
「大学で「幸せ」を学ぶ動きが広がっています」

「えっ、それはどういう意味ですか?」

「ウェルビーイング(Well-being)学部を設置した大学もありますし、自民党は「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」を設置しました」

「本人がウェルビーイング、つまり幸せを感じることが第一だということですね。そこまでは分かるのですが、幸せ感は一人ひとり違いますので、その違いをどう見るのですか?」

「最大多数の最大幸福というベンサムの有名な言葉がありますが、結局そういったものを追求していくということだと思います」

「その人にとって幸せを感じることを周りが受け入れないという場合はどうなるのですか?」

「当然そういうことはあるでしょう。だから、社会全体の幸福度と満足度の指標(モノサシ)を策定することになると思います」

「社会主義的な発想だと思います。結局、少数者の幸福度は切り捨てられてしまう訳ですよね」

「結果的にそうなる可能性が高いです。というか、もともと幸福度という主観的なものに客観性を持たせようというところに無理があると思っています」

「もうすでに学会が出来ているのでしょ?」

「「ウェルビーイング学会」が2021年に発足し、現在の会員は500人くらいだそうです。心理学や経営学など様々な分野の方が会員になっているそうです」

「心理学用語でアイデンティティがあります。アイデンティティこそが主観的な幸福度に客観性を持たせた概念だと思います」

「コーポレート・アイデンティティとか国のアイデンティティという言い方をします。そちらの概念から幸福度を考えるのが良いと思っています」

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ワンネス財団」提供です」
「ウェルビーイング学」は学問にならない
近年、「ウェルビーイング(Well-being)」という言葉が広く使われるようになりました。これは単なる幸福感を超え、身体的・精神的・社会的に良好な状態を指す概念です。企業の人材育成や政府の政策、教育分野に至るまで、あらゆる場面でウェルビーイングが重要視されるようになり、その流れの中で「ウェルビーイング学」が出てきました。しかし、果たして「ウェルビーイング学」は独立した学問として成立するのでしょうか。結論から言えば、それは難しいと言わざるを得ません。特定の理論や方法論を持つ独立した学問とは言い難いからです。
学問として成立するためには、明確な理論的枠組みと、実証可能な研究手法が必要です。しかし、ウェルビーイングは主観的な要素が強く、測定や比較が大変難しいのが難点です。例えば、AさんとBさんは2人とも、ケーキを食べる時に幸福度を感じると言われた時、その違いをどのように客観的データとして把握できるでしょうか。心理学的な幸福度調査と同じで、自己申告によるデータとなるため、客観的な指標とは言いにくいのです。
科学的な学問では一般に、仮説を立てて検証し、再現性のある結果を得ることが求められます。しかし、ウェルビーイングは個人差や社会文化的要因によって左右されるため、普遍的な法則を導き出すのが困難です。例えば、ある研究で「毎日の運動が幸福感を向上させる」と示されても、それがすべての人に当てはまるとは限りません。このように、科学的な再現性や厳密な理論構築が難しい点も、「ウェルビーイング学」が学問になり得ない理由の一つです。多様な学問が交差する「学際的研究」として発展させるのは意義があるかもしれませんが、一つの学問として確立しようとするのは、かえって学問の本質を損なう可能性があります。せいぜい「ウェルビーイング学科」だと思います。
(「PERSOL(パーソル)グループ」)
アイデンティティという概念で幸福度を図るべき
幸福度を考えるならば、「アイデンティティ(自己同一性)」という概念が良いと思います。アイデンティティは、自分が何者であるかを理解し、自分らしく生きることを意味します。もし人が自分のアイデンティティを確立し、それに基づいた生き方をしているならば、より高い幸福感を得られるはずです。
幸福度をより正確に測るために、なぜアイデンティティが重要なのでしょうか。それは、「自分に合った生き方をしているかどうか」が、幸福感に強く影響するからです。例えば、職業選択を考えてみます。単に高収入で安定した仕事に就くことが幸福につながるとは限りません。むしろ、自分の興味や価値観に合った仕事をすることが、長期的な満足感や充実感をもたらします。
心理学者エリクソンは、発達段階において「アイデンティティの確立」が重要な課題であると指摘しました。特に青年期において、自分が何者であるかを理解し、それを周りも受け入れることが、将来的な精神的健康や幸福につながると言います。このことからも、アイデンティティが幸福と密接に関係していることがわかります。
(「You Tube」)
ウェルビーイングよりもアイデンティティを基準に
現在の幸福度指標には、アイデンティティの観点がほとんど含まれていません。学校でもアイデンティティという観点からの指導がなされていません。しかし、主観的幸福感の向上と精神的な安定、さらには社会的幸福の向上といったことを教える意味でもアイデンティティを幸福度の指標にするべきでしょう。自分本位の画一的な幸福観ではなく、多様な幸福のあり方を尊重する態度を養うこともできます。
アイデンティティの概念を確立したエリクソンは、「人間は共同体の中で自分の役割を発見した時に幸福感を味わう動物だ」という人間観を持っていました。自分の希望と周囲のその人に対する期待が合致することが一番大事なことと考え、それがアイデンティティの概念の確立につながったのです。
現在の幸福度測定には、経済や健康などの外的要因が重視されています。しかし、幸福の本質は「自分らしく生きられているかどうか」にあります。そして、生き方というのは、共同体があってこそ成り立つ概念なので、孤独な状態での幸せ感はあり得ません。実際に、無人島で暮らす人に1億円差し上げても喜びません。そこで、アイデンティティという概念を幸福度測定に取り入れることで、より個人の客観的な状況に即した幸福度を評価できるのではないでしょうか。
これからの社会では、単なる物質的・社会的条件ではなく、個々人の自己実現や価値観の尊重がより重要視されるべきです。ウェルビーイングではなく、アイデンティティを幸福度の基準として考えることで、本当の意味での「幸せな社会」の実現に近づけるのではないかと思います。
(「さいころボックス」)
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