であのような戦争に突入したのか、ロシアとの最終版の戦いや占領政策の評価など何も総括されていません。そのため、国防を巡って世論が簡単にはまとまらないのです。スウェーデンのように意見がまとまらないのはそのためです。

(「okke/オッケ」)

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