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速水融(あきら)先生若き頃の書…『歴史の中の江戸時代』 ―— 日本史研究の2つの欠陥 / 革命史観で日本の歴史を語る愚

「古本屋で面白い本を見つけたので、今日はこのことを話題にしたいと思います」

女性

「どういう本ですか?」

「『歴史の中の江戸時代』という題名の本です。対談もので、20人くらいの方が登場するのですが、経済学専門の方が多く、後は西洋史、気象や地質学や農学などの専門家たちが思い思いに江戸時代を様々な角度から語る内容になっています」

女性

「本の題名が「歴史の中の」とあるので、歴史のことがメインですよね」

「歴史が中心ですが、日本史専門の方が4人登場しますが、そのうちの3人は外国人です」

女性

「その意図するところは、どこにあるのですか?」

「この本の編集者の速水融氏は慶応の経済学部の教授ですし、本の出版社は東洋経済新報社です。経済学をはじめ他の学問分野の立場から日本の歴史を語ろうという意図です」

女性

「あえて日本史の専門家を外していますが、その狙いはどこにあるのですか?」

「型にはまった江戸時代の姿を打ち破りたい、歴史学会に一石を投じたいということだと思います」

女性

「その狙いは達成できたのですか?」

「一番最初が「歴史のものさし」ですが、速水氏は一番ここを問題にしたかったのだと思います。歴史学会の考え方を「天動説」と言っています。ちなみに、速水氏はその後慶応の名誉教授となり、文化勲章を受章して、何年か前に亡くなられています。彼が40代の時の問題意識がよく分かる書で、実は冒頭で紹介した本は古本屋で330円で買ったのですが、知る人ぞ知るの本で現在プレミアがついて3,980円の価格がついています。」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「育児ログ」提供です」

 日本史研究の2つの欠陥

速水氏は当時は慶応経済学部の教授でしたが、氏は日本史研究には2つの致命的な欠陥があると言っています。1つは、「普遍法則」があるという前提で、それに合う史実を史料から見つけ出そうとする態度。もう1つは、「歴史研究という名の下に、史料、とくに文献史料の羅列で済まされている状況」です。特に重要な問題が前者ですので、それについて見ていくことにします。

この書の発行は1977年なので、47年前、約1/2世紀前ですが、その指摘が現在もなお有効な状況があります明治維新を境にして日本は資本主義国として近代化・工業化を成し遂げた。そんな位置づけから明治維新を一種の革命と見做す見解が現在も幅をきかせているところがあります。

歴史学会は唯物史観の影響が今でも強く、古代奴隷制社会→中世封建制社会→(市民革命)→資本主義社会→社会主義社会という「普遍法則」を念頭に置いて歴史が語られているきらいがあります――「われわれは明治維新をもって、日本におけるブルジョワ革命そのものとして、またはその資本主義の発展の主要段階の一つとして理解する解釈が、現代において必然的たり、かつ実に客観的たる明治維新史解釈たることを確かめうる」(史学会編『明治維新研究』)。史学会というのは、戦前に東大文学部内につくられた研究会で、当時の名だたる歴史学者が集った会です。明治維新を中心に歴史を見ていくという考え方は、現在の教科書にも影響を与えています。


(「Yahoo!フリマ-Yahoo! JAPAN」)

 江戸の庶民の生活

明治維新中心主義の考え方は、江戸時代軽視の考えを生みます。先入観なしで江戸時代を見つめようという意図が込められています。

幕府が江戸の住民に出身地を聞くという調査を数回実施しています。その調査によると、25%~33%の人が江戸以外と答えています。江戸幕府ができた頃は、人口は数万であったと言われています。ところが、元禄時代になると百万都市になっています。つまり、100年足らずで一気に大都市になったのです。そのような人口の増え方は世界に例がないと思います。

都市化という現象は近代以降という思い込みがあるかもしれませんが、決してそんなことはないということです。ところで、なぜ江戸に人が集まったのかということですが、良い生活が出来るからです。田舎暮らしであれば、ヒエ、アワ、麦を食べて、土間にムシロを敷いて、ゴザを敷いて寝て、飲むのはドブロクといった単調な生活です。都会に来れば、青畳の上で寝られて、白米を食べて清酒を飲むことが出来る各種の芸能もあるし、本屋もあります。江戸は憧れの町だったのです。濃尾平野の例で言うと、ほぼ半数の人が大都市に最低1年は住んでいます。

そして、そのように集まった人たちがその後どうしたのかが問題ですが、何年かすると故郷に帰ったようです。江戸は魅力が一杯ですが生存競争が激しかったようです。都会に出てきた人は、どちらかというと若死にしているので、それで分かるのです。

(「nippon.com」)

 階級社会というプロパガンダ

士農工商という言葉が一人歩きして、江戸時代は身分制社会ということを印象付けている感がしますが、速水氏は「使うのをやめた方がいい」と言います。変な先入観を植えつけるだけだからでしょう。年貢を取るという観点ではなく、カネを使うレベルで考えれば関係なかったからというのが理由です。

例えば、現代でも経営者、従業員、農民、公務員と様々な職種に分かれていますが、カネを出す消費者の観点からすれば、どの階層に属していても差別されることはありませんイギリスでは、シエイクスピアを庶民が観ることは想定されていませんでした。日本では、カネさえ出せば誰でも歌舞伎を鑑賞し、相撲を見ることができたのです。イギリスのようなことはなかったということです。ヨーロッパでは上流と下流では、その享受する文化が異なっていましたが、そういうことは日本ではなかったのです。

江戸時代の土地所有という観点から見てみると、常に売買されていたことが分かります田畑永代売買禁止のお触書が幕府から出されることがありましたが、実態に合わないということで、それに対抗して加賀藩は「切高仕法」を出して売買を許可しています。こういうのを見ると、江戸時代が地方分権社会であることが分かりますし、農民に土地の所有権を与えていたことや、移動の自由があったことも分かります。

(「上野風月堂」)

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