NHK NEWS
2045年までの人口の推計値を見てみると、日本の人口は年を追って減少幅が広がり、2045年には1億642万人まで減少するとされています。
平成27年の人口と30年後の2045年の推計人口を比べると、ごく限られた都市部を除いて、ほとんどの市区町村が「減少」。
増加する自治体が94にとどまる一方、減少する自治体は全体の94%の1588にも上ります。
次の時代は、平成の時代以上に人口減少に拍車がかかると予想されています。
恋愛と結婚を分けて考える視点が必要
つい先日ある民放のテレビ番組を見ていたのだが、若い人は恋愛と結婚を分けて考えている人が意外に多いことが分かった。
それを見て、日本人が歴史的に踏襲してきた結婚観が、若い人の中にも受け継がれていると思った。
恋愛の延長に結婚を設定し、恋愛と結婚を同一線上に並べて考えた上で、それらは私的なことなので、行政が直接タッチできないと考えるのは、日本的には誤った考え方である。
大上段に構えて言うならば、憲法的にも間違っている。
どういうことか。憲法24条に「結婚は、両性の合意のみに基づいて成立し、……」と書かれてある。
憲法に条文があるということは、結婚は公的なことと考えているからであろう(恋愛は私事的なことであるので、当たり前であるが憲法にも民法にも何も書いていない)。
公的なことであるならば、結婚できる環境を行政が整備する必要があるだろう。
先人が恋愛と結婚をどう考えていたのかが分かる話を紹介する。
一つの悲劇として語り継がれている面もあるのだが、皇女和宮の物語である。
仁孝天皇の子供として1846年に生まれた和宮だが、彼女が生まれる直前に父帝は亡くなり、腹違いの兄が孝明天皇となる。
実は彼女が6歳の時に、有栖川宮熾仁親王との間に婚約が整っており、彼女は嫁入りの日を楽しみに待っていた。
ところが、和宮が15歳の時、幕府から朝廷に対して、「将軍家茂へ和宮の降嫁を請う」という申し出があり、これには孝明天皇も難色を示したが抗しきれず、結局は承諾するに至る。
公武合体の政治の波の間(はざま)の中に、2人の婚約話は沈むことになる。
二人の宮は、幼少より和宮に仕える夕秀の手引で駆け落ちを図るが果たすことができず、結局、和宮は将軍家茂に嫁すことになる。
実は、将軍家茂にも婚約者が居たのだが、これも白紙に戻されている。
実は十五代将軍慶喜による大政奉還の後、二人は江戸で再会を果たすことになる。
このような幕末の悲劇的な恋を題材にしてのドラマが今まで作られているが、その後の展開はここでは追わない。
ただ、2人、正確に言うと4人の結婚を巡る周りの動きは日本的には、極めて常識的な出来事なのである。
恋愛と結婚の悲劇話は、農村社会や商人社会でもあったのだろう。「駆け落ち」という言葉が残っているからだ。
このように日本では古来より、結婚はあくまでも公的なものであり、私的な恋愛感情より優先されるべきと考えられていたし、恋愛と結婚は別であると考えられていたのである。
国は2003年に少子化社会対策基本法を制定している。
その前文を読むと、この問題をどう捉えているかが分かる――「結婚や出産は個人の決定に基づくものではあるが、こうした事態に直面して、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備し、子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち、子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかける……」
この文章を読むと、結婚は私的なことと捉え、行政は専ら子どもを産み育てる環境整備を行うとの位置づけであるが、そもそもここから間違いが始まっている。
無償化など環境整備にいくら力を入れても少子化解消とはならないし、現にそうなっている。
結婚は親と地域の責任において行うもの
実は、今からおよそ3年前に出生数が1920年の調査以来初の100万人割れとなったということで、新聞各紙が大きく報道をしている。
「少子化歯止めかからず」(読売/2016.12.23日付)、『未婚率増 読み切れず』(読売/2016.12.24日付)、「39都府県で人口減」(読売/2016.10.27日付)
などである。
中には、人口減を受け入れて「人口減に耐えうる国造りを」(産経/2016.10.31日付)と、「日本より人口規模が小さくても豊かな国はある。『戦略的に縮む』という積極性をもって挑みたい」と、開き直り的な論評もあった。
3年前の出生数が98万人、今年は86.4万人である。
人口減が急速に進んでいることは数字の上からも明らかである。
そのような現象の裏には、必ず原因なり法則があるはずである。
それを正しく把握して、その原因を除去すべく対策がとられているならば、現在はマイナスであってもやがてはプラスになるだろうとの予測のもと安心感もあるが、現状は残念ながらそうではない。
そもそも、この問題は前のブログにも書いたが、男女の未婚率をいかに下げるか、そのような環境をどうつくるかという問題なので、第一義的に活躍しなければいけないのは、親であり、その家庭を取り巻く地域社会である。
以前書いた記事はこちら! 少子化対策はカップリング対策でなければいけない
行政の「支援・応援」は、そこに焦点を当てなければいけない。
日本は伝統的にそういった基盤の上に立って結婚というものを考えてきたからである。
全くフリーに恋愛させて結婚という考え方をとったことは、封建の時代から戦後しばらくの間までなかったのではないだろうか。
ところが戦後、日教組が行った反日的な教育もあるが、個人主義的な考え方が社会に浸透し、さらには市町村合併や学校統廃合による地域の崩壊ということもあった。
さらには職場における職種の細分化ということもあり、結婚を成り立たせていた基盤がなくなりつつある。
そういう中で未婚率が増加し、少子化が進展しているのである。
沖縄に「八重山新報」という地方紙がある。
12月22日(2019年)の1面トップ記事の見出しは「30年ぶり島出身カップル 小浜で盛大に結婚式」である。
小浜町公民館で関係者330人、町長もお祝いの挨拶をしたとある。
結婚を地域の「公的」で重要な出来事としての捉え方がまだ沖縄に残っていることが分かるし、こういう地域には人の温もりが宿るので人口減とはならない。
実際に、沖縄県は日本で一番人口増加率が高い県である。
(みんなのウェディング)
本来行政は、そういった地方文化を守るために働かなければいけないのだが、行政効率だけを考えて真逆の対応をしている地方もある。
大阪都構想というのは、その最たるものである。
日本人のことを邦人という言い方をする時がある。
おらが邦(くに)の人ということで、農耕民族でもある日本人は地域に生活基盤を求め、そこを中心に自分の生活を築こうとした。
その象徴として方言があるし、地方独自の食べ物、習慣、祭りなどに文化として遺っている。
結婚についても地方によっていろいろなしきたりがあったと思う。
私は名古屋の人間だが、尾張地方には嫁入りの際には嫁入り道具を近所に披露して、駄菓子を近所の子供たちにばら撒くという風習があった。
狩猟民族ならば、自由にすれば勝手に自力で自分のパートナーを探すだろうが、農耕民族のDNAには、そういう装置が基本的に埋め込まれていないか、あっても弱い。自由恋愛、自由結婚にすれば、人口減を招くのは当たり前の話である。
政府は重要問題という認識のもと、内閣府に直属するかたちで少子化対策特命大臣というポストを設けて、その対応にあたっているが、例えばその視察先を見てみると、児童養護施設、保育施設や学校といった教育施設である。
環境整備に目が向いてしまっていることが分かる。
そういった施設に10万回仮に足を運んでも、少子化解消のヒントは得られないだろう。
もし運ぶとするならば、人口が急減した地域と逆に自然増加が多い地域、大規模の市町村合併を行った地域、頑なに合併を拒んでいる地域など、現地に入ってその地域の商店街の様子や人の息遣いを聞くことであろう。そういった現場にこそ、人口減解消のヒントが落ちているはずである。
正月早々長くなり申し訳ありませんでした。
読んで頂いてありがとうございました。