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日韓関係――竹島問題は「李承晩ライン」の10年後から話題 / 「日韓会談」は誤った対応の連続となる

女性

「北方領土と竹島は同じ領土なのに、扱いが随分違うと思いませんか」

「北方領土の日は2月7日ですが、その設定の経緯について、内閣府のホームページに掲載されています。国会の決議も上がっています」

女性

「ところが、竹島の日については、式典の主催者は島根県ですし、閣僚の派遣は第1回より出席がありません」

「そもそも、2月7日は閣議決定で決まった日ですが、竹島の日は島根県の条例で定めているだけです」

女性

「同じ領土問題なのに、何故こんなに扱いが違うのでしょうか?」

「一つは、韓国側に対する配慮。もう一つは、日韓基本条約の締結にあたった方々への忖度みたいなものが、まだ働いているのではないかと思っています」

女性

「その忖度というのは、何ですか?」

「つまり、竹島のことを保留扱いして条約を締結してしまった訳ですよね。竹島返還を過度に要求すれば、締結の任に当たった人の尊厳を傷つけるのではないかという忖度です」

女性

「なる程、そう言われると、理由としては何となく納得できそうですね。ところで、それは誰かがそう言っているのですか?」

「いや、ふと私が思ったことです。そう考えれば、政府の取り組み方が不十分なことに対して、一応の説明はつくかなと……」

女性

「分かりました。私もいろいろ調べたりしたいと思います。ここからが本論です  ↓」

 韓国との外交史は、誤った対応の連続

問題というのは、大きくなると厄介なので、そうならないうちに小さな芽のうちに摘み取る努力が必要です。特に、隣国との外交関係は様々なものが積み重なっていきますので、将来に影響を与えそうな芽を一つひとつ摘みながら、歩を進めるようにしなければいけません。

韓国との外交史を調べると、誤った対応の連続だったことが分かります。2009年10月25日の「第2回 竹島問題を学ぶ会」での藤井氏(姫路市立姫路高校教諭/当時)の講演録を参考にしながら、レポートしたいと思います。

(竹島関連の古文書、島根県に寄贈/「産経ニュース」)

 第1次日韓会談の韓国の要求内容で相手の真意を見抜けなかった日本

第1次日韓会談の韓国の要求

韓国が連合国として処遇されること

・マッカーサーラインの維持

いくつかのことを日本に要求したのですが、上の2つが特に重要かつ、認めることができないものです。特に、最初の韓国の立ち位置について日本側が明確に反論し、潰していないためそれが現在にまで尾を引いてしまっています何事も最初が肝心なのです。お互いの出発点を合せる必要があるのですが、スタートラインを別々に設けて会談をスタートさせています。結論から言うと、この会談は、第一次で終わるべきものだったのです

彼らの言い分は、韓国という国の政府は戦時中は亡命政府として中国に成立をしており、第二次大戦は連合国の一員として日本と戦っていたというものです。そういう夢のような話を公式に認める訳にはいきません。

それを認めてしまうと、日本は敵国となり、戦後賠償という話が出てきてしまいます。そうなってくると、半島は日本による不当な支配が行われた地という解釈が可能になってきます。実際に、会談はそういった方向で流れることになります。

日本の捉え方というか史実は、1910年の朝鮮併合により半島は「日本」となります。そのため、半島の人たちを日本の国民として処遇し、土地改良事業やインフラ整備にも務め、帝国大学まで創ります。北部に作った水力発電ダムは現在も北朝鮮が使っています。太平洋戦争はアメリカと日本が戦いましたので、列島と半島に住む人たちは敗戦国の国民となります。現に、戦時下の日本でも多くの朝鮮の人たちが働いていましたし、原爆によって亡くなった半島の人もいたのです。

(「カソリング」)

立ち位置が「連合国」なので、その司令官のマッカーサーラインを守らせるという発想が出てきてしまいます。当初は「竹島」に焦点が当たっていませんでした。「漁業管轄権」という言い方をしていますので、そのラインを超えた日本漁船は拿捕されることになります。

日本漁船の拿捕は、戦後すぐに始まっています。マッカーサーラインが廃止されるまでの時点で95隻が拿捕されています。ただ、韓国側のそのことに対して極東委員会とGHQは警告を出しています。つまり、マッカーサーラインというのは、あくまでもGHQが占領政策のために便宜的に引いたラインであって、それを管理する権限は韓国にはないということを言っています。

 竹島問題については1962(昭和37)年以降の日韓会談で話題となる

日韓会談で、最初のうちは竹島問題について触れられておらず、話題になったのは1962(昭和37)年以降です。つまり、会談が韓国ペースになってきてから出てきた話題だったのです。

外交交渉というのは、一つの駆け引きなのですが、日本は全く無防備で臨んでいることが分かります。3次の会談は、相手のほぼ言いなりです。結局、この無防備な外交交渉が更なる厄災を招くことになります。

大きな誤りを犯すことになります。一つは、竹島問題を棚上げしたこと。もう一つは、賠償請求権を認めてしまったことです。この時の日本側は、大平外務大臣ですが、当然お膳立ては外務省が行っています。何故、こういうことになってしまったのか、どこかで歴史的な検証が必要な事例だと思っています。

韓国にとっては100%回答の条約(日韓基本条約/1965年)が結ばれることになります無償3億ドル、有償2億ドルという「賠償金」が日本から支払われることになります。

その当時は固定為替相場の時代で1ドル360円の時代です。無償3億ドルというのは、日本円に直すと1080億円ですが、当時と今の貨幣価値は違います。当時のハガキは5円、ジュースは10円の時代です。現在のハガキは63円、缶ジュース類が120円位なので、大体12倍すると現在の実勢価格に近付くと思います。そうすると、3億ドルは現在の1兆2千億円位になると思います

日本側の認識も甘かったと思います。これだけの巨額のお金を払えば、すべて丸く納まるだろうと思ったフシがあります。こういうのを安直と言います。

逆効果になってしまったのです。つまり、ある集団に「おやつ」を上げれば、他の集団がこぞって私も、俺もと叫び始めたのです。その時の理屈が「慰安婦」であり、「徴用工」なのです。そこに、日本のマスコミがサポート役として加わったので、混乱のボルテージが上がることになります。

そして、現在の日本国民の判断は、もう韓国とは付き合うのはやめようという世論が形成されつつあるところまで来ているのです

(「Yahoo知恵袋、Yahoo.japan」)

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