「教員免許更新制度が廃止されたのですが、母が悔しがっていました。ハイ、クイズです。その心は」
「えっ、何でしょうか。教員の質が悪くなるのではないかと心配したから、ですか?」
「実は、つい先日、8月上旬に教員免許更新講習を大学で受けたばかりだったのです」
「そうだったんですね。ただ、それはそれなりに勉強になったのではないですか?」
「大学の教員の講義なので、必ずしも現場の問題意識にマッチした内容の講義をしてくれる訳ではないと言っていました」
「確かにそうですよね。私も教員免許更新講習を受講したことがありますが、はるか昔に大学で聴いたことがあるな、この内容は、という講義もありましたからね」
「一般教養が深まったからいいんじゃあないと、気軽に答えたら、貴重な夏休みの5日間を費やして、受講料3万円を払って、ほとんど実践には役立たない話ばかりで泣きたくなったと言っていました」
「多分、そういった声が文科省に寄せられたのでしょう。来年度をもって廃止ということに決まりました」
「ただ、研修を全くしないということではないと聞いたのですが……」
「2年後に新しい研修制度を導入するみたいですけどね」
「それは、どういうものですか?」
「新聞には、『新研修制度』とありましたけど、内容はよく分かりません。文科大臣が中教審に諮問したと言っています」
「ここからが本論です ↓」
目次
「国づくりは人づくり」の原点に戻る時代
夏目漱石が旧制第五高等学校で講演をした時に、「夫(そ)レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ子弟ノ和熟(わじゅく)ハ育英の大本ナリ」と述べています。教育立国こそが、国づくりを考える基本だと言っています。明治維新政府は、それを忠実に実行したのです。先人は、国づくりは人づくりと考えて、その考えを国家政策の中心的な柱に据えます。
そんなこともあり、一足早く文部省を創設します。廃藩置県が行われた年の1871(明治4)年に文部省を設置し、翌年に「学制」という名の教育プログラムを策定します。帝国議会が開催されたのは、それから18年後ですから、いかに早かったのかが分かると思います。その位、教育を重要視したのです。
そういったことが、すべて忘れられてしまったのではないかと思っています。戦後になって確かに教育改革ということで教育基本法、学校教育法を制定して六三制の義務教育制度をスタートさせますが、そこで終わっています。その後は、経済優先の風潮が出てきて教育は二の次、三の次という雰囲気になってしまいました。
(「yayoigaoka-seminar.com」)
付け焼き刃的教員講習では、ほとんど意味をなさなかった
その考え方が一番制度として表れているのが教員養成のシステムです。教育学部に入学しなくても、教員免許を取得できるようにしたのです。他の学部入学者でも教職課程を取って、教育関係の単位を余分に取れば教員免許を取得できるようにしました。
戦前は師範学校を卒業しないと教員免許を取得できなかったので、一種の高嶺の華だったのですが、誰でも簡単に取れるようになりました。量が増えれば質は落ちるという市場の原理がそこに働きます。それを見て文科省が導入したのが免許更新制度とその際の講習です。大学での受講を義務付けたのです。
大学の教員の中には、教員免許を持っていない人がいます。教員免許というのは、小学校から高校までで、大学の教員になるために免許は必要ないからです。もちろん彼らは、小中高の現場の実情を知りません。現場が分からず、教員免許を持っていなくても、教員免許書き換え講習を指導できるという、世にも不思議な教員講習が10数年行われたのです。しかも費用は、全額講習受講者が払っていました。
ただ、所詮は付け焼き刃です。10年間で1回、わずか5日間の講習によって教員の質を高めようとしても無理です。10数年無駄なことをやってみて、講習が殆ど役に立たないことにようやく気が付いたということです。
(「刀剣ワールド」)
現場感覚のないメンバーが教育政策を打ち出すことは出来ない
嘆いていても仕方がないので、代案を出す必要があります。文科大臣は中教審に「抜本的見直し」を諮問すると言っていますが、期待できるような回答は返って来ないと思っています。何故なのか。簡単に言えば、中教審のメンバーは現場から離れてしまっているからです。教育というのは、政治や経済と違って現場があります。政治や経済は日常が現場ですが、教育は子供や学生たちが学んでいる場が現場です。そこから離れて何かを考えようとしても、ピントがぼけた答えしか出てきません。全国一斉学力テストに記述式や民間の英語テストの導入の試みなど、ことごとく頓挫しましたが、それはメンバーの能力のあるなしの問題ではなく、立ち位置の問題なのです。
中教審のメンバーの顔触れは、インターネットで検索すればすぐに分かります。教育現場に日常的に接しているような方は、殆どいません。殆どの方は、それぞれの分野である程度の実績を上げたということで選ばれていると思いますが、現場の空気を直接吸っている方はその中にはいません。中学、高校の校長職の方が2人いますので、間接的に空気を吸っている人がいる程度です。そういったメンバーで議論しても、地に足が着いた結論が出ることはないでしょう。
「ベテラン指導教員制度」(仮称)導入の提案
批判ばかりしていても仕方がありませんので、一応代案を出します。教育は現場があるので、現場に密着した学びが実は一番役に立つし、それが一番良い講習なのです。どうすれば良いのか。徒弟制を導入するのです。新卒からいきなり教壇に立たせることをしません。新卒教員は、ベテラン指導教員について1年間学びます。頃合いを見はからって、授業を行いますが、必ず指導案を出させます。新人教員の担当は、一応3人で面倒を見ます。ベテラン指導教員が一番の責任者です。サブとして学年主任か教科主任、そして管理職が誰かつくようにします。
ベテラン指導教員というのは、新卒者を指導できる資格を持った者です。教育委員会が校長の推薦を受けて認定します。原則として、教員歴20年以上の教員から選ぶことにします。名付けて、「ベテラン指導教員制度」です。新人教員側からのメリットは、1年間かけて現場のことをいろいろ学ぶことが出来ますし、仮に独り立ちした後も、個人的な繋がりの中で指導を受けることも出来ます。給与は、もちろん支払われますが、一種のインターン制度です。
原則として1年間ですが、最終的に担当者の3人が協議をして合格となれば2年目から晴れて一人前の教員として教壇に立つことができます。なお、「ベテラン指導教員制度」で指導の対象教員は、新卒教員だけでなく、指導力がない教員に対しても行われます。改善の見込みがない場合は、免許状を返納させるなどの強い処置を考えた方が良いと思います。
そのような制度も所詮は対症療法的なものです。一番良いのは、教員養成制度そのものを見直すことです。新しいシステムに変えることです。
(「ベネッセ教育総合研究所」)
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