




ところで、人口減問題は重要ということなのでしょう。実際に、新聞でもよく取り上げられます。例えば、1月13日付「日経」の社説「子供産みたくない社会に未来なし」、1月14日付「産経」の「正論」は「子年におおらかな子育て一考を」として、それぞれ人口減問題について論じていますが、その捉え方がまさに「群盲象を評す」状態です。今回、直近のこの2つの記事を取り上げていますが、どの新聞も論調は似たり寄ったりです。
「子供産みたくない社会に未来なし」はこちら➡https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54103190X00C20A1SHF000/
「子年におおらかな子育て一考を」はこちら➡https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200114/0001.html



































1960年代のはじめに「銀座の恋の物語」という映画と歌が出ました。それから、人々は日本も自由恋愛時代に突入したと思い込んでしまったのではないでしょうか。そのダメ押しをしたのが1990年代の「東京ラブストーリー」です。これにより、「恋愛結婚1億総錯覚社会」とも言うべき状態に突入をして、結婚できない人が増え、本格的に少子化社会になった、というのが私の分析です。
日本人は農耕民族であり、そのDNAを受け継いでいます。血は争えないという言葉があるように、民族の特性をつかんだ上で原因と対策を考えなければいけません。農耕民族はまず土地を基本に考える性質があります。土地さえあれば、そこで農耕生活を営み、一生暮らすことができるからです。伴侶はその土地を一緒に守ってくれる人を探すことになります。守るためには、その土地のことをよく知っている人が良い。そういう人を地域の人たちが、人的なつながりを使って見つけ出し、お見合いさせて結婚というのが、日本の伝統であり、文化でした。
封建の時代は階級社会なので、貴族は貴族、武士は武士、農民は農民どうしということがそれにプラスされていたことだと思います。とにかく結婚は公的なことなので、当人というより、周りがお膳立てをすべきことという捉え方だったと思います。
明治の開国があり、時代が近代の四民平等の時代になっても、地域社会が基盤となって準備するものという考え方だったと思います。そのためにも、日頃から地域の結びつきを強めておく必要がある。地域がひとつの互助会的な役割を果たしていたのです。それが現在でも町内会の活動として残っていると思います。
私の故郷は名古屋ですが、町内会のお祭り、遠足、運動会というのがありました(今でもお祭りと運動会はあるようです)。そんな活動を通して、地域にどういう人がいるかおよそ分かっていました。年頃の男性や女性の情報についても、ある程度共有されていたのです。
その伝統と文化が、高度経済成長を契機とした地域開発や大規模市町村合併、学校統廃合による地域社会の崩壊とともになくなってしまいました。それが少子化の大きな原因です。学校統廃合と人口減の因果関係については、実証的にデータ研究して拙著(『古事記とスピリチュアリズム』)に書きました。そこに焦点をあてた対策をしなければ、子育て環境をいくら整備しても、少子化は止まりません。
戦後に焼け野原に放り出された日本人たち。子育て環境は最悪です。保育園どころの騒ぎではありません。東京大空襲、名古屋大空襲、とにかく全部焼けてきれいに無くなりました。
ところが、ここから戦後復興が始まり第一次ベビーブームとなりますが、環境論者の立場に立つと、その理由を説明できないことになります。
人間は、犬、猫ではありません。因果関係で世の中は動いています。当然、その陰には様々な仕掛け人の活躍があったのです。
戦争で人口が減り、若い人たち、特に男性が激減しました。危機感をもった先人たちが、全国至るところで「合こん」という名の「集団お見合い会」を昭和22年頃から全国各地で企画、開催したのです。合こん、合同ハイキング、フォークダンスなど。切り替えが早いのが日本人の特徴です。自由を謳歌し、その中で恋愛の花を咲かせたのです。ただ、その花を自分だけの力で咲かせたと勘違いした人も多くいたのは確かだと思います。
社説で「子供産みたくない社会に未来なし」と、捨て台詞を吐いている暇があるならば、若い男女の社員のために、会社主催の出会いの会でも企画されたらいかがかと思う。
あるいは、読者に呼び掛けて、親子合同お見合い会でも良いし、何かイベントを企画しても良い。
隗より始めよと言います。説教を垂れる前に、まず行動をお願いします。