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日本学術会議問題 / 民主的に選ばれた政府に協力をするのは当然のこと

女性

「日本学術会議問題ですが、収まる兆しが見えませんね」

「国会の閉会中審査で議題にして、理解を得ようとしたのでしょうが、問題は収束するどころか、逆に拡大しています」

女性

「普通は話し合いをすれば、事態は収拾に向けて動くはずだと思うのですが……」

「それが会議をする意義だと思います。話し合って、問題が拡大し、対立も先鋭化するならば、話し合いをする意味がありません」

女性

「ただ、この間の国会の議論を見ていると、上手く話し合って解決したということが、余りないのではないでしょうか?」

「というか、国会議員、特に野党議員の話す態度を見ていると、まるでケンカ腰です」

女性

「あれでは、政府側も委縮して間違わないように答弁しなくちゃいけないということで、うつむいてしゃべることになりますよね」

「そして、間違えるということですね…(笑)」

女性

「確かこの前、『会員任命』を『全員任命』と読み間違えて、陳謝していましたよね」

「変にプレッシャーをかけるから間違えるし、上げ足を取ろうとしていることが分かれば、一般論だけで答弁を済まそうとします」

女性

「国会を与野党対決の舞台と考えているのだと思いますが、もう、そんな時代ではないと思いますけどね」

「普通の言葉で、普通に話し合って、一つひとつ解決していく。そういう国会の姿を見せて欲しいと思います。あれでは、生徒に見なさいとも言えません」

女性

「お互いアジテーションしているだけですからね」

「あれが恰好良いと思っているのでしょうかね。こういうことが続くならば、国会審議そのものの意味が問われる時が来ると思います」

女性

「意見が一つにまとまることがなく、開くたびに対立が深まり、国政が不安定となり、国民の政治不信が高まるという悪循環が生じるだけですものね」

「規制改革ではなく、奇声改革から始めろということですね」

女性

「ここからが本論です ↓」




 時代に合っていない、「日本学術会議法」の前文

日本学術会議法は、1949(昭和24)年に制定されました。その前文には、「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と連携して学術の進歩に寄与することを使命とし……」とありますが、時代にそぐわない文言がいくつかあります

まず、「平和的復興」という言葉が合っていません。これはたぶん、戦後復興を科学者たちの力を借りて、国の再建を始めて欲しいという気持ちがそこにあったと思いますが、時代に合っていないことは確かです。

そして、「人類社会の福祉」、「世界の学界と連携」とありますが、「日本」の学術会議として、まずは日本のことを第一に考えて欲しいと思います。ましてや、日本の周辺の国家で言えば、500とも1000基とも言われる中国や北朝鮮のミサイルが日本を射程として配備されている現状があります。

学術会議は2015年に中国科学技術協会と協力推進の覚書を交わしていますこの非常識とも思えるような措置も、「世界の学界と連携し……」という前文の文言からすれば別におかしいことではないのです。

そもそもこの前文の考えている世界観は、日本国憲法の前文の世界観と同じです。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、……」と憲法前文は謳っていますが、もう今や世界は「お花畑の世界」ではありません。無防備に世界と連帯することは、場合によっては「われらの安全と生存」(憲法前文)を脅かすことに繋がることもあります。それを深く自覚する時でしょう。

そして、「世界の学界と連携」とありますが、世界は一つにまとまっている訳ではありません。むしろ現在は、米中を軸に対立が深まっています。そういう中で「ノー天気」な振舞いは、却って混乱を拡大させることにも繋がりかねません。

 

『朝日』や『毎日』に欠落しているのは、日本の安全保障の視点

この間、連日のように『朝日』、『毎日』は日本学術会議の問題について報じていますその捉え方は、国家権力の干渉であり、学問の自由の侵害であるという立場です。『毎日』の「社説」は戦前の滝川事件や天皇機関説事件を引っ張りだして、当時は多くの科学者が政府に協力させられ、協力しない者に対しては弾圧で臨んだということです。ただ、戦前の政府は、制限選挙によって成立した政府であり、現在の政府と単純に比較することは間違っています。

現在の政府は、普通選挙によって民主的に選ばれていますし、菅内閣の支持率は世論調査によると約70%です。国民の多くの支持を得ている政府に対して、反対の立場を取ろうとするのは基本的に間違っているのではないでしょうか。ましてや、会員の身分は国家公務員に準ずるということで、手当も年金も支給される身分です。政府の要請に応えて、職務を遂行するのが本来の役割だと思います。

それにも関わらず、日本学術会議は政府の意向とは逆に、2017年には「軍事技術に転用可能な技術開発をしない」旨の声明を発表するに至りました

 

 軍事的な技術かどうかは、研究段階では判定できない

形式論理的には、軍事技術と民生用の技術というように分かれますが、これが実際の社会の中では混在することになります明確に分けることはできないのです

例えば、ダイナマイトを発明したのがノーベルですが、彼はトンネル建設などの土木工事に使われれば、早く・安全に掘削できる道具としての利用を考えたのです。しかし、それが武器として使われ、多くの人命が失われることになります。ついでに言うと、ノーベルはダイナマイトの特許料で世界屈指の資産家になったのですが、その資産を様々な分野で世界的に活躍した人たちの褒賞として使って欲しいという遺言を残してこの世を去ります。

ナイフも果物を剥くためには便利な道具ですが、凶器に使われたりします。そういう危険性があるから、作らないとなると、話としてはおかしいと思います。そういった例で分かるように、技術や道具そのものには意志がありませんので、研究開発段階で止めるのは間違っています。ましてや、声明を出すことは、それこそ学問の自由の侵害にあたります

学問研究や技術を平和的に利用できるかどうかは、政治の問題です。だから、科学者が力んでも、どうにもならない問題なのです。

そして、日本の平和ということであるならば、日本の政府に寄り添い、信頼関係を築きながら、協力をするということが日本学術会議としての正しい在り方ではないかと思います

世界平和を言いたいのは分かりますが、それを言うような時代ではないことを深く認識して欲しいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。

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