「今日は昨日の続きということで、最後の論点の民主集中制について話をしたいと思います」
「民主集中制が、現実には一番重要とおっしゃっていましたよね。どうしてそれが大事なことなのか、今一歩よく分からないので、その辺りから説明をして下さい」
「民主集中制というのは、日本共産党内の統治システムのことです。党内のことなので、一般の国民が関心を持つことではないと普通は思うかもしれませんが、これが一般の会社組織であれば全くその通りですが、政党なのでそういう訳にはいかないということです」
「政党は公党だからですか?」
「一言で言えばそういうことですが、その政党の意見がどのような党内手続きを経て出てきたのかということが重要です。日本は代議政治なので、政党は国民の負託を受けて活動していますので、政党の勝手な意見だけを国会に持ち込まれても困るということです」
「今は野党ですが、政権政党になることもありますよね」
「危険性と言うと怒られるかもしれませんが、可能性として全くゼロではありません。その場合に、党内統治のあり方が現実政治に反映されることになります」
「その辺りが、よく分からないのですが……」
「民主集中制というシステムを採用しているのは、日本では共産党だけです。ネーミングに誤魔化されるのですが、これは党内独裁体制だと思っています」
「自由と民主主義の党と言っていますので、民主主義の要素は当然あると思いますけど……」
「支部、地区委員会、県委員会というように代議員をそれぞれの部署で選挙によって選んでいきますので、そこには民主主義の考え方が入っていると思います。ただ、それぞれの段階の選挙は、あらかじめ候補者が決められていて選挙と言っても信任投票です」
「要するに自由な立候補はできないということですね」
「自民党の総裁選挙のように、全党あげてトップを決めれば良いと思います。それが本当の民主主義だと思います」
「自民党の総裁選挙を権力闘争と言った人がいましたけど……」
「それは言葉の意味を知らない人ですよ。一定のルールの下で候補者を選んで論戦を闘わせて、最後は投票で決めています。何の問題もありません。権力闘争があれば、候補者は1人で選挙も形式的なものになります。中国を見ればよく分かります」
「候補者が一人か複数かで、権力闘争あるなしを判断していいですか?」
「後は、任期ですね。アメリカ大統領は、最大2期8年までです。それが一つの常識的な数字だと思います」
「10年も20年も同じ人というのは良くないということですね。ここからが本論です ↓」
目次
『日本共産党の研究』(講談社学術文庫)―― 総ページ数約1200ページの大著
共産党の民主集中制について、今まで一番鋭く斬り込んだのは、立花隆氏ではないかと思います。立花隆氏は、つい先日亡くなられましたが、非常に鋭い視点から多くの著書や論文を遺しています。いくつかの文芸誌や社会評論誌が特集を組んだりして追悼の意を表していましたが、不思議なことに『日本共産党の研究』[一]~[三](講談社学術文庫)を正面から取り上げていたものは、私の知る限りありませんでした。もしかしたら、日本共産党に対する忖度かもしれませんが、この書を読むと彼の評論家としてのレベルの高さが分かります。
この書は、「はじめに」によりますと『文芸春秋』の1976年新年号から77年12月まで2年間にわたって連載したものに加筆訂正して文庫本として改めて出版したものです。出版されて38年ですが、[一]は2021年9月、30刷とありますので、現在もなお売れ続けているということです。
文庫本で3冊分の分量です。総ページ数約1200ページの大著です。これを書き上げるためにあたった資料を積み重ねると約40メートルの高さになると書いてあります。それが納得できる位の内容です。共産党は彼を目の仇にしていたようですが、単なる反共本ではないし、精緻な論理の積み重ねがなされていて、内容も説得的です。
3冊すべて戦前の日本共産党史を中心に書かれています。戦前の活動家がいろいろ登場しますので、これを元原稿にして上手く脚色すればドラマとしても放映できるのではないかと思う位にリアルな描写も多く、楽しくページをめくることが出来ます。[一]だけ読んでも面白いと思います。
民主集中制の 「製造元」は世界革命を目指したコミンテルン
1000ページを超えるこの書の中で、立花氏がいくつかの箇所で何回も言葉を換えて取り上げているのが、実は民主集中制です。彼の問題意識は、このシステムを使っている限り一人の人間に権力が集中しやすく、それは危険な事であるというものです。ただ、当時の共産党は彼の文章をすべて反共攻撃と受け取ったようです。そうではないと、彼は著書の中で何回もメッセージを発していますが、伝わらなかったようです。最後は、呆れかえっていたようですが、彼の説得力ある意見を参考にして党内改革をすればまた違った発展もあったのではないかと思っています。
問題の民主集中制ですが、これの「製造元」は世界革命を目指したコミンテルンです。党綱領はそのことを隠していますが、日本共産党はコミンテルン日本支部として活動を開始しています。コミンテルンというのは、世界で最初の社会主義革命を成功させたロシアをモデルにした革命を国際的に輸出、指令する組織です。コミンテルンが掲げた組織原則が民主集中制なのです。日本共産党は現在もなお、これを固く守っているということです。
