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大相撲をヒントにして、国づくりを考える ―― 「教育」によって日本の相撲取りになる / 国技から学ぶ時代 

女性

「大相撲が終わりましたね。あっという間の2週間でした。これからまた、少し寂しい日々を送ります」

「お相撲の大フアンだものね。気持ちは分かります。ところで、2場所連続の平幕優勝でしたね」

女性

「鉄人玉鷲の愛称がついてしまいましたね。37歳、戦後の最年長優勝力士だそうです」

「平均年齢が上がっていますからね、これをいい刺激にして、多くの力士に長く相撲を取って頂ければと思います。今日勝っても明日勝つとは限らない。大変な世界だとは思いますが……」

女性

「先場所優勝の逸ノ城は負け越してしまいましたからね」

「優勝したからといって次の場所はどうなるか分からない。これが大相撲の魅力なのかもしれません」

女性

「人生を感じるとおっしゃったこともありましたよね」

「一瞬先が分からないところが人生を連想させますよね。先は分からないけど、努力すれば報われる」

女性

「努力しても実らないことがありますよ(笑)」

「力士全員が何らかの努力をしていると思います。ただ、その努力が正しい方向なのか、正しい方法なのか、どの程度練習したのかといったことが問題です」

女性

「成る程。私は人生というより、日本の企業社会を連想します」

「どんなふうに?」

女性

「相撲番付の変動の目まぐるしさ、少し油断するとあっという間に陥落します。ケガをしても言い訳を基本的に許さず陥落することもあります。そういったとこが、私には企業社会の競争を連想させるのです」

「成る程、個人の場合はそんなに大きな変動はないけど、企業ならあり得ますよね。下手をすると倒産ということもありますからね」

女性

「企業は日々同じことの繰り返しのように見えますけど、実は常に虎視眈々と『上』を目指して努力をしている力士のように見えます」

「成る程、そういうふうに他の方も、もしかすると相撲を通して人生や企業社会を見たりしているのかもしれませんね」

女性

「ここからが本論です ↓表紙は「雑学カンパニー」の提供です」

 相撲は神事であり、国技

相撲は神事から始まっています。その歴史を辿るために、日本相撲協会のホームページを開くと、古代8世紀の時代にまで遡ることができるとのことです。もともとは収穫を占う祭りの儀式としてあったようですが、これが宮廷行事に採り入れられ、江戸時代になって広く庶民に娯楽として定着したようです。

その背景には、八百万(やおよろず)の神々の考え方があります。かつての時代において、人の周りの自然は神々が動かしており、それを厳かに祀ることが大事であり、それが一つの宗教、つまり神道となっていったのです。その教えによれば、天変地異は自然神が巻き起こすものであり、それを慰め鎮めるのは人間の役割となります。そして、土地には、土地の神がいて、その神が地上に出てきて悪事を働かないようにすることが大事だという教えが出てきたようです。

その土地の神をどうやって抑えるのか、ということで出てきたアイディアが体重のある男たちが大地を踏み固めれば良いということだったようです。清めの塩を撒いて、大地を踏み固める所作がやがて相撲ということで一つのかたちになっていったのだと思われます。悪神が出ないためには、なるべく体重の大きい男が良いだろう、そして、悪神が蘇るかもしれない危険な場所にか弱い女性を上がらせる訳にはいかない、これが女人禁制の理由です。女性蔑視ではなく、女性保護の観点からの考え方だそうです。

(「www.diclos.jp」)

 国技から学ぶ時代

国技館で行われるから国技ではなく、その国技から様々なものを学ぶ時代に入ったと思っています。

どういうことか。2人の話にあるように、相撲を見ながら、別のものを通してみることによっても学びとなります。そうではなくて、大相撲そのものから学ぼうということです。一つは、日本の文化・伝統を受け継げば、日本人は必ず応援してくれるということです。ただ、受け継ぐためには何が必要で、どうすれば良いのか、実はそこが一番重要なのです。その「かたち」は勿論のこと、中身が大事ですが、学びたいのは徹底した公平主義です。力士はすべてどこかの部屋に所属します。ただ、勝負の際や番付編成、賞の選定には、そういうことは考慮されません。当たり前かもしれませんが、大事なことです。

二つ目は、部屋制度です。封建的な感じを受ける人がいるかもしれませんが、部屋ごとに親方である監督がいて、力士を育てます。それぞれの部屋は、相撲協会を支えつつ、他の部屋の力士とはライバル関係になります。この緊張関係が逆に相撲協会全体として公平感を維持することになっているのです。そして、親方一人ひとりは相撲に対する考え方が微妙に違っていると思います。これは当たり前で、その違いが逆に個性ある力士を生み出すことになります。

これを見習って、地域教育のある部分を各地方自治に任せたらどうかと思っています。幸いなことにまだ郷土意識が日本人の中に遺っています。ということは、対抗心があるというこなので、それを良い方向で利用することを考える時代だと思います。

(「ヤフオク!-Yahoo! JAPAN」)

 「教育」によって日本の相撲取りになる

教育制度がしっかりしているので、協会全体として後継者を作り出すことが出来ています

日本人の中で力士のなり手が少ない分、外国人出身力士をうまく活用して戦力にしています。というか、今や外国人力士がいなければ、大相撲は迫力がないつまらないものになってしまうでしょう。実際に、先場所の逸ノ城と今場所の玉鷲はモンゴル出身力士です。もしかしたら、それは相撲だけの世界で終わらないかもしれません。

ただ、彼らは部屋の「教育」によって完全に日本の相撲取りになっています。であれば、出自は余り関係ないのです。そして、この21世紀は、いかに移民を上手く受け入れるかということが日本社会の大きなテーマになるのではないかと思っていますが、良い手本が大相撲にあるということです。外国人の移民ですが、日本の伝統と文化を受け継いでもらう覚悟を決めてもらえれば、立派な日本人になるということです。

日本人の相撲取りとして独り立ちした人間に対して、その伴侶を部屋がかりで世話をします。何もしなければ、独身のまま終わってしまうからです。外国から相撲部屋に入門したので、日本人女性と知り合うチャンスが殆んどありません。所帯を持ってもらって、場合によっては部屋を受け継ぐ、そのために見合いをセットして後継者を作っていく。そういうこと全てが協会の中で行われ、相撲取りの「再生産」が行われています。少子化とか結婚しないと騒いでいないで、相撲協会を見習って、自治体が先頭に立って見合いシステムを開発するなどの努力をすれば良いのにと思います。

手をかけるところ、自然に任せるところ、そのバランスの中で一つの組織、つまり相撲協会が存続しています組織存続、つまり国家存続という観点から、見習いたいものだと思います。

 (「日本伝統文化や民俗風習、作法を伝承された和に学ぶ」)

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