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かつてのベストセラー『国家の品格』を再度読む / 情緒と武士道

  • 2020年4月23日
  • 2020年4月23日
  • 歴史
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「本棚を整理していたら、藤原正彦氏が書いた『国家の品格』(新潮新書)が出てきたので、紹介するために持ってきました。当時、ベストセラーになったのだけど、知っていますか?」

女性

「何年前のことですか?」

「えっとねえ、2005年出版とあるので、15年前ですね」

女性

「花の女子大生の頃ね。ルンルンしていたので、そういうお堅い題名の本は無縁だったわ。ところで、その方は、何が専門なのですか?」

「数学が専門ですね。ただ、アメリカ、イギリスに留学していてそちらの話もあるので、興味をもつかなと思ってね。それから、お父さんが作家の新田次郎です。ご存じでしたか?」

女性

「名前程度です」

「八甲田山を書いています。映画を観たので、覚えているのですが」

女性

「じゃあ、文才がおありでしようね。この帯に「すべての日本人に誇りと自信を与える 画期的日本論」とありますよ」

「彼の提言は、まだまだ有効だと思います。ここに、こう書いてあります。「いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである」と」

女性

「「情緒」というのが、今一歩分かりにくいのですが……。」

「日本人が古来よりもっている自然に対する感受性とか、美を感じる心と言っています」





 情緒について

世界的な数学者の岡潔(おかきよし)氏(1901-1978)が生前に自身の著書などに、いろいろ書き遺されたものを後になって関係者が『情緒と日本人』(PHP研究所.2008年)という表題で出版されています。

彼の、情緒について述べている文章を紹介します。

・人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です(同 13ページ)

・すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。
これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。(同 14ページ)

・日本民族は情の民族である。人と人との間によく心が通い合うし、人と自然との間にもよく心が通い合う。この心を情というのである。日本民族は情によってつながっているのである。(同 76ページ)

心の働きというのは、高次元の働きなので、それに対応する的確な言葉がありません。そのため、いろいろな角度からの説明を載せさせていただきました。これでおよその見当をつけていただきたいと思います。

岡氏や藤原氏が情緒ということについて、重ねて説明したりしているのは、そこがすべての「原点」だと思っているからです。理屈ではないのですが、敢えて言えば惻隠の心であり、武士道です。つまり、「弱い人や困っている人を助けるために、何とかしなければいけない」という気持ちです。そこを出発点にする必要があるということです。その原点が狂ってしまえば、その後論理的に考えたとしても、すべてそれは意味がないであろうということなのです

抽象論になっているので、具体的に考えてみましょう。要するに、心が動いたところから始めましょうと言っているのです。環境問題であれば、イルカがプラゴミを呑み込んでしまった、何とかしなければいけない。そこから始めて、プラゴミが海に流れるルートを調べて、防止法を作成し、行政が動くという流れになると思います。これを「ケース1」とします。

それに対して、例えば国際機関からSDGsと言われ、それに基づいて防止法を作成し、行政が動くということもあると思います。これを「ケース2」とします。同じ動きなので、出発点はどうでもいいのではないかと思いがちですが、「ケース1」でなければダメと説きます。その理由は、何故でしょうか。

イルカへの気持ちが原点となっています。これが、問題を最終的に解決させる力(エネルギー)となります。「ケース2」は弱いのです。「知には情を説得する力がない」(前掲書 111ページ)からです。


 情緒を育むのが武士道精神

 「情緒を育む武士道精神」(藤原正彦 前掲書116ページ)と、言っています。武士道精神というのは、簡単に言えば「弱きを助け、強きを挫(くじ)く、そして武士は喰わねど高楊枝」ということだと思います。つまり、何かを判断する時は、常に社会的に弱い立場の方に立つ。つまり、金勘定で動くことはなく、義理と人情を優先とする生き方ということです。この反対が、論理優先の生き方となります。

昨日、このような「事件」が実際にありました。ある妊婦が里帰りをしていたそうです。破水してしまったので、救急車を呼んだそうです。いくつかの病院に対して入院の受け入れを要請したところ、マニュアルに従ってPCR検査の結果、陰性でなければいけないということを言って、すぐには受け入れなかったそうです。

破水という緊急事態にも関わらず、あくまでも陰性ということに最後までこだわったのです。こういうのを論理優先のやり方と言います。破水して、場合によっては母子ともに命の危険があります。陽性、陰性と言っている場合ではないので、そちらを優先しなければと情緒が働き、それを育むのが武士道精神ということなのです。




 明治維新の根底には、武士道精神が流れていた

武士道とくれば新渡戸稲造が有名ですが、彼が『武士道』を書いたのは、1899(明治32)年です。この言葉が海外に広く伝わったのは、彼の著書のお陰と言われています。というのは、彼の『武士道』がアメリカで出版されるや否や、現地では大評判になったからです。セオドア・ルーズベルト大統領は感激の余り何十冊も買い込んで、知人、友人に配ったというエピソードが伝えられています。

武士道の起源を辿っていくと、中世以来の考え方を継いだ山本常朝(1659-1719)の「武士道といふは死ぬことと見付けたり」(『葉隠』)に行き当たります。いかに綺麗に死ぬか、そこに武士の美学を求めたのでしょう。それに対して、いかに生きるかを説いたのが山鹿素行(1622-1685)でした。彼は士道(しどう)ということで、戦乱の時代ではなく、平和な時代における武士の生き方を提唱したのです。つまり、社会のリーダーとして正しい人倫の道を歩むことを求めたのです。

このような武士道精神が、大きく社会の中で動いたのが幕末でした。その頃、日本が欧米列強の標的となります。江戸幕府はアメリカの圧力に屈して開国します。その後、同じような内容の条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスと結ばされます(安政の五か国条約)。これらの条約は関税自主権がなく、不平等条約でした。軍事力をバックにした半ば強制的な開国だったからです。

貿易が始まりますが、金銀の交換比率が日本では1対5、外国では1対15と開きがあったため、金が大量に流出をするということが起きました。どういうことか、外国人は銀貨を大量に持ち込んで金貨に替え、その金貨を外国で銀貨に替え、それをまた日本で金貨に替えるということをしたのです。10万両以上が海外に流出したといわれています。

政治的、経済的、軍事的な危機を肌で感じとった武士たちが立ち上がります。これが明治維新です。維新の担い手は主に下級武士です。この明治維新を革命と言う人がいますが、維新を推進した主体である武士階級は、明治の時代には無くなります。
市民革命というのは、市民が主体となって革命を起こし、自らが権力を握ることを言います。革命というのは、そういうものなのです。だから、明治維新は革命ではありません。自らの利益を度外視して、武士道精神が社会的に発揮された一大改革運動だったのです。
明治維新では、変革を起こした人々が、『変革の果実を貪る』という醜い現象が、ほとんどおこらなかった」(松浦光修『明治維新という大業』明成社.2018年/172ページ)のです。

版籍奉還(1869)、廃藩置県(1871)が行われ、四民平等となり文明開化の時代を迎えることになります。西欧列強に対抗する国づくりを急いでしなければ、日本がなくなってしまう、そのような切迫感のもと明治の改革が進められたのです。

その根底には、利他の精神である武士道精神が流れていたのです

読んで頂きありがとうございました




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