コミンテルンは、自分たちの指令が下部組織まで行きわたるためにはどのような組織を作れば良いのか、多分考えたのでしょう。それで行き着いたのが民主集中制だったのです。「真に自主的な行動がとれるのは党中央のみである。中間部か下部の組織が、なまじ自主性をもって行動しようと思えば、組織全体の総エネルギーに抗さねばならず、力負けしてひねりつぶされる結果に終わる」(『日本共産党の研究 (一)』153ページ)。「民主集中制の組織では、パンの代わりに石が与えられても、組織全体がその間違いに気がつかないで石を食べようと無益な努力を重ねることがしばしばある」(同上157ページ)。
(「Twitter」)
スターリンの蛮行は、民主集中制のもとで行われた
実はこの民主集中制を巡って過去にロシアでボルシェビキ(多数派)とメンシェビキ(少数派)の論争があり、民主集中制を主張するボルシェビキに対して、メンシェビキのトロッキーは「プロレタリアート独裁は、プロレタリアートに対する独裁になるだろう」と予言をするのですが、予言は的中し、その後スターリンのソ連、そして各国にミニ・スターリンが誕生することになったと立花氏は指摘しています。
スターリンの死後にスターリン批判が出てきます。第20回党大会で、スターリンの蛮行が報告されます。例えば、第17回党大会の中央委員と候補の総数139名のうち98名が逮捕銃殺されています。犠牲者はそれだけに留まらず、ソルジェニーツィンによれば国内流刑者は1,000万人を超えると言っています。スターリンは「人民の敵」という便利な言葉を使って、気にくわない者や自分の敵となりそうな人間を逮捕して殺していったのです。日本の近くでもミサイルを飛ばしながら、同じようなことをしている指導者がいます。
どうしてそんなことができたのか。民主集中制というシステムは、民主とは名ばかりで実態は中央の方針を下部に伝達するシステムです。トップ人事から政策、さらには選挙公約に至るまですべて党中央の幹部会で決定されます。それに対して異論を差し挟むことはできません。分派は許されませんので、反抗する場合は、必ず個人となります。多勢に無勢で、結局除名されて終わりです。国会議員や地方議員になった人でも、除名されて中には評論活動をしている人もいます。そういう方がいるということは、党内民主主義がないということです。仮に、共産党が政権を執った場合は、ほんの一握りのメンバーで日本の政治がすべて動かされることになります。その危険性を立花氏は口を酸っぱくして様々な角度から言っています。
(「アマゾン」)
民主集中制を放棄することが、真の自由と民主主義を語る党になるための条件
日本共産党をスターリン型の組織に作りあげた人物として宮本顕治を挙げています――「彼は、スターリンのごとく、きわめて巧みに、きわめて形式的に、自分に非従順な知性を追いだしていき、スターリン的な一枚岩主義の党をつくりあげていったのである。このプロセスにおいて、宮本顕治はおそらくほとんど懐疑を感じなかったにちがいない、彼の世代の共産党員たちの頭には、共産党のモデルとしてスターリンの共産党が焼き付けられていただろうからである。彼の世代ばかりではない。1956年のスターリン批判までは、すべての共産党員たちが、スターリンを指導者とあおぎ、その党をモデルとすることの妥当性を寸毫(すんごう)も疑わなかったはずである。スターリン以前の党を知っている人間はほとんどいなかったし、いても党をやめていた。そして、スターリン批判以後に、スターリン主義的党のあり方に疑問を感じた党員たちは党から追われていた」(前掲書、349ページ)
「かくして、その体質において完全にスターリン主義的な党が完成し、その中にいながら誰もその体質に疑問を感じないという日本共産党が完成したのである」(前掲書、349ページ)
スターリンの時代において、「スターリン主義的な党」という言葉は最大の賛辞とされていたでしょう。現在は、隠しておきたい侮辱的な言葉かもしれません。どうしてこのように評価が180度変わってしまうのか。共産党はスターリン個人にその責任と原因を求めますが、その根本的原因は、独裁を生み出すシステムの民主集中制にあるということです。下の図は中国共産党の全人代までの流れを示したものです。自由な立候補による選挙ではなく選出なので、上部機関から出された名簿に対して信任をするだけです。そうすると、全人代に選出される代議員は党中央が望ましいと考えた人間ばかりとなります。その中で投票するので、習近平に圧倒的な数の賛成票が投ぜられることになります。
(「オールアバウト」)
民主集中制の中には、様々な危険があるということです。これを放棄することが、真の平和と民主主義を語る党になるための条件なのです、と立花氏は言っています。
(「西日本新聞」)
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