「昨夜(3/16)NHKでウクライナのゼレンスキー大統領のアメリカ議会でのビデオ演説を紹介していました。聞きましたか?」
「真珠湾攻撃の話が出てきて、一瞬ドキッとしましたが、聞いている人の感情に訴えかけるような演説だったと思います」
「演説の最後にバイデン大統領に平和のリーダーになって欲しいと言っていました。もう、そこしか頼れないという気持ちなんだろうなと思います」
「ゼレンスキー大統領の祖国を思う気持ちが国民を動かし、ヨーロッパ各国、そしてアメリカを動かそうとしています」
「バイデン大統領は今月24日のNATO首脳会談に出席するそうです」
「今日、バイデン大統領は初めてプーチン大統領に対して、戦争犯罪者という言葉を使いました。完全に応援部隊に回ろうという決意の表れだと思います」
「演説の途中でウクライナの戦火を伝える映像が流れましたが、あれを見せられて、平和のリーダーになって欲しいと言われてしまえば、自分が動くしかないと思うでしょうね」
「結局、こうなると軍事力には軍事力ということですね。いくら綺麗事を並べても、世界が平和で一致していなければ、言葉だけが虚しく響くだけです」
「ゼレンスキー大統領の演説は、日本でも行われるそうです」
「ウクライナと日本はロシアを挟んで隣国同士ですからね。ウクライナとの議員友好連盟もあります」
「地政学的に複雑な位置にあるウクライナ、そして日本。お互いに舵取りが難しいという点では一致しているかもしれませんね」
「特にウクライナはロシアと隣接していて、歴史的にもロシアに属していたこともありますし、大きな影響を受けてきました。住民も特に東方はロシア系の人の割合が多いのです。中部はロシア語、ウクライナ語のバイリンガル地域で、西部はウクライナ語を話す人が多く、「ウクライナ人」という民族意識をもった人が多いと言われています」
「ゼレンスキー大統領もバイリンガルだそうですね」
「危機の途中、彼はロシア語でメッセージを送っていたようですが、殆ど無視された形となっています」
「ここからが本論です ↓」
世界の国をまとめるのが国力NO.1の国の務め
日本にはアメリカを敵視する政党があります。そんなこともあり、今回のウクライナでの事態をアメリカとロシアの代理戦争という見方をする人もいるようです。そのためか、日本から自衛隊の持っている防弾チョッキとヘルメットを供与することに共産党は反対したのです。理屈は紛争地への軍事関連物資だからというものですが、ウクライナの背後にアメリカがいて両国が対等に戦っているという捉え方です。その紛争地に装備品は送ってはならない、という論理です。
ただ、入ってくるニュースや映像を見る限り、そのように捉えるのは無理があります。どう見てもウクライナが一方的に攻められており、罪もない市民から多くの犠牲者が出ているという状況になっています。今の時代は映像がすぐに流れますので、変な理屈やウソがすぐにバレてしまいます。かつての時代のような感覚で、屁理屈満載の論理を流すと却って墓穴を掘ることになります。
世界は現在約200の国と地域で成り立っています。いつの時代からか歴史的に、経済的、軍事的に一番強い国が世界のリーダーとして振舞い世界をまとめようと努力をし始めたのです。かつての時代はイギリスであり、戦後はアメリカです。国連がありますが、国連独自の軍隊を持っていませんので、そこに自ずと限界があります。リーダーの国は世界の紛争地域に、時には武力介入をしてきました。その武力介入を日本共産党は「侵略戦争」と捉えているのです。その認識がそもそも誤りです。ベトナム、イラク、アフガニスタンに武力介入しましたが、別に侵略する意図はありませんでした。
(かつての大英帝国「Download million images for free」)
ウクライナの今の状況から日本の防衛を考える
すべての紛争が外交努力によって問題解決できるとは限りません。実際にウクライナでは、外交交渉を行っている最中にミサイルの砲撃を受けています。そして、戦力に優る方は強気で無理難題を押し付けてきます。殆ど、脅迫です。助けに入ろうとしている周りの国に対しては、核兵器をちらつかせながら威嚇をする有様です。
ロシアは国連の安全保障理事会の常任理事国です。本来なら、世界平和を国の武力を使ってまでも守らなければいけない立場ですが、全く逆の行動に出ています。だから、世界の誰もが今の事態をまさかという思いで見ていると思います。ただ、これが現実なので、ここから日本の防衛問題を考える必要があるのです。
(「日刊ゲンダイDIGITAL」)
「非同盟中立、非武装」は国際的に非常識
ロシアがウクライナに突き付けている要求は、「非同盟中立、非武装」です。これは例えて言うと、戦国時代の荒野の中を、一人裸で過ごせと言うようなものです。もともとウクライナ領内には核兵器があったのです。1991年のソ連邦崩壊に伴ってウクライナが独立国家として歩むことになるのですが、その際に領内の核弾頭1900発の保持について、周辺国と協議をしてそれを放棄、代わりに「領土保全、政治的独立」を米、英、ロの3か国で合意(「ブタペスト覚書」1994)したのです。
仮に核弾頭を1発でも持っていれば、ロシアの今回のような露骨な侵略を防げたかもしれません。武装していても攻められるのですから、非武装であれば相手の都合で勝手に国境線を越えて攻撃してくることになります。その際に、非同盟ですからどの国も助けに入らないことになります。このように考えると、ロシアの要求している「非同盟中立、非武装」というのが如何に今の時代において非常識なのかが分かると思います。当然、ウクライナとしては呑めないのですが、それを無理矢理認めさせようとしているのです。交渉と言っていますが、殆ど水掛け論になっていると思います。
(「note」)
万が一を想定して準備するのが防衛の基本的な考え方
日本共産党は「非同盟中立、非武装」をプロパガンダとして国内で盛んに広げています。非同盟なので安保条約反対です。非武装の根拠として憲法9条を持ち出してきます。「非同盟中立、非武装」は、世界のすべての国が平和で一致していれば可能なのかもしれませんが、現実にはあり得ない政策です。すぐ近くに、ミサイルの発射実験を繰り返している国もあります。
そして、国の防衛政策は万が一を想定して用意するものです。どこからも攻められないように、万が一にもミサイルが飛んでこないようにするために防衛整備をする必要があります。その点で、専守防衛という言葉は、葬り去るべき言葉です。ミサイルが飛んで来て、犠牲者が出ました、いざ出撃となった時に滑走路が破壊されて使えませんではお話にならないからです。
集団的自衛権云々という議論がかつて安保法制が話題になった時にありましたが、それは憲法解釈から導かれるものではなく、現実の世界の動向から判断されるべき問題です。現実問題に憲法が対応できないのならば、憲法を改正すれば良いだけの話だからです。
今回のウクライナ侵攻にあたって、ロシアはベラルーシとの共同侵攻を画策していた模様です。様々な判断の中から、ベラルーシは共同行動を取っていませんが、攻めてくる側が1か国とは限りません。であれば、守る側も別にどこかの国と共同して守っても構わないという論理が当然成り立ちます。個別自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めないというのは、理屈としておかしいと思います。「憲法生かして国滅ぶ」ということでは、困るのです。
学問的な議論と政治的な判断というのは、時には切り離すべきなのです。学問的見解が常に優先されるとなれば、憲法学者の見解が国会議員より優先されることにもなるからです。それでは、選挙は一体何なのかということになります。
(「公明党/Q&A集団的自衛権」)
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