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大学共通テストへの変更が不要な理由をわかりやすく解説! センター試験の継続で良い

 

「一部の受験会場でちょっとしたミスがあったくらいで、最後のセンター試験が無事終わりましたね

 

「いつぞやは、大雪に見舞われて大変な年がありましたが、今年はそういったこともなく、良かったと思います」

 

「来年から大学共通テストということですが、また天候のことを心配しなければいけないですね」

 

全国一斉実施の怖さを来年からも背負うことになります。天候だけでなく地震といった自然災害の心配もあります。そういう危険性もあるし、本来大学入試は、各大学の責任で個別に実施すべきものであって、共通テストなんていうものはいらないと思います。今のセンター方式、つまり、使う大学は使うし、使わない大学は使わないで良いと思います」

 

入試を変えることにより、教育を変えると言っていますが……」

 

「その発想自体がおかしいと思います。教育を変える必要があると考えるならば、教育課程を変えれば良いだけの話です。入試のやり方やレベルを変えても、それに中学や高校側、あるいは受験生が対応できるとは限りません。入試万能論の立場に立って、そこから教育を語るのは本末転倒です。入試はあくまでも、その時点での受験生のおよその実力をはかっているだけのものです。」

 

女性
「かつて、マークシートが導入された頃は、そのような選択問題だけの試験で人間の能力を測ることができるのか、といった意見もありましたよね」

 

「選択問題ですから、当然、中にはまぐれ当たりもあります。正確に測れるはずがありません。あくまでも『目安』と割り切って、大学側が利用すれば良いだけの話です」

 

女性
高大連携という言葉を聞きます。大学側は、受験生の本当の実力を正確に測って入学させたい、そして出来るだけ高いレベルの受験生を採りたいという気持ちが強いのではないでしょうか

 

高大連携という言葉自体、ナンセンスだと思っています。高校までは勉強をするところ。言葉を変えると、一般常識を学ぶところ。大学は学問をするところで、一般常識を疑うところですそして、新たな原理、法則を発見、研究するところです。目的が違う組織なので、連携する必要はないと思っています。勉強が出来る人間が、学問が出来るとは限りません。学問は問題意識があるところに成立しますが、勉強は問題意識がなくても良い成績を取ることができます。教科書に書いてあることを理解し、暗記すればよいだけの話です。勉強ができる人間が優秀で、学問もできるだろうと考えるのは大いなる錯覚です

 

「錯覚、ですか……」

 

「その錯覚に基づいた上で、入試万能論の立場から大学入試改革を論じるので、迷走することになるのです

大学入試センター試験の目的ですが、ホームページによりますと「高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的」とあります。かつて大学入試を各大学で行っていた時に難問、珍問、奇問の出題で批判が起こり、そこから共通一次、そしてセンター試験という経緯から設定された目的だと思います。実際に、選択問題で難問が多く出されれば、判定の正確度は下がることになります。

ところが、そのホームページには、その後に「各大学が、それぞれの判断と創意工夫に基づき適切に用いることにより、大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定することに資するものです」と書かれています。前半の記述と、後半の記述は問題を作成する際に矛盾として生じます。出題者はどちらにシフトして問題を作成して良いのかが分からないし、現場も受験生もどちらなのかが分かりません。

センター試験を開始してから約30年になりますが、最初のうちは基礎的なテストであったものが、段々難化していったというのが、現場の印象です。今年の数Ⅰの問題が象徴的だと思います。社会科も全般的に枝葉末梢の事柄を扱っている問題が多いと思います。日本史はそれにプラスして反日的な彩(いろど)りを問題に入れています。

今後は、外国人労働者の子弟が受験するようになると思われます。中学卒業後に受けたとしても20~30%位の点数がとれる位の作問を考える必要があります。社会の流れを考えた場合、仮に全国共通テストを行うとするならば、資格試験的なものにならざるを得ないと思います。

大学入試改革の声は、大学側から聞こえてきます。その背景には、①入学生の基礎学力が低くなっている ②明確な目標がないまま入学してくる者が増えた ③講義ノートを満足に取れない、レポートを出すことができない といった事例が増えその解決を入試制度に求めようとしているというのが大方の流れだと思います。

ただ、その問題の解決のためには、教員養成のあり方や小学校から高校までの教育課程全般を見直す必要があります。

入試問題に記述式を導入したからといって解決する問題ではありません。根が深い問題なので、対症療法的な発想で乗り切れるような問題ではありません。敢えて、乱暴な言葉を使わせて下さい。「文科省は大学入試をいじることを考えるのではなく、まず、公立の小・中学校を何とかしろよ」(チコちゃんのノリでお願いします)。ビントが外れているとしか、言いようがない。

読んでいただき有難うございました

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