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リトアニアの「杉原千畝記念館」がコロナ禍でピンチ / 生誕120周年にあたり、改めて彼の勇気ある行動を振り返る

「第2次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝(ちうね)のことを知っていますか?」

女性

「ええ、知っています。実は、4.、5年前に杉原千畝の映画を上映した時に、それを観に行きました」

「そうなんですか! じゃあ、話が早いです」

女性

「何かあったのですか?」

「リトアニアにある「杉原記念館」の存続が危ぶまれているというニュースが入ってきたのです。コロナウイルスの影響により入場料収入が減ったためということらしいのです」

女性

「あら、そうなんですか!」

「東京都内の旅行会社の添乗員らが支援を訴えているそうです。「カウナス・杉原記念館を守る会」は記念館の運営組織と共同でクラウドファンディングを始めたそうです」

女性

「そんなに入場者が減ってしまったのですか?」

「記念館の運営は入場料と寄付金が頼りで、昨年の来館者約1万9100人のうち、日本人の占める割合が86%だったそうです。今年はコロナ感染拡大を受け、休館や同国への渡航中止勧告により訪問者は大幅に減ってしまったのです」

女性

「彼の勇気ある行動を讃え、後世に伝えるためにも私も微力ながら協力させて頂きます」

「杉原記念館は彼が領事代理で駐在したリトアニア・カウナスにある旧日本領事館の建物を活用しています。そして、彼は1900年生まれなので、今年は生誕120年、「命のビザ」発給から80年の節目にあたる年なのです」

女性

「ということは、彼が40歳の時ですね。かなりの葛藤があったことを映画で知りました」

「そうですね、大変な状況下での決断だったようです」

女性

「その後の彼の人生は、余りいい目に遭っていませんよね。何か気の毒だなと思っています」

「苦労して日本に戻ってきたものの、外務省からは退職を勧告され結局辞めてしまいます。彼の名誉が回復されたのは、彼の死後ですからね」

女性

「ここからが本論です ↓」

「第2次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝(ちうね)のことを知っていますか?」

女性

「ええ、知っています。実は、4.、5年前に杉原千畝の映画を上映した時に、それを観に行きました」

「そうなんですか! じゃあ、話が早いです」

女性

「何かあったのですか?」

「リトアニアにある「杉原記念館」の存続が危ぶまれているというニュースが入ってきたのです。コロナウイルスの影響により入場料収入が減ったためということらしいのです」

女性

「あら、そうなんですか!」

「東京都内の旅行会社の添乗員らが支援を訴えているそうです。「カウナス・杉原記念館を守る会」は記念館の運営組織と共同でクラウドファンディングを始めたそうです」

女性

「そんなに入場者が減ってしまったのですか?」

「記念館の運営は入場料と寄付金が頼りで、昨年の来館者約1万9100人のうち、日本人の占める割合が86%だったそうです。今年はコロナ感染拡大を受け、休館や同国への渡航中止勧告により訪問者は大幅に減ってしまったのです」

女性

「彼の勇気ある行動を讃え、後世に伝えるためにも私も微力ながら協力させて頂きます」

「杉原記念館は彼が領事代理で駐在したリトアニア・カウナスにある旧日本領事館の建物を活用しています。そして、彼は1900年生まれなので、今年は生誕120年、「命のビザ」発給から80年の節目にあたる年なのです」

女性

「ということは、彼が40歳の時ですね。かなりの葛藤があったことを映画で知りました」

「そうですね、大変な状況下での決断だったようです」

女性

「その後の彼の人生は、余りいい目に遭っていませんよね。何か気の毒だなと思っています」

「苦労して日本に戻ってきたものの、外務省からは退職を勧告され結局辞めてしまいます。彼の名誉が回復されたのは、彼の死後ですからね」

 

 

 

   リトアニアで杉原千畝とユダヤ人難民たちとの出会い

2人の会話の中で紹介された映画『杉原千畝』は、今から5年前に劇場公開されています。その当時のメモ書きをもとに、内容を紹介したいと思いますが、簡単に時代背景を紹介すると、1940年ナチスドイツの迫害を恐れたユダヤ難民がリトアニアに大挙押し寄せるという事態が起こります。その前年にリトアニアの領事館に外交官として杉原千畝は赴任しています。彼らとの「運命的な出会いの舞台」がそこで用意されていたのです。

映画は1955(昭和30)年の日本の外務省に、ある一人のユダヤ人とおぼしき者が杉原千畝を訪ねるところから始まります。彼は杉原千畝によって書かれた1枚のぼろぼろになったビザを持っていました。応対の職員の返事は「そのような方はいません」というそっけないものでした。

謎めいた出だしから始まるのですが、杉原千畝は戦後日本に帰国した直後、外務省からの退職勧告を受けて辞職をしています。まだ働き盛りの47歳でした。退職勧告を受けたのは、リトアニアの領事館に赴任した時に本国の許可を得ないまま、日本の通過ビザを大量に発給したことによる責任をとらされたと言われています。

そのようなビザをなぜ発行したのかということについて、映画は杉原千畝の葛藤を交えて丁寧に描いています彼が発給したビザの数は実に2139枚にのぼります。しかもそれを機械的に発給するのではなく、一人一人丁寧に声を掛けて渡すのです。「厳しい道のりです」、「あきらめないで」、「無事を祈っています」など。当然、時間も掛かります。途中領事館が閉鎖されてしまうのですが、場所をメトロポリスホテルに移動してビザに代わる渡航証明書を発行しています。期間にして1か月余りをそれに費やしています。

 真に人道上の行動とは何か、それを考えた上での決断

杉原千畝の葛藤が描かれています。領事館の周りを難民が取り囲んでから、彼がビザ発給の決意をするまで8日かかっています。暖をとることも許されず、食べ物もなく、何のあてもなく待っている難民たち。中には幼ない女の子の姿もあります。自分の子供と二重写しになるのです。

彼は英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語などに通じ、情勢を読む目も交渉能力もありました。「世界を変えたい」という志をもっていた彼は、ゆくゆくは日本に戻り、その能力を発揮することを考えていたと思われます。

本国の許可無くビザの発給を行うことは、明らかにマイナス評価です。場合によっては、懲戒の対象となります。そんなことは百も承知です。自分の将来のことを考えるのか、それとも目の前の難民に手を差し伸べるべきなのか、迷いに迷います。

そしてその間、日本にビザ発給の打診をするのですが、許可の決定が下りません。滞在費と旅費、さらには最終目的地の入国許可が必要というビザ発給の条件を満たしていないからです。ただ、彼はそんなことは先刻ご承知のこと。その上で、許可の打診を本国に何回も送るのです。

人道上という生易しい言葉ではなく、杉原の背中を見えない力が押すことになります。“(本国は)発給禁止とは言っていない”という理屈で自分を納得させ、ビザ発給の覚悟を決めるのです。自分の妻に「すべてを失ってもついてきてくれるか」と問いかけます。自分のこれからすることが、どういう意味をもっているのか、すべてを呑み込んでの行動です

杉原千畝の行動を支えた彼の世界観について触れておきたいと思います。彼は映画の中で社会を車輪に例えて語る場面があります。当時はヒトラーが権力を握って、「車輪の上」にいる時代。しかし、やがて車輪が回って「下」になることもあるだろう、と言います。逆に、自分自身の行いも今は責められるべき行為かもしれないが、いつかどこかで評価されるかもしれない、いや評価されるであろう、という確信のようなものをもっていたのだと思います。その確信が、命のビザの発給に繋がったのだと思います。

 根井三郎が難民救済を最後にアシスト

杉原の発給したビザの数は2139枚ですが、1枚のビで家族全員が渡航できたケースもあるので、およそ6000人が救われたと言われています。そんなこともあり、1985年に杉原千畝はイスラエル共和国から「ヤド・バシェム(諸国民の中の正義の人)」賞を授与されています。2000年になって遅ればせながらようやく、日本の外務省は杉原千畝の名誉回復の措置をとります。ただ、その時すでに杉原千畝はこの世にはいませんでした。人の命も車輪のように回ってしまう、ということなのでしょう。

映画はビザ発給ですべて終わりではなく、避難民のその後の行程も追っています。彼らはいろいろな苦難の末、シベリア鉄道経由でウラジオストクにまで辿り着きます。そこから中継地である日本の敦賀までの航路を予定していたのですが、途中で乗船ストップがかかってしまいます。

しかし、ここにも杉原のように人道的見地から決断をした人がいたことを映画を観て初めて知りました。

ウラジオストク総領事代理の根井三郎です。杉原とは満州のハルピン学院の同窓生である彼も葛藤の中で揺れ動きながら、避難民たちの乗船許可を出すのです。彼ら一行を乗せた日本の定期船が日本海を進みます。日本の陸地が見えます。思わず湧く歓声と涙声。感激の一瞬です

 杉原千畝を中学の道徳教科書に載せるべき

リトアニアでは教科書に掲載されていることもあり杉原千畝の話は有名です。中学校の道徳の教科書にうってつけの題材だと思いますが、何故か日本の教科書には載せていません。何か変な感じがします。一人でも多くの人が、杉原千畝の生き方を語り継ぐ必要があると思っています。

映画の中で千畝の家族だけでなく、戦争の中で心の傷を負った様々な家族が描かれています。戦争さえなければという、そういった思いがこの映画のバックグラウンドにあります

親子で鑑賞しても良いと思いますし、学校単位で鑑賞し、その後意見交換ができたならば、それこそアクティブラーニングではないかと思っています

 

  クラウドファンディングの詳細はhttps://camp-fire.jp/projects/view/294624

読んでいただき、ありがとうございました。

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