「「朝日」が朝鮮半島の外交問題で「対話を重ね関係修復を」という社説(9.12日付)を掲載しましたね」
「朝鮮半島ということは、北朝鮮と韓国ということですか?」
「一応、両国について言及しています」
「今の時点で日本から何かアプローチする必要があるものは、何もないと思いますが、「朝日」はどういう理屈を並べているのですか」
「かなり苦しい論理だと思いますが、かつて交わした「日韓パートナーシップ協定」を思い出し、次世代のためにも健全な首脳往来を復活させよ、と言っています」
「「日韓パートナーシップ協定」というのは、1998年、今から20年以上も前に結ばれたものですよ」
「どうして、それを持ち出したのですか」
「訪日した金大中大統領と小渕首相が話し合いをした末に結んだ協定です。その中で日本の植民地支配について、韓国国民への「痛切な反省と心からのおわび」を明記したのです」
「韓国からすると、そこが原点と思っているということですね」
「「朝日」が勝手に忖度しているだけです。別にウラを取っている訳ではないでしょ」
「痛切な反省と心からのおわびを明記して、ますます日韓関係はこじれましたよね」
「人間と同じで、謝って良い人と、謝ってはいけない人がいるのです」
「謝れば、そこから更にいろんなことを要求してくる人がいますものね」
「国も同じです。キリがないので、原点に戻ろうということで原点に戻したのが安倍首相です」
「その結果、お互い相手国を訪ねることはなかったということですね」
「焦る必要はないと思います。機が熟するまで、待てばよいと思います」
「ここからが本論です ↓」
目次
日韓は併合条約に基づいて同じ国となった――植民地と併合は全く意味が違う
松木国俊氏が書かれた『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った』(ワック株式会社.2011年)という書があります。大変読みやすく、説得力もありお薦めの本です。私の手元にある本は2011年9月20日に初版を発行して、同年の10月17日には3刷が出ていますので、当時はそれなり大きな反響があったのだと思います。
朝日新聞は「社説」(2020.9.12日付)でいまだに「植民地支配という不幸な過去」、「被支配国から反感をかった」と韓国べったりの史観に基づいて文章を書いています。
そもそも、植民地と併合は法的に違います。併合を「支配」とは言いません。「被支配」という言葉を使いたいがために植民地という言葉を使いたいのでしょうが、史実をまず正確に伝えるのが公器たる新聞の役割です。朝日新聞のこの社説を読むと、殆ど末期現象です。自分が日本の新聞であることを忘れていると思います。
併合の例としては、イングランドによるスコットランドの併合が有名です。「1707年合同法は、1707年、イングランド王国とスコットランド王国が合併し、連合王国としてグレートブリテン王国を建国することとした法」(『ウィキペディア』)です。イギリスを一つの国だと思っている人もいるかもしれませんが、正確にはイングランドが他の3つを併合して連合王国として成り立っている国です。併合というのは、同じ国として扱うということなので、それは植民地とは違うということがこの例で分かると思います。
1910年8月、韓国併合条約の調印が行われています。この条約は、韓国皇帝が韓国の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲与すること、日本国皇帝はこの譲与を受諾し韓国を日本に併合することを承諾することとしたのです。韓国併合条約は8月29日に公布・発効しています。これが紛れもない歴史の事実なので、ここから出発する必要があります。
山川の日本史教科書には「1910年に韓国併合条約を強要して韓国を植民地化し(韓国併合)」とあります。そもそも「強要」という言葉が不適切です。この条約は韓国の京城で結ばれています。「強要」という主観的な文言を歴史の教科書に書き込むのは不見識です。反日の学者と反日の教科書調査官のタッグチームによる記述です。
植民地支配というものの実態を見る
植民地の実態を知らない者が「植民地支配」という言葉を使っているように思えます。『ウイキペディア』で「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」を検索してみて下さい。これぞ「植民地支配」という実例が多く出てきます。「植民地支配」の特徴は、武力による制圧です。もちろん条約など結びません。相手を人間とは思っていないからです。王朝があれば王族を皆殺しにして滅ぼします。植民地経営にとって妨害勢力になるからです。インカ帝国の最後の王、トゥパーク・アマールはスペイン人に捕らえられて処刑されています。
(トゥパーク・アマール)
16世紀から17世紀にかけて「太陽のしずまぬ国」としてスペインが海外に植民地を拡大していきました。コロンブスのアメリカ大陸発見以降、カリブ海、アステカ文明(メキシコ)、中央アメリカ(マヤ文明)、南アメリカのベネズエラ、コロンビア、インカ帝国を次々と滅ぼしながら征服していきます。
「植民地支配」体制が確立した後の中南米社会がどうなったのかということについて、次の記事を紹介します――「征服後の社会でスペイン人たちは圧倒的な社会的、経済的な力をもち、それを背景に多くのインディオ女性を妾として性的関係を結ばせた。また、スペイン人の文化が至上のものとされ、インディオの文化は卑しく醜いものとされた。さらに、アフリカ大陸から多数の黒人奴隷が連行され、北はフロリダ半島から南はラ・プラタ川まで各地で黒人は家内労働やプランテーションでの重労働に従事させられたのです」。
南アメリカのことをラテンアメリカと言いますが、それはこの地域がスペイン、ポルトガルといったラテン人によって植民地支配されたことによります。
日本は朝鮮経営に対ロシア防衛のため、止む無く関わるようになる
戦前の日本は、今のような経済大国ではありません。基幹となるような国内産業もなく、多くの人口を養うような農業生産力もありませんでした。だから、アメリカ大陸や中国大陸へ多くの日本人が移民として働き場所を求めて日本を後にする人がいた時代なのです。その地域にいる日系人たちは、その時代に働き場所を求めて日本を離れた人たちの子孫なのです。
そういった経済状況だから朝鮮半島に目を付けたのではないかと思われそうですが、朝鮮半島には経済的に価値あるものは何もなかったのです。地下資源が豊富にある訳ではなし、山はハゲ山(彼らには植林という概念がなかった)で森林資源はなし。森がないということは、大地が痩せていて、沿岸にはプランクトンが少ないため、漁場もないということです。
スペインやポルトガルが南アメリカを植民地として征服したのは、そこに地下資源やコーヒー栽培といった経済的価値をもたらす農業の可能性があったからです。何の価値もない所を征服しても、無駄だからです。不毛の台地を誰も欲しいとは思わないものです。
だから、日本国内で朝鮮経営をめぐって意見が対立したのです。できれば関わりたくなかったのです。関わるということは、当然出費がかさむことが予想されたからです。そのような経済的余裕が当時の日本にはなかったのです。そのため、福沢諭吉は「脱亜論」を説いて関わるなという意見を表明しましたし、朝鮮の独立派の援助をしたのです。初代の朝鮮総督の伊藤博文も同じ意見だったのです。
経済的価値のない韓国を、どうして併合したのか。日本にとってみればロシアに対する防衛策として選んだ道だったのです。ロシアの影が日本周辺にちらつき始めるのが19世紀の半ば頃です。ロシア人は遊牧民族のため、その「血」が領土拡張に向かわせるのでしょうか。その頃から、大陸と海洋であろうと関係なく南下政策を遂行しようとします。
当然そのターゲットの先には日本があります。どこかで食い止める必要があります。今であれば日米安保がありますので、ロシアも迂闊に南下はしてこないと思いますが、当時はそのような同盟はありません。自分の国は自分で守るしかないのです。弱い国は滅ぼされて終わりという時代です。弱肉強食の時代です。韓国は植民地ということを問題にしているようですが、戦前は植民地経営は合法活動です。つまり弱い国が悪いという論理の時代だったのです。それを現代のモノサシで責任追及するのは無理があります。戦後に日本の無知な政治家が謝罪しましたが、謝罪など全くする必要のない問題なのです。
日本は朝鮮が真に独立して欲しいと思っていた
日清戦争が起きます。日本の勝利に終わり、日本は朝鮮の独立を清に求めます。「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」(第一条)。法律関係の文書は重要な順番に並べます。この第一条が、日本が最も願っていたことなのです。朝鮮には、独立して一人立ちして、外敵に対して自分の力で守れるような国になって欲しいという日本の願いがそこに込められています。
ところが、清も朝鮮もその後弱体化します。ロシアの南下政策を止める力がなくなります。清はロシアの事実上支配下に入るような状況です。1904年、ある意味必然的に日露戦争が始まったのです。その戦争に日本が勝利したので、ロシアの南下政策は一旦止まります。ただ、彼らが領土的欲望を捨て去った訳ではありません。そう考えると、朝鮮半島が一番のネックだったのです。併合して、日本と同じように統治をすることにより、朝鮮民族の民生を向上し、ひいては日本を防衛するという政策を時の先人たちは選択するのです。
韓国でもようやく客観的な資料に基づいて日韓関係を見直そうという動きが出てきたところです。虚偽とデマに満ちた歴史の捏造からは、何も生まれません。少なくとも日本の新聞社には、冷静な判断と客観的な記事を求めたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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