「昨日のブログの説明で、台湾出兵までの事情や時代背景、そして意味がよく分かりました」
「高校の教科書には、漂流民殺害事件が発生したため、それを口実にして台湾へ出兵したかのような書き方がしてありますが、もともとの出発点は、難破して漂流して何とか陸地に辿り着いた島民たちを人道的な見地から助けるのが人間として当たり前というところから始まっています」
「少なくとも殺すことはないと思いますよね。しかも、54人という数が凄いですね。もちろん、教科書には数は載っていません」
「本来は何らかのかたちで載せるべきでしょうね。1人と54人では人間の気持ちの持ち方が変わります。それは政策にも影響を与えるからです」
「宮古島の島民が犠牲になったのですが、宮古島と台湾は近いので、これからも難破事故そして漂流して台湾へということがあるだろうという判断があったのでしょうね」
「そのたびに殺されたのではたまらないし、清は台湾についての統治に殆ど関心がなく、代わって出掛けたということです。まさか「丸腰」という訳にはいかないので、出兵となったということです」
「一連の行動で、琉球(沖縄)の帰属が確定したところが大きな意味があったと思います」
「当時は、琉球(沖縄)の帰属を巡って清ともめていたのです。その決着をはかるための出兵であったし、そこに真の狙いがあったとする歴史家も多いのです。このように、領土問題というのは、何かのきっかけがないと決着しないものなのです」
「それで思い出しましたが、今日(2/7)は北方領土の日ですよね。こちらの領土返還は厳しそうですが、見通しはいかがでしょうか」
「領土問題というのは、関係両国の首脳が寄り添ってどうしましょうか、ということでは解決することはないと思っています」
「それは、どういうことですか?」
「つまり、お互い全くフラットの状態で始めても、まとまりません。返す方に何の政治的、経済的メリットがないからです。メリットがないのに、返せば当然国内から反発を受けます」
「それは勝手な論理だと思いますけど。取ったものを返すのは当たり前だと思います」
「国際社会は道徳論は通じません。返すことによって、両国首脳がお互いプラスと思い、両国民の多くがその判断を歓迎するということがなければ無理です」
「ただ、そんな状況をつくることは無理だと思います」
「だから、現実的に北方領土は現時点では全く可能性はゼロに近いと思います」
「ここからが本論です ↓」
隣国とは仲が悪いもの
世界を見ても隣国同士仲が良いということは殆どありません。何故なのか。日本は島国なので、余り実感として受け止めていませんが、領土の線引きをめぐって争いを繰り広げてきたからです。そして、平時で領土の線引きが動くことは殆どなく、戦時も含めて何かコトが動いた時に決まるものです。
それは何故かと言えば、平時は別に現状維持で良いだろうという考えが強く働くからです。
安倍、プーチン会談が何回も行われました。安倍氏はプーチン大統領とは、個人的信頼関係を構築したと言っていましたが、領土交渉において個人的信頼関係云々ということは関係のない話です。
日本人は、まず個人的信頼関係を考えますが、大陸の民族は国家の力関係を考えます。日本人は外交交渉についても誠意を見せて対応すべきと考えますが、大陸の民族はいかに自国の利権を獲得するかを考えて対応します。後者が世界標準であることは確かです。
相手は大国意識が強いロシアの指導者です。島国日本という蔑視観を当然もっていますので、難航が予想されます。というか、腹の中では何があっても返さないと思っていると思います。相手の真意を汲み取って、交渉に臨まなければ単に利用されるだけです。
2月7日が北方領土の日というのは、1855(安政元)年の2月7日に日魯通好条約が締結され、そこで択捉島とウルップ島との間にロシアとの国境が画定されたからです。ちなみに、樺太は雑居地としたのです。ある意味、のどかな時代だったのかもしれません。その後の両国の外交関係について、下の表にまとめてみました。
【日ソ関係年表】
1875年 | 樺太・千島交換条約 | 北方領土を含む千島列島を日本領、樺太をロシア領とすることで合意 |
1905年 | ポーツマス条約 | 南樺太を日本領とすることで合意 |
1941年 | 日ソ中立条約 | |
1951年 | サンフランシスコ平和条約 | 南樺太と千島列島を放棄 |
1956年 | 日ソ共同宣言 | 平和条約締結後に、歯舞、色丹を引き渡すことに合意 |
北方領土は地政学的に要衝の地
地図を開いて確認して欲しいのですが、アメリカとロシアがベーリング海峡をはさんで向かい合っています。北方領土も含めて、日本の位置はロシアにとって戦略・戦術的にイヤな所にあるのです。
サッカー、あるいは将棋をイメージしていただくと分かりやすいと思うのですが、両サイドとセンターは戦略上最も考えなければいけないエリアです。このサイドエリアに北方領土が位置しています。道理的には返還しなければいけないのかもしれませんが、おいそれと返す訳にはいかないというのがロシアの本音でしょう。
しかも今のプーチン政権は野党の指導者を抹殺しようとしていますし、反政府デモを力で抑えようとしており、非常に強権的です。さらに、ロシアとアメリカの対立はしばらく続くと考えられますので、要衝の地である北方領土を手放すとは到底考えられません。
『産経』(2021.2.7日付)は「社説」で「プーチン政権との領土交渉はこちらから打ち切る決断をすべきときではないか」と提言しています。無駄な努力、無駄な時間、相手にすれば利用されるだけということでしょう。そう思います。
千載一遇のチャンスを捉えて行動すべし
千載一遇という言葉があるように、社会と歴史が動く時に合わせて行動しなければ、領土というものは返ってくるものではありません