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「片翼の飛行機」――感動的だったパラリンピックの開会式 / 翼があるなしではなく、飛び立つためには「滑走路」での助力が必要

女性

「昨日のブログをウチの母が読んでね、あら、新人に対する指導教員制度はあるわよ、って言っていました」

「お母さんは、東京都の小学校の教員ですよね。指導教員ですか?」

女性

「いえ、普通の教員ですけど、一応新人の先生の授業やクラス経営についてアドバイスできる立場の指導教員という制度は設けているみたいですよ。指導教員になると、他の学校の新人教員の指導もしなければいけないみたいですけど……」

「私が昨日提案したのは、単なるサポート制度ではなく、新人育成制度として提案をしたのです。とにかく、教育実習を3週間しかしていない若者を、いきなり担任として教壇に立たせることは無謀だと言っているのです」

女性

「ただ、公立では、ごく当たり前に行われていますよね」

「私学では、ある程度経験がなければ、担任を持たすことをしていないと思います。私が勤務していた私立の学校もそうでした」

女性

「担任ではなく、副担任ということですか?」

「そうですね。ただ、授業は週18コマ位こなしていたと思います。あと、日常的には、学年主任の指導を仰いで、週に1時間校長先生の指導がありました」

女性

「校長先生の指導というのは、何ですか?」

「同期で入ったもう一人の先生と、週に1回校長室で指導を受けるのです。私学にはそれぞれの歴史やしきたり、きまりがあって、そういった話とか、教員としての心構え、あと諸々の教育にまつわる話ですね」

女性

「いわゆる訓話を聞く時間ということですか?」

「師範学校を出た先生で、気骨があったんですよ。今、思うと気に掛けて頂いたんだなと思うことがあります」

女性

「そういった体験がベースになって指導教員制度を提案されたのですね」

「面倒を見てもらったという体験が、後になって生きてきます。新卒でいきなり担任では、中には放り出された感覚を持つ人がいるのではないかと思います。やる気をもって教育界に飛び込んできた若者を温かく迎える、そして指導するという態勢をつくることから始めようということです」

女性

「ここからが本論です ↓」

 「自らが自らに与える教育」が大切と説いたギボン

『ローマ帝国衰亡史』の著者でもあるイギリスの歴史家のエドワード・ギボン(1737-94)は「あらゆる人は二つの教育を持っている。その一つは他人から受ける教育であり、他の一つは、これよりももっと大切なもので、自らが自らに与える教育である」という言葉を遺しています。

他人から受けた諸々の「教育」、その中には、フォーマルなものとインフォーマルなものが混ざっていると思いますが、そういったものよりも自分でその内容を考えて、自分を高めたものの方が価値があると言っています。

自らが自らの人間力の向上のために、自らに教育を与える――何となく、この考え方はカント(1724-1804)の影響があるのではないかと思うのですが、自分自身でプログラムを組んで、それに沿って実行する。それをクリアできれば、またその段階で「実践理性」(カント)がプログラムを組み、さらに乗り越えていく。それを永遠に繰り返せば、絶えず発展することができる。そんな人間の未来像を夢見たのかもしれません。

(「Wikipedia」)

 「片翼の飛行機」――感動的だったパラリンピックの開会式

先日の東京パラリンピックの開会式で「片翼の飛行機」を演じ、車いすのヒロインを演じたのが東京都の中学2年生、和合(わごう)由依さん(13)です。演技経験はないとのことですが、上肢下肢に先天性の障害のある自らを重ねるように「片翼の小さな飛行機」を見事に演じていました。最後は、車いすの飛行機が高く大空に向かって飛び立ちます。不安な気持ちや困難を乗り越え、飛び立っていこうというメッセージを我々に伝えたのです。

彼女は何でも前向きに取り組もうという性格だそうで、中学校の運動会ではダンスを披露したこともあるそうです。公募によるオーディションでは、審査員の満場一致で「ヒロイン」に選ばれました。すべての演技が終わり、舞台裏で号泣する彼女の姿が映し出されていましたが、今までの自分に降りかかった様々な辛苦とこれからの人生に対する夢と希望と不安など多くのものが彼女の中で一挙に交錯したのだと思います。見ていて思わず目頭が熱くなりました。

ただ、考えてみれば、体が五体満足で翼が2つあっても、上手く操作できずに空に飛び出すことすらできないこともあります両翼が飛び立つことの、最低条件ではないということを気付かせてくれた彼女の劇でした。そんなこともあり、SNS上に称賛の声が溢れたのです。

(「北國新聞」)

 人が飛び立つためには、「滑走路」での人の助力が必要

「片翼の飛行機」が空に向かって飛び立つまでに、多くの人が関わっていました。「片翼」であろうと「両翼」であろうと、飛行機は助走をする必要があります。助走なしで飛び上がることは出来ません。機械は自分で助走をして、勝手に飛び立つことができますが、実は「人間飛行機」は自分一人で助走は出来ないのです。伴走する人が必要です。人間という字をよく見ると、人の間と書きます。人と人の間に入って、その傍らの人が伴走者になってくれた時に、人は飛び立つことができます。

組織に人を迎え入れる場合も、同じ理屈です。多くの会社は新人研修ということで、滑走路での助力が用意されていることと思います。ところが、立学校の教員に対しては、制度的に何もなく、一人で空に向かって飛び立たせようとしています。最近になって冒頭で紹介したサポート制度がありますが、「滑走路」での助力ではありません。実際に、採用された年度の4月から担任をもって授業を担当するからです。

公立学校において、精神疾患による休職者、途中退職者やハレンチ教員が増えているなど様々な問題が増えています。これは、最初に飛び立つ前の整備不良が問題なのです。そこで、きちんと点検をし、何か具合が悪い箇所があれば指摘をして、直させるというようなことをした上で、皆で協力して大空に向かって飛び立たせるものです。今の状態は、勝手に滑走路に置かれて、司令塔から何の連絡もなく、どっちに向かって飛んで行って良いか分からない状態のまま、各機がそれぞれの判断で勝手に飛び出しているだけです。

(「Yahoo!ニュース」)

文科省の考えている講習制度というのは、その辺りについては全く問題意識をもたず、途中の給油基地での点検整備を考えているだけです。しかも、点検項目や整備項目が給油基地によって違っていたり、的外れなものであったりしています。さらに、給油作業は自分でお金を払ってしなければいけませんし、再度飛び立つ時も自力です。文科省は新講習制度を考えると言っていますが、こういった発想の延長線での講習であれば意味はないし、また失敗することになるでしょう。視点が狂っているからです。

最近の文科省の混迷ぶりを見ていると、文科省こそが自らに与える教育が必要だと思っています

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