「素朴な疑問ですが、『慰安婦』とか『強制連行』ということが仮にあったとしても、教科書に書かなくても良いと思うのですが、どうして書かれるのですか」
「敢えて言えば、『近隣諸国条項』があるからというのが答えになると思います」
「それは、どういうものなんですか?」
「1982年に検定基準に追加された条項です。きっかけは教科書検定です。検定によって中国侵略が進出に書き換えられたとマスコミが一斉に報じ、中国と韓国がこの問題で日本政府に抗議をしたのです」
「そんなの突っぱねれば良かったじゃあないですか。内政干渉だって」
「チキンハートなので、まともに対応してしまったのです」
「その結果、設けられた条項ということですね」
「実はそのマスコミ報道は誤報だと分かったのですが、時の宮沢喜一官房長官が近隣諸国との友好・親善に配慮するという談話を発表してしまったのです」
「相手はしてやったりと思うでしょうね」
「これ以降、南京とか慰安婦という記述が教科書に多く記載されるようになります」
「付け込むスキを与えてしまったということですね」
「どうして、こう愚かなのかなと思います。頭を下げれば下げるほど叩かれるというのが国際常識です」
「隣近所との付き合いは、国同士の間でも難しいのですね」
「仲よくしなければいけないと思うから難しいのです。何も考えない。馬耳東風の構えが一番だと思います。最近になって、ようやく日本政府はそのことに気が付いたようです」
「ここからが本論です」
隣国とは離れて付きあうのが正着
内閣府が今年の2月末に令和2年の外交に関する世論調査を発表しています。今後の日韓関係について「重要だとは思わない」「余り思わない」との回答が40.7%(昨年/37.7%)ということでした。この数字をどう見るかということです。
仲よくした方が良いという考えのもとに見るならば低いかもしれません。別に無理して仲よくなる必要なしという考えであれば、特に問題なく受け止めることができる数字だと思います。韓国の方がやりたい放題にやっている感じで、それでこの数字なので、日本人は随分温厚な人たちが多いというのが私の感想です。
そもそも、ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されて10年経ちました。外国の公館前にその国を貶めるような像を設置することはウイーン条約に違反します。その慰安婦像は、2011年に設置されたのですが、その際に当時の内閣総理大臣の野田佳彦氏が首脳会談の席で撤去を求めていますが応じず、その後も一貫して韓国政府に対して撤去を求めてきたのですが応じていません。
2015年にはアメリカの要人の立ち合いのもと「慰安婦問題日韓合意」がなされます。ところが、その合意が守られることなく、慰安婦像は世界中に建てられることになります。中国、香港、台湾、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ドイツ、フィリピンと100体以上の慰安婦像が建てられています。
性奴隷の「物的証拠」「人的証拠」が何もない
ライダイハンと呼ばれている子供たちが、ベトナムに多くいます。「ベトナム戦争に派兵した韓国人兵士と現地ベトナム人女性の間に生まれた子供、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退と、その後のベトナム共和国政府の崩壊により取り残された子供のこと」(『ウィキペディア』)です。「ライ」はベトナム語で混血を意味し、ダイハンは「大韓」のベトナム語読みです。その数は5千人とも3万人とも言われますが、実態は掴めていません。
慰安婦が性奴隷、つまり日本軍が強制的に若い少女を拉致したというならば、上の例のように、当然日本人兵士と現地の女性との間の「混血児」が多くいるはずです。ところが、私は慰安婦だったと泣きながら名乗る人はいますが、いつも一人で現れます。中には、動かぬ証拠です。この子は、日本人との間に出来た子ですと言う人が現われてもいいし、自分のお父さんは日本兵ですと名乗りあげてもいいと思うのですが、そのような話は寡聞にして知りません。
また、性奴隷ということになれば、身体拘束を常に受けていたはずです。逃げられないような鉄格子の中に閉じ込められた、手錠、猿ぐつわ、足かせといった道具も含めて、何の物証も証言も出ていません。要するに、世界のいつどこにでもいる売春婦に過ぎないのではないかと思います。
(「5ちゃんねる」)
「慰安婦は性奴隷にあらず」(ラムザイヤー教授の論文要旨)
ちょうどこの時期、米ハーバード大学のラムザイヤー教授が「慰安婦問題」について学術論文を出されました。ラムザイヤー教授は幼少期を日本で過ごしたこともあり、日本語の著書もある日本研究の大家です。その日本語の要約文 (解説、要約/福井義高青山学院大教授) が『正論』5月号に掲載されていますので、簡単に紹介をします。
フェイクを垂れ流すのは、簡単です。しかし、それを覆すためには論証を重ねなければならないので、10倍の労力がかかります。簡単に言えば、いじめられたと簡単に言えますが、「いや違う、いじめてなんかない」ということを証明するのは、大変なことなのです。
だから、本来はどのようにいじめられたのかということを具体的に、かつ誰もが聞けば納得できるような話を語る必要があるのです。ところが、私は慰安婦だったと、ただ単に泣いているだけです。逆に、泣いて誤魔化しているのではと思います。本当にくやしい時は、何とか周りに自分がこんな目に逢わされたということを語って共感を得たいという気持ちが強くなるので、泣けないのではないかと思います。具体的に話をすべきでしょうし、そのような具象性がないよもやま話に基づいて、よく基金なんかをつくったものだとあきれています。だから、逆に付け込まれて、銅像を建てられてしまうのだと思っています。
<論文要旨>
・軍は病気の蔓延を恐れて、リスクをコントロールしようとした。
・軍は民間業者に半公式の売春宿を設置させ、衛生管理などを徹底させた上で兵士専用とした
・軍に協力する売春宿は慰安所、そこで働く女性たちは慰安婦と呼ばれ、兵士専用であった。
(当時の日本の国内の売春ビジネスは、許可制。全国11500ある売春宿に約500万人の売春婦がいた)
・慰安婦の女性たちは日本や朝鮮から集められ、1~2年の季奉公契約のもとで働いていた。戦地というリスクが高いため契約期間は2年が通例であるが、短い場合もあった。報酬はリスクが高い分、
内地より多く与えられた。
・慰安婦の募集をする専門業者が朝鮮にもいて、欺瞞的行為を用いて人を集めたり、長く働くようにたぶらかしたりした者もいたようだ。
(ラムザイヤー教授)
日韓断交の時代
マキャベリは著書『君主論』の中で「隣国を援助する国は滅びる」と言います。この言葉が真理ならば、半島の国とは縁を切ることを考える必要があります。
朝鮮併合が1910年です。そこから関わり始めて110年が経とうとしています。一言で言えば確かにロクなことはありませんでした。何故なのか。簡単に言えば、すべて悪意として受け取られてしまうからです。
およそ同時代に台湾を植民地として統治しました。台湾の人たちには、逆に感謝されています。同じような統治をしたのに、台湾と韓国では全く反応が真逆といっていい位違います。それは住んでいる人たちの気持ちだと思います。友好的な間柄になりたいと思うか思わないかです。思わない人たちにアプローチをかけても、無駄だということです。
日本が半島を統治し始めた頃の町の様子は、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)に詳しく書かれています。その中に、人糞まみれで「世界で最も不潔な国=李氏朝鮮」とあります。当時の朝鮮の人たちは、男も女も道端で大小便を垂れ流すのが当たり前だったそうです。
多分、それを何とかしたいと思ったのでしょう。日本は、便所の設置を指示します。それを当時の朝鮮中央日報は「日帝警察『1か月間に便所1500個設置』強圧的命令」(1910,9,2日付)と報じます。悪意として受け止めているのが分かります。
本当は、この瞬間に撤退を考える必要があったのかもしれません。苦難が現在まで続くことになります。
読んでいただき、ありがとうございました。
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