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ミャンマーの独立に助力した日本 / 独立の父「ウ・オッタマ僧正」は親日家だった

女性

「ミャンマー(かつてのビルマ)で大変な事態が起きたようですね。向こうでも、非常事態が宣言されたようです」

「ちなみに、あちらの非常事態宣言は、コロナではなく軍事クーデターの勃発によるものです」

女性

「かつても軍部が政権を握ったことがありますよね」

「ミャンマーは戦後に独立して、その後軍事政権になり、80年代にアウンサンスーチーを指導者とした民主化運動が起きて、現在に繋がっていたのですが、それがここでまたひっくり返されたということです」

女性

「どうなるのでしょうか? 中国がバックについているという噂も流れています」

「つい最近、習近平主席がミャンマーを訪問していますからね。軍部関係者と会ったことは確認が取れています」

女性

「国連で緊急に安全保障理事会が開かれるようです」

「国連は何も出来ないでしょう。東南アジア情勢が今よりも緊迫するでしょうね」

女性

「ミャンマーは、日本と関係が緊密な国と聞いたのですが……」

「親日の国ですね。そんなこともあり、日本企業も多く現地に事業所や工場を構えています」

女性

「根強い日本語熱もあるようですし、親日の理由は何ですか?」

「余り知られていませんが、日本がミャンマーのイギリスからの独立運動を支援したことを多くの国民が知っているからです」

女性

「そうなんですか。私は、『ビルマの竪琴』くらいしか思い浮かびませんでした」

「『ビルマの竪琴』は小説家の竹山道雄さんが手掛けた児童文学ですが、彼の戦場での体験が元になっています。彼は、ちょうどビルマ、今のミャンマーで終戦を迎えています。反戦がモチーフになっています」

女性

「映画にもなっていますよね。改めて、観たいと思っています」

「本論で、日本とミャンマーとの歴史的な繋がりについて論じたいと思います ↓」


 日露戦争の勝利がミャンマーの人々を勇気づけた

日露戦争(1904~05)の勝利の日、それはイギリスの植民地だったミャンマーが歓喜で震えた日でもありました。アジアの小国である日本が、ロシアを破ったからです丁度その時代のアジアは、欧米列強の植民地の標的になっていました。もちろん、日本も例外ではありません。実際に、戦前のアジアにおいて、独立を保つことが出来た国は、タイと日本しかありませんでした。

ただ、日本も近代化が少し遅れていれば、西洋のどこかの国の餌食になっていたことは間違いありません。大陸の狩猟民族は本質的に領土拡張主義の政策をとります。ロシアはその典型的な国です。食うか食われるか、日清戦争、日露戦争はそういったぎりぎりのところで行われた攻防戦でもあり、国の行方と興亡を占う重大な戦争だったのです。

 巨大な軍事力を擁する帝政ロシアに、東洋の一小国日本が孤軍奮闘、ついにこれを打ち勝ったというニュースは、同じアジア民族であるビルマ国民に深い感銘を与えることになります。西洋人に対して、アジア有色民族が初めて勝利をしたことが彼らを勇気づけることになります

 

 独立運動指導者「ウ・オッタマ僧正」は、3年間日本に滞在

ミャンマーの高僧「ウ・オッタマ僧正」がイギリスの弾圧を避けるため、さらにはロシアを破った日本への憧れ、さらには独立運動の学びのため日本に渡日します。1910年(明治43年)、日露戦争から5年後のことでした。

彼は名古屋の豪商、松坂屋伊藤次郎左衛門との数奇な運命的出会いとサポートもあり、日本に3年間滞在することになります。一時期、東京帝国大学文学部で、仏教哲学とパリー語について教えています。この3年間の日本遊学をもとに書かれたのが『日本』という書です。

この書は、ビルマの青年やインテリ層の間で貪るように読まれたと言われています。そのため、ビルマにおける日本の声望が大いにあがり、日本に憧れ、日本に留学する学生は急激に増加したのです。親日の土台が、そのように築かれていったのです

 ウ・オッタマは、この書の結論として、「日本の隆盛と戦勝の原因は、英明なる明治大帝を中心にして青年が団結して起ったからである。われわれも仏陀の教えを中心に、青年が団結・蹶起すれば、必ず独立をかちとることができる」と説いたのです彼はインドのガンジーとも連絡をとり、ビルマの独立を要求する運動をイギリスに対して起こしますが、最後は終身禁固刑を受け、1939(昭和14)年に獄死します。

 ミャンマー独立の陰に日本の助力あり

この「ウ・オッタマ僧正」の遺志を受け継ぎ、独立運動を担ったのが「30人の同志」たちだったのですその中の一人がスーチー氏の父親のオン・サン(アウンサン将軍)なのです当時のミヤンマーは、独立運動と日英の戦争が複雑に絡み合いますが、独立運動を日本が助けます。もともと、この戦争は日本にとってアジアの解放が目的だったからです。

 



イギリスの大弾圧を受けて捕らえられていた青年たちを日本軍が救出します。「30人の同志」を核にした独立義勇軍はイギリスを駆逐して1943年に民衆の歓喜と涙の嵐に迎えられます。

この辺りの下りについて、「30人の同志」の一人で後に首相になったバー・モウ氏は『ビルマの夜明け』という書の中で「外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たちがそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまった。そして、それを変えたのは日本であった」とし、「真実のビルマの独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日であり、真のビルマの解放者は、東条大将と大日本帝国政府であった」としているのです。

ミャンマーの国の軍隊は今でも日本の「軍艦マーチ」を演奏し、「歩兵の本領」とか「愛馬進軍歌」という日本の軍歌を演奏します(これらはユーチューブで聴くことができます)。「軍歌=軍国主義」という単純発想ではなく、そこに書かれた歌詞を純粋に読むと、日本の美しき風景と気高き心情が読み込まれた愛国歌だということが分かります。そのような軍歌を今でも演奏するのは、何故なのか。余りそういったことは知られていませんが、簡単に言えば、ともに欧米の植民地主義に対して闘った「仲間」だと思っているからです。

ただ、クーデターを決行する軍隊には、日本の「軍艦マーチ」を演奏して欲しいとは思いません

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