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堺屋太一氏の『知価革命』を読む / 35年前に現代のアメリカ、日本の姿、IT産業のことを予測

「堺屋太一さんを知っていますか?」

女性

「名前はよく知っています。最近は聞かなくなったのですが、まだご存命ですか?」

「いえ、実は昨年亡くなられました。1935年にお生まれになっていますので、83歳の生涯でした。通産官僚でもあり、小説家、評論家としても活躍されました」

女性

「今、ちょっとインターネットで検索してみました。旧通産省時代の1970年に大阪万博を手がけているのですね。『団塊の世代』の名付け親だそうです」

「実は、彼が書いた『知価革命』を読み直して、その先見性に感嘆をしています」

女性

「その本はいつ出版されたのですか?」

「1985年なので、今から35年前ですね」

女性

「今の時代を予見した内容になっているのですね」

「ほぼ、当たっています。彼にとって予想外なのは、中国でしょうね。この書を書いた時、経済的には、中国は相手にしなくてもよい国という認識だったと思います」

女性

「中国と友好条約を結んだのは何年でしたっけ?」

「1978年ですね。この年から、貿易についての協定も結ばれ、日本企業はこぞって大陸に進出するようになります」

女性

「中国が西側諸国と付き合い始めた頃ですね」

「当時の日本は、経済的に中国は眼中にないという態度だったと思います。そのことは中国に対してODA (政府開発援助)を実施していたのを見れば分かります。1979年から2016年度まで、総額3兆円以上の資金協力をしています。そしてさらに技術協力までしてきました」

女性

「結局、良かれとした援助が軍事費にまわったりして、自分の首を絞めることになっているのですね」

「ある意味相手をみくびっていたと思います。そういうことを含めて、時代の流れを読み、長いスパンで様々な政策を考えることが必要です」

女性

「堺屋さんが正確に未来予測できたのは、何故だと思いますか?」

「一言で言えば、彼は歴史に学ぼうとしています。世界史、日本史は当然のこととして、生活史の造詣が深いことが分かります。そういうバックグラウンドがあるため、正確に判断できたのだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 『知価革命』を読む――日本の「つまづき」を予測

この書を出版した目的について、堺屋氏は「遠くはない未来にはじまるであろう次なる社会『知価社会』の予測」(堺屋太一『知価革命』PHP研究所、1985年)であると言い、「各個人とその集団が、上手に対応するためには、早くかつ総合的に、その本質を知っておくことは有益」との判断からと言っています。

ただ、恐らく、この書が出版された当時は、そこで語られている未来像について、多くの人は理解できなかったと思われますし、当時の日本はあらゆるすべてのことと言っても良いくらい順調でした。政治的にも安定していましたし、経済的にも順風満帆な頃です。

「今日、高度の科学技術と豊かな物財にとり囲まれた先進工業国の真只中に生きるわれわれは、現代の社会、つまり『高度に発達した工業社会』こそ人類史上最も進んだ世の中と信じて疑わない」(堺屋太一 前掲書、139ページ)と思ったのは、多くの日本人だったと思います。できれば、そこでいつまでも安住したいと思ったかもしれません。しかし、この世界は競争社会です。そうはいきません。油断すればウサギでも、追い抜かれるはずのないカメにも負けてしまうのです。

ちょうどその頃に、社会学者のエズラ・ヴォーゲル著の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)が出ます。この書が販売されたのが1979年です。当時70万部を超えるベストセラーになったのですが、副題に「Lessons for America」とあるように、アメリカが日本に学ぶ点は何かという観点から書かれた書なのです。

 世界一の経済大国のアメリカが日本に学ぶべしと言い始めたのです。自信をもった日本は、この路線、つまり工業社会を継続することこそが日本の生きる道と思ったかもしれません一つの成功体験があると、それにこだわるのは、人間も国も同じです。守りの姿勢から革新的な考えや技術は出にくいものです。このように周りの国が日本を手放しに高く評価していた時代にあって、それを冷徹な目で日本の進むべき道と日本の「つまづき」を堺屋氏は見事に予測していたのです。

 コンピューター・コミュニケーションの世界を予見

現在のようにSNSによって不特定多数の人と人が繋がったネットワークによってコミュニケーションを交わすようになるとは、当時は殆どの人が予想もしていなかったと思います

しかし、彼は機械というものは、今あるものの代用として現れながら、必ずそれを乗り越えて発達していく歴史を見つめる中で、コンピューター・コミュニケーションの発展の可能性を予測していたのです

少し長いですが、紹介します――「今、コンピューター・コミュニケーションは、郵便や電話やテレビの延長として考えられている。双方向テレビによるホームショッピングはカタログ販売の延長であり、劇場や列車の切符予約は電話予約の延長である。……これらのシステムが実現して10年か20年後には、全く違う利用分野が開発され、それに則した改良がなされていくだろう

それが何であるかは、現時点では誰にも分からない。だが、これらの機器とシステムのもつ機能的本質はほぼ分かっている。それは『知識』を蓄蔵し加工し伝達する道具である。近い将来、「第五世代」といわれる類推機能をもつコンピューターができれば、さらに「知識」を「知恵」に変えることもある程度は可能になるかもしれない。……」(堺屋太一 前掲書、207ページ)。AI(人工知能)のことについても予測しています。

そして、その知識をデータとして分析したり、加工したり、集めることにより新たな価値を生み出すことも言っています

「私はここで『知価』という新しい概念を持ち出した。それは文字通り『知恵の値打ち』『知恵によって創られる価値』である。より厳密に定義するならば、『社会の仕組みや社会主観に適合することによって社会的に認められる創造的な知恵の値打ち』」(堺屋太一 前掲書、210ページ)と言われます。まさに現代、そういったものを富の源泉にして、アメリカには巨大企業にのし上がったいくつかのIT企業があります

 アメリカの大いなる可能性と日本の危険な兆候

最後に、堺屋氏は新しい知価社会を日本は創ることができるだろうか、という命題を立てますアメリカと日本の両者を比べながら、分析的に筆を進めます

結論的に言うと、アメリカは大いなる可能性が高い。その根拠としてあげているのが「変化への強い欲求を示している」(堺屋太一 前掲書、293ページ)と言い、「アメリカ社会には、外国からの人と資金の流入が、日本と比較にならないほどに贅沢だ」(同上)、さらに「この国の自由競争社会の活力と相まって、今、『知価革命』の凄まじいエネルギーを生んでいるといえる」と指摘します。

片や日本はどうかということですが、2つのことが足を引っ張るだろうと言っています。1つが、戦後の成功体験、もう1つが、政府依存の体質と様々な規制です

前者に絡んで、「この国には、いまなお物財生産こそ社会の最も重要な活動であり、『知価創造』はそれに付随する『虚業』に過ぎないという考え方が、支配的な建前として生き続けている」、そしてその考え方は日本の社会を支配し続ける老人だけでなく、安定した大企業への就職を第一と考える青少年たちの中にも残っていると言います。

そして、実は、これらの指摘は、そこから35年経った現在においてもほぼ当てはまっているのです。意識改革の必要性を感じます

読んでいただき、ありがとうございました。

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