(この文章は2020/2/13に書いたものです)
民主的な選挙が行われ政府が組織されている国は、政府と国民が一体で動いていると見做すことができ、表記上注意する必要はありません。ただ、中国のように選挙が行われておらず共産党政府が国民に信任されているかどうか分からない国については、報道する場合は、中国、中国共産党、中国政府と使い分けをする必要があります。
例えば、今日(2/13)の「産経」の社説記事です――「新型コロナウイルスによる肺炎拡大が続く中国が、東シナ海で日本や台湾を挑発している」と、「中国」とまとめてしまっていますが、この文章は「新型コロナウイルスによる肺炎拡大が続く中国本土であるが、共産党政府は相も変わらず東シナ海で日本や台湾を挑発している。」と正確に表記すべきです。
続けて社説は、「世界と協力して新型肺炎を封じ込めなくてはならないときに、中国は何をしているのか」とありますが、これも「中国政府」もしくは「中国共産党政府」と表記すべきでしょう。
特に、新型コロナウイルスによる一連の騒動の中で、人道上、手を差し伸べるべきことと、批判すべきことをはっきり峻別し、そのことを中国政府や中国の人々にそれぞれ正確に伝える必要が出てきたからです。それは、日本の中にある戸惑いを解消する助けにもなると思います。つまり、冒頭の社説を読んだ人の中には、「挑発を繰り返す中国を助けてはいけないのではないか」と思う人が出ることが予想されるということです。
特に、中国共産党政府の体面だけを重んじ、人命を軽視するような行動がしばしば散見されるような状態の中で、何でもかんでも単に「中国」の表記では、正確に情報が読者に伝わらず、場合によっては誤った判断を誘発する可能性もあるからです。どういうことかと言いますと、中国は共産党独裁政権ゆえに絶えずトップの意向を聞かざるを得ず、そのため必ずしも正確な情報だけが発信されているとは限らないからです。
実際に中国内の新型コロナウイルスの新規の確診患者の数と一日単位の死者数の両方が、その前日よりも多少少なくなった。これによって新型コロナウイルスの拡散の勢いが頂点に達し下降するのではないかという希望的観測や4月には終息するだろうといったコメントを発表している始末です。
さすがに、これに対してWHOは終息時期について、現時点では見通せないとの見解を示しましたし、テドロス事務局長も「中国国内での新たな感染者の数はここのところ安定してきているが、慎重に見なくてはいけないだろう」といったコメントを発表しています。
今回の一連の事態に至ったのは、コロナウイルスが発生した時点での初期対応に失敗があったのは明らかです。昨年12月末に武漢のある一人の眼科医のメッセージアプリを通して発信された注意を促す情報がデマと捉えられ、結局年明けの1月1日に、武漢市公安局は「デマを流布した8人の者は、法に基づき取り調べを受け、処分された」と発表しました。端からデマと思い込み、抑え込みに走っています。
共産党独裁国家は国民からの意見の吸い上げはしません。なぜなら、正しいとは思っていないからです。唯一正しい真実の党が社会と人民を導くと考えているので、今回のように一医師が警告を発しても、本能的に取り締まりに入るだけです。そのような社会体制に対する批判的な目をもちつつ、中国の人たちと交流することが大事だと思います。
京都の舞鶴市からの支援物資に書かれたメッセージに中国の国民の目が注がれています。漢詩を引用したもので同じ雲や雨の下で同じ月を眺めている(離れていても心はひとつ)というものです。
メッセージや意見は、誰に向けたものなのか、共産党に言っているのか、そこに住んでいる人たちに向けたものなのか、名宛人がない手紙は相手に届くことはありません。
しっかり明記しましょう。
読んで頂きありがとうございました