(この文章は2/23日に書きました)
中高一貫校で社会科の教師として37年間勤務する傍ら執筆活動にも力を入れる。著書多数。
詳しくはトップページプロフィールに書いてあります。
「アメリカ教育団使節報告書」を読む――文部省について
最近は、話題になることがめっきり少なくなったのですが、1946(昭和21)年、アメリカ教育団がマッカーサー司令部に提出した日本の教育についての報告書があります。その報告書は、約20名のアメリカの教育者グループが、約1か月間滞在して練り上げたものです。神道やその他、先入観からくる誤解はあるものの、その基本的視点は現代でも生かすことができるものです。紹介したいと思います。
「文部省は日本人の精神を支配した人々のための権力の座であった。われわれは、この官庁がこれまで行ってきた権力の不法使用の再発を防ぐために、カリキュラム、教育方法、教材、人事にわたるこの省庁の行政支配を、都道府県や地方の学校行政単位に移譲することを提案する」(全訳解説 村井実『アメリカ教育団使節報告書』講談社学術文庫.1979年/67ページ)。
今から、74年も前に地方に権限を移せと言われているのです。そして、もともと日本の教育の原点は江戸時代にあるのですが、藩校、私塾、寺子屋などで多彩な教育が行われ、そこで育った人材が明治の近代化を押し進めることになります。
地方には地方特有の伝統や文化、さらには産業があります。そういったものを受け継いでくれる人材を育てなければ、地方は衰退します。生まれ故郷のために役に立ちたいと思う人材を育てることが大事です。それが、ひいては国にとっての有為な人材となります。人は、自分の身近で応援してくれる人を思い浮かべることにより、力を発揮することができる動物だからです。
「全国一斉画一教育」のため、そのような視点を入れることができなかったのです。地方の衰退の原因はそこにあります。すべての現象は、因果関係で説明できます。教育行政が中央集権であれば、地方のことがおざなりになるのは当然でしょう。高校を卒業して、地方を離れ、そのまま戻らない。地方の人口減の原因の一端は、こんなところにあるのです。社会の中で起きた場合は、教育に絡むことが多いのです。「地方再生」と言って、お金をバラまいても人の心はお金では戻りません。
アメリカ教育団使節報告書を読む――教科書検定について
「公立の初等および中等教育の行政責任は、府県ならびに地方的下部行政区画(市町村)が負うべきものである。各都道府県には、政治的に独立の、一般投票による選挙で選ばれた代表市民によって構成される教育委員会、あるいは機関が設置されることを勧告する。この機関は、……公立学校の一般的管理にあたるべきである。」(同上、68ページ)
地方には教育委員会がありますが、その委員は教育長も含めて任命制です。それについて問題意識をもっている方は少ないのではないかと思いますが、教育委員の公選制を提言しています。
それから、今話題の教科書検定です。「産経」(2/22日付)が一番大きく取り上げましたが、この問題については、全く報道していない新聞、1段の1/4のスペースの報道など、新聞社によってかなりの温度差があります。「産経」は1面トップ扱いで、さらに3面に紙面の半分位を使って詳細に報道しています。ダブルスタンダード(人権の2重基準)を使っている新聞社ほど扱いが小さいと思います。
『アメリカ教育団使節報告書』は次のように指摘しています。
「日本の教育に用いられる教科書は、実質上文部省の独占となっている。初等学校用教科書については、文部省がこれを作成、規定し、中等学校用教科書については、これを作成させ、検定を受けさせている。われわれが調査して知りえた限りでは、教師は、教科書の作成にあたっても選択にあたっても、充分にその意見を徴(ちょう)されてはいない。……教科書の作成および発行は自由な競争にまかせるべきである」(36ページ)。
教科書検定こそ、憲法が禁止する「検閲」(第21条)だと思います。
検定意見が正しいならば、意見をオープンにして、パブリックコメントを求めたらいかがでしょうか。通産省が輸出管理規制について、パブリックコメントを求めたことがあります。その時は、多くの意見が国民から寄せられました。
教育を受ける権利は、国民(子供)にあります。どのような教科書が作られるかを知る権利が当然あります。検定をするならば、オープンな形で行うべきでしょう。そうでないと、単なる一方的な主張の押し付けになります。
読んで頂きありがとうございました