「国会の憲法審査会での実質審議が全くなされないままの状態が、この間ずっと続いています」
「どうして、そうなってしまったのですか?」
「絶対に改正させないという、見えない力が働いています。私はそう思っています」
「「外部の力ですか?」
「近隣諸国は、どこも改正して欲しくないと思っているでしょう。様々な工作が入っていると思う方が自然でしょう」
「ただ、審議くらいすればと思うのですが……」
「改正反対党の人たちが言うには、審議をしたからもう良いだろうということで、採決されるのではないかと思っているのです」
「だからと言って、審議を完全に止める権利はないと思います」
「そもそも国民主権なので、最終的に国民が判断すれば良いと思いますし、その為には国会を通す必要があります」
「どの政党が立ちはだかっているのですか?」
「立憲民主党と共産党が強硬ですね。ただ、与党の中も公明党が乗り気ではないですね」
「新聞やマスコミは、どうですか」
「『産経』くらいですかね。だけどかつては「朝日」も改憲を言っていたこともあるのですよ」
「えっ、そうなんですか!」
「これは1952(昭和27)年の朝日の記事ですが、「政府も、国会も、国民も共に、憲法改正への準備をはじめなければならぬ。占領下の諸法令を再検討するには、根底の日本国憲法を検討する必要がある」(1.10日付)と。勇ましいでしょ」
「そうですね。今と全然違うのですね (ここからが本論です)」
少年少女向け憲法読本によって洗脳がなされていた
宮沢俊儀、国分一太郎共著の 『わたくしたちの憲法』(有斐閣.1983年.)という、少年少女向けの憲法読本があります。この本は、1955年に出された同じ題名の本の改訂版です。初版本はおよそ65年前に出版され、改訂にあたっては実例を新しく差し替えた程度ということです。
宮沢俊儀氏は東京大学名誉教授でもあり、憲法学会の大御所とも言うべき人です。改訂版の発行が1983年ですので、お亡くなりになって7年後のことです。そんなこともあって、改訂版の発行は彼の弟子の池田政章氏が遺志を受け継ぐかたちで行われています。そういう事情ですので、初版本と改訂本は、ほとんど変わっていないと思われます。
今回は改訂版の方を取り上げてみたいと思います。
少年少女向けの憲法読本を取り上げるのは、何故か。それは、対象年齢が低いので、書き方がストレートで分かりやすく、著者の思いや考え方もそのまま出ているからです。
書き方のスタンスとしては、明治憲法と比較をしつつ、明治憲法を「悪」で「黒」とし、日本国憲法を「善」で「白」としています。実はこの「立ち位置」は、現在も変わっておらず、様々な専門書、中高の公民科の教科書は、このスタンスからの記述がなされています。そういう意味では、当時から時間が止まったままになっています。
言いたい放題、書きたい放題の少年少女向け憲法読本
「みんなと同じように、空気をすい、みんなと同じように、食物を食べる。そういうひとりの人を神さまといい、その人のためならば、だれでもが、尊いいのちもすてなければならない、そのような国がアジア大陸の東の方にありました。その国をつくったのは大昔の神さま、だから、その国をおさめるものは、あくまでも、大昔の神さまの子孫なのです。……この考えかただけは、地中深くくいこんだ大木の根のように、根強く残っているのでした。―—それが、わたくしたちの国、日本でありました。そして、神さまといわれるのが天皇でありました」(前掲書 16-17ページ)
その人は人間なのに、神さまと呼ばれ、その人のためならば、国民は命を捨てなければいけない。大昔から日本の神さまは、そのように考えていたかのように書かれています。
「1889(明治22)年にできた大日本帝国憲法にも、天皇は神さまであり、国の主人だと書いてありました。国の政治は天皇の考えでおこなわれました。軍隊も天皇の命令ひとつで、どうにでも動きました」(前掲書 17ページ)
ここの記述は、すべて誤りです。
明治憲法に「神さまであり、国の主人」と書いてありませんし、もともと日本の天皇が権力者として君臨したことは歴史上なかったのです。
「男の人は、『天皇のためだ』といわれれば、年とった両親や、愛する妻子をすてても、いやな戦争に、でかけて行かなければなりません。ひろい中国の大陸、遠い南の国の山中やジャングルの中を、木の根や草をたべながら、何日も歩いたり、氷にとざされた北の国で、身も心もかじかませながら、守りについて、ある時は弾丸(たま)にきずつき、ある時は病のために倒れ、そして、海に、山に、野原に、尊いいのちをすてなければなりませんでした」(前掲書 17ページ)
どの国の憲法学者が書いたのか、と思うような内容になっています。
「天皇の名まえをつかえば、どんなわがままでもできると考える大臣や上の役人、くらいの高い軍人などがでてくれば、ふつうのまじめな国民たちは、その人たちのすることにも、いやいやしながら、したがわなければなりませんでした」(前掲書 17ページ)
これらの文章は憲法第1条についての説明文です。第1条は、象徴天皇制についての規定ですが、象徴とは直接関係のない話が4ページのうち3ページを使ってこのような話が延々と続きます。象徴、シンボルのことは最後に8行くらいを使って書いてあるだけです。
ヨーロッパ中心史観を前面に出した憲法読本
97条に、基本的人権は永久の権利と書かれた規定があります。
この規定についての解説です。「世界の歴史をひもといてごらんなさい。それは自由を求めて戦う人類の足あとでした」から始まり、「人間の自由、基本的人権の尊さでした。人間が人間として生きるよろこびでした。どこにだしても、光りかがやく真実でした。おくれたアジア、おくれた日本のわたくしたちも、このたゆまない努力によって求めたものを、じぶんのものにし、……」(前掲書 260-261ページ)とあります。
ヨーロッパ中心史観が出ている文章です。自由とか人権といった言葉は、狭いヨーロッパの国土で多くの国、多くの民族がひしめき合って暮らす中で、編み出された概念です。つまり、国を強くするためには、王権を強くする必要があります。ただ、強くなった王権は、ともすると国民に対して刃を向けることもしばしばありました。そういったことから国民が身を守るための論理として、自由、平等といった権利概念が歴史上形成されていったのです。
片や一方、日本の周りは海に囲まれていたため、領土をめぐって隣国と争うという歴史がありませんでした。そんなこともあり、自由とか権利といった概念が生まれる余地がなかっただけです。こういうのを、「おくれた」と表現するのは間違いです。
しかも、日本では権威者の天皇と権力者の為政者を切り離したシステムを採用したのです。それは、明治憲法下においても同じです。そもそも、明治時代だけ天皇に権力を与える理由がありませんし、大政奉還の時、明治天皇はまだ15歳の青年です。
④ 時代遅れになった日本国憲法
75年前の憲法は、さすがに今の時代に合っていません。まず、前文に書かれている前提が存在していません。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(前文)の外交では、領土をかすめとられるような状況となってきました。北朝鮮の核・ミサイルが日本の方向に向いて配備されています。中国海軍の領海侵犯は日常的に行われています。沖縄県の漁船が先日は4時間追尾されています。
アメリカとの日米同盟は、国民の支持を得て定着していますが、憲法を制定した時は、そういったことを全く想定していません。当然、自衛隊のことも想定していません。それらのことを憲法に明記する必要があります。
また、権利関係についても、「新しい人権」として、環境権、プライバシー権、自己決定権、知る権利などが生まれています。憲法に明記されている表現の自由より、明記されていないプライバシー権の方を尊重しなければいけないというのが今の社会の流れであり、趨勢です。このようなことも踏まえる必要があります。
国会は憲法について真面目に論議する義務があります。駄々っ子のように、とにかく審議をさせないというのは大人の人間がすることではありません。
読んで頂きありがとうございました。
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