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わいせつ教員増加中 / 教員養成システムを根底から考える時期

女性

「児童生徒らへのわいせつ行為で処分される教員が後を絶たないそうです」

「文科省はそういった行為をする教員に対しては、懲戒免職で対応して欲しいということを教育委員会に伝えているようです」

女性

「それでも数的には、減る兆しが見えないということです」

「対症療法的な対応になっています。根本の理由を見つけて、そこでバルサンを焚かないとダメだと思います」

女性

「何ですか? そのバルサンというのは?」

「まあ、余り深く考えないで下さい(笑)。とにかく、組織的に対応すべき時に来たことは確かです」

女性

「教員養成の在り方ですが、戦前のように師範学校のようなものを作った方が良いのですか?」

「戦後75年も経っていますので、元のようなものをつくる訳にはいきません。ただ、ある程度閉鎖的な部分を残しながら、教師としての資質と能力向上のためのシステムを考えるべき時が来たと思います。単なる、ティーチングマシーンでは、これからは淘汰されることになると思います」

女性

「ティーチングマシーン+α ということですね。このαは具体的に何でしょうか?」

「子どもたちに説教をすることができる、子どもたちに伝記を伝えることができる。そして、朝礼で訓話を垂れることができるということです」

女性

「なるほど、人生を語ることができる教師ですね。ウチの社長は朝礼が大好きです。訓話をよく垂れます」

「校長先生が適職ではなかったでしょうか?」

女性

「若い時に迷ったそうです。親父の会社に入るか、教師としての道を歩むかを」

「いろいろありつつも、今は故郷の名古屋で家の家業を継いだということですね」

女性

「ここからが本論です ↓」




 わいせつによる懲戒免職者にも復職の道あり

わいせつ教員という言葉が生まれるほど、教え子にわいせつ行為を働く教員が多くなったということです由々しき事態です。さらに問題なのは、そういったことに対して、国として組織的に対応する気配が全くないことです。かつて、2011年の菅直人内閣の時に、衆議院で木村太郎氏(自民党)から「教員の不祥事」について質問がありましたが、それ以来、国会では誰も質問をしていないのです。

データを見れば、一目瞭然ですが、着実にわいせつ教員が増えています。その数が余りにも多いため、保護者たちがつくっている「全国学校ハラスメント被害者連絡会」などは、わいせつ行為で懲戒処分を受けた教員を2度と教壇に立たせないようにするために、教員免許の再交付をしないように求める署名を文科省に提出したのです。

どういうことか。現行の教員免許法によると、懲戒免職となっても、その時点で免許は失効するのですが、3年後に取得できてしまうのです

殆ど歯止めになっていないということです。そもそも、自動車免許とか調理士免許といった免許資格と同じような感覚で教員免許を捉えているきらいがあります。だから、10年ごとの更新講習が出てきたのだと思います。

 

 開放免許制は、教員の劣化を生んだ

戦前は師範学校で専ら教員養成を行ったのですが、戦後は教育学部の学生でなくても、教職過程を履修して、所定の単位を取得すれば教員免許を取得できるようにしたのです。

そもそも、教育学部の在籍生徒数が19万人です。4学年で割ると、およそ5万人です。現在の大学受験者が50万人ですので、大学生の約10人に1人が、教育学部の字生ということになります。ただ、教育学部に在籍していたからといって、そのまま教員になれる訳ではありません。他の学部生と同じ土俵に立って採用試験を受けることになります。仮に教員になったとしても、何か特典がある訳ではありません

強く教員を希望している生徒以外は将来のこともあるので、自分の適性学部もしくは進むことができる学部に進学し、成り行き次第で教職をとり教員の道もその時に考える、という行動パターンが多いと思われます。かつては、そのようにして教員になった者たちを少し軽蔑的に「デモシカ教師」と言ったのですが、殆どがそういう教師ばかりとなり、そういう名称をつけること自体が無意味になり、死語になりつつあります。

 

 「デモシカ教師」主流時代

教育に手を抜けば子供が壊れ始めます。その壊れた子供たちもやがて大人になります。人間は自己教育力がありますので、自分で軌道修正をすることもありますが、そういうことができる人はせいぜい10人に1人いるかいないかでしょう。

人間のつくる社会は、建物と同じで、目に見えないところで、徐々に崩れていき、ある時臨界点を迎えて一気に崩れます。がけ崩れと同じで前兆が現れます。がけ崩れの場合は、小石が落ちてきたり、水が流れ出たりという前兆が起こるそうですが、人間のつくる組織も同じです

不登校、引きこもり、児童・生徒の自殺。これらがコンスタントに増えています。そして、ハレンチ教員も増えています。ハレンチ教員の出現は、天がレッドカードを出したと読むべきなのです。今の教員養成システムでは、21世紀を乗り越える人材を育成できないと思っています

 

 教師は人の生き方を常に説くことができなければいけない

文科省という行政省庁が、教育行政をリードすることはできないと思っています。「3ない省庁」だからです。職員は教員免許をまずは持っていません。現場の経験がないので、子供たちを具体的なイメージとして思い浮かべることができないと思います。教育学部出身者が殆どいないので、教員が何をする人なのかということも分かっていないと思います。

教育学部以外から教員になった人は、教員は子供たちに勉強を教えるのが仕事と思っている人が多いのではないでしょうか。そこに大いなる誤解と錯覚が生まれます

教員は人間を育てるのが第一の仕事です。どうやって育てるのか。ここで膨大な教育学の体系を展開することはできませんが、近代に入って子供の発見、人間の発見ということが起きます。つまり、人間という生き物が極めて複雑怪奇なものであることが分かってきたのです。単純に勉強だけ教えていれば、上手く育つ訳ではありません。もちろん、そういう子もいます。すべて個性があり、一人ひとりを見極めて、その子にあった教育を施さないと能力を伸ばすことはできません。

つまり、その子の個性をどのように見極め、そのためにはどうすれば良いのかということを考えることができる教師を養成する必要があるのです。そして、一人ひとりの子供を見る時に、勉強の出来不出来よりも、実は個々人の能力の見極めが大事なのです。さらに、それを行いつつ、子供を集団として捉えて引き揚げることをしなければいけません。

それでは、それを見極め、集団指導ができる教員はどのような教員でしょうか。絶えず自分なりに向上心をもち、自分の人間性や能力、さらには教科の専門性を高めるために努力をし続ける人です。わいせつ教員は論外ですし、そういった人間を量産しているシステム自体に問題があるのです

 

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