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『資本論』を読んでいる時代ではない / デジタル時代―― データが富を生む

「マルクスの『資本論』の新版が刊行されていることを1週間くらい前に知りました。刊行を開始して1年経ち、現在3分冊が刊行しているそうです」

女性

「それを何で知ったのですか?」

「共産党の機関紙『前衛』です」

女性

「凄い本を読んでいるのですね」

「愛読している訳ではなく、図書館でたまたま手に取って見たら、その話題について書かれていたのです」

女性

「それをしっかりコピーしてきたのですね」

「そういうことなんです。ただ、新刊本の論文は著作権の関係で半分しかコピーできないと言われて、1週間前に半分コピーして、昨日残りをコピーしたのです」

女性

「論文として繋がったので、改めて読んでみたということですね。いかがでしたか?」

「もう時代は「資本」の時代ではないのに、何で時代遅れの内容の本を新版で出す必要があるのかと、まず思いました」

女性

「確かに、ポスト資本主義と言われていますよね」

「その言葉について2通りの解釈が出ています。1つは、資本主義の次は社会主義という考え方、もう1つは、モノづくりから人間が頭に創り出したモノに価値を見出す時代になったという、2つの考え方です」

女性

「社会主義、共産主義は違うだろう、みたいなことでしょうか」

「社会主義は、そもそも経済のタームなのでしょうか、それとも政治のタームでしょうか?」

女性

「そういう問いかけを私にされても、ちょっと判断が出来ないのですけど……」

「経済は基本的にコントロールできないものだと思っています。政治は法制度に関わることなので、コントロールできると思います」

女性

「ただ、私の受け止め方ですと、すべてをコントロールしようというのが社会主義の考え方だと思っています。そこに無理が生じるのではないかと思っています。 ここからが本論です ↓」

    経済を完全にコントロールすることはできない

 モノやサービスを購入もしくは利用したいという者が複数いれば、市場が生まれます。そして、その市場は人間の物理的ないしは本能的な感情が露呈する場でもあります。つまり、少しでも安く、自分にとって必要なモノであるならば、多少高くても構わないなど、買い手は様々な思いを市場に持ち込むからです。一方売り手は、それとは真逆の思い、考えを持ちます。

  市場は、そのような感情が交錯する場でもあるのです。人間は個性を持ちながら一人ひとりの判断に基づいて日々生活をする存在です。それでもある程度の母集団が、法則性と規則性をもつのは、人間が社会的動物であることの証左でもあるのです。

  マルクス(181893)が生きた時代は、19世紀で、イギリスでは産業革命期を過ぎて、少し資本主義の矛盾が出始めた頃です。日本は江戸時代が終わり、明治維新を経て、文明開化ということで西洋文明が日本に入ってきた頃です。

 急速に拡大していく資本主義市場を目の前にして、マルクスなりに多くの問題意識をもったのでしょう。人は得体のしれないモノに対して恐怖心を抱くものです。その気持ちが、相手の弱点探しに駆り立てることになります。『共産党宣言』はマルクスが30歳の時のアジテーション文書です。マルクスは出来れば大学の教員になりたいと考えていました。学者的な良心が資本主義の研究に向かわせたのだと思っています。

 

    社会科学の分野は、価値観や定理が常に変わる

 経済を分析したからといって、そこから政治的課題が出てくる訳ではありませんましてや、革命理論など導き出せるはずがありません。政治学と経済学は、学問体系が違います。便宜的に連動する訳ではありません

  SNSを見ると、各地で共産党関係者と思われる人たちが『資本論』の学習会を開いているようです。あくまでも、経済学の古典と思って読む分には良いと思いますが、そこから現代に通用するような法則を見出そうという読み方はくれぐれもしないようにした方が良いと思います

  経済は生き物のように刻々と姿を変えています。今、この瞬間にも、新しい何かが生まれているかもしれません。いかにマルクスと言えども、それを見越して時代を超越した法則を語ることを期待する方が無理というものです。ただ、自然科学の分野は別です。数学や物理の定理は、多分これから500年後、1000年後でも変わることもないし、通用するでしょう。ただ、社会科学に関わることについては、価値観が常に変わって当たり前の世界なのです

だから、社会科学についての言説を金科玉条のように絶対にかわらない普遍的な理論であると考え始めると、自分自身が逆立ちをし始めます。

  かつてマルクスは「ヘーゲルは逆立ちしている」と批判したことがありました。ただ、今の状況を見ると、現代において逆立ちしているのは、共産主義者たちです。

  

 IT企業のGAFAはデータを集積して巨大な富を得た

 今や時代は、資本が経済の「主流」から外れようとしています。どういうことか。資本というのは、土地、工場、機械、財を前提にした言葉です。ところが、現代の経済の主流は、サービス、データ、情報といったものが多くの価値を生み出していますし、「勝負」をしている「場」はまさに目に見えない空間です。

  多くのものが、空間の中にある市場(しじょう)でやり取りが行われています。そのため、「搾取」という概念が成り立ちません。必要労働、剰余労働をどうやって分ければ良いのでしょうか。それらは、資本家に雇われている工場労働者がモノを作っているという前提で成り立つ概念です。そういった雇用形態は、資本主義の成熟期にかけて普通にあったと思われますが、現代の先進国では主流ではありません。

  鬼滅の刃の興行収入は、現在270億円だそうです。労働価値説、必要労働、剰余労働、搾取を使って説明して欲しいと思います。

 GAFAと呼ばれるIT企業4社の時価総額は、530兆円を上回っている。その金額は、日本のGDPの額にほぼ相当します。その膨大な富はどのようにして蓄積されたのか。もちろん、労働力ではありません。富の源泉は、サービスで得たビッグデータです。データを大量に集め、分析を加えることにより経済的価値をもつことを利用して、富を集積したのです。マルクスですら、予想もしなかったような価値の生み出し方です

 今、日本はIT技術者が不足気味です。資本論を学習する時間があるならば、情報処理技術者試験にチャレンジしませんか。昨年は、75歳以上の方が7人受けて、3人合格しています。経済の化石の理論を学ぶよりも有益だと思います。

読んでいただいて、ありがとうございました。

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