(wikipedia)
今から30年前の1989年は、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ両首脳の「マルタ会談」を経て東西冷戦の終結宣言がなされた年である。世界はこれで平和に向かって動き出すと、多くの人は思ったのではないだろうか。
ところが、あにはからんやである。中国が助走をつけて暴走し始めたのである。2018年2月に中華人民共和国憲法を改正し、国家主席の任期を廃止し、習近平独裁体制のもとでの「一帯一路」政策に弾みをつけようとしている。
(nippon.com)
「一帯一路」というのは、習近平が2013年9月に打ち出した計画である。中国から南シナ海、インド洋を経てアフリカ、ヨーロッパに至る21世紀版シルクロード構想である。そしてその本質は、「一帯一路」という名のもとの世界征服計画であり、共産主義の世界拡散政策である。今、香港やウイグルの実態が明らかになるにつれ、その危険性に多くの国が気付き始めたところであろう。
(産経ニュース ポール・ウォルフォウィッツ氏)
一番危機感をもっているのはアメリカであろう。12月2日の『産経新聞』に「マルタ会談」に国防次官として参加したポール・ウォルフォウィッツ氏のインタビュー記事が載っているが、「かつてのソ連よりも、はるかに手ごわい競争相手と化している」と中国に対してコメントしている。
ソ連は経済でつまづいた。そもそも経済活動の根底には、人間の相反する欲望のエネルギーが絶えず衝突している。そのため、様々な市場において「景気の波」が起こる。その波を自然で必然的なものと捉えるのが資本主義の原点であるが、社会主義は生産手段を公有化することにより、それを抑えようと考える。そこに無理が生じる。その限界性を早くに見抜いたのが中国である。
政治分野は共産党の一党独裁体制を維持しつつ、経済は資本主義のシステムで運用しようという離れ業をやってのけている。今や世界第2位の経済大国であり、軍事大国である。21世紀の本格的な「ハイテク戦争」に備えて、海外からの高度専門人材を獲得すると同時に、国内の優秀な人材にはアメリカに留学をさせて育成するということを、国家を挙げて戦略的に行っている。それは特許件数や学術誌の論文数の伸びに現れている。今やアメリカと競うレベルである。
その目標が正しいか誤っているかという倫理的な判断はともかくとして、中国にはそのような明確な目標の元、日々計画的な国家運営を行っている。ウォルフォウィッツ氏が「手ごわい」と評した理由は、そこにある。
振り返って、我が日本はどうだろうか。比較すること自体にむなしさを感じるレベルである。例えて言えば、片や世界一を目指して日々トレーニングを積んで身体を鍛え、海外から優秀なコーチを雇って着々と計画的に実力を蓄えてトーナメント戦に備えているのに対して、そもそもこれからトーナメント戦があることも分かっていないのが日本である。そのため、目標もなく日々行き当たりばったり、その場限りの思い付き練習をして過ごしている。あえて良い所と言えば、周りのみんなと仲良くしようというところであろうか。
明確な国家戦略がない。肝心な人材育成計画もない。そのため、大学入試一つとっても、とんでもないプランが飛び出て、高校生にすら批判されている始末である。防衛構想も「インド太平洋構想」があるが、たまたま中国の海洋進出があって、それをインドと一緒に防ごうという程度のものである。そもそも中国の「一帯一路」に対して、その本質を分析していないし、態度も明らかにしていない。そのような状況で安倍政権は独裁者を国賓で迎えようとしているが、そうなれば、中国は日本に対してさらに尊大に振る舞うようになるだろう。
実際に尖閣接続水域に出没した「中国公船は11月29日の時点で998隻と過去最多」(『毎日新聞』2019.12.2付)
である。
21世紀の今後は、生き残りをかけた世界トーナメントが始まることになるだろう。日本に求められるのは、人材育成を含めた国家戦略である。そして、誰をパートナーにして世界戦を戦うのか、旗幟鮮明(きしせんめい)にする必要がある。
(日本貿易会)
「相互信頼が共存へ導く」(「東京新聞社説」2019.12.2日付)と題して、「平和共存のためには粘り強く対話を重ね、相互理解と相互信頼を積み上げていくしかない」と的外れなことを言っている新聞社があるが、戦う気力がない国家は、相手に呑み込まれて終わる。世界には「理解」と「信頼」の努力が通じない国が実際に存在する。韓国とのこの間のやりとりから何も学んでいないのだろうか。反省なき者や総括なき国家の未来は危うい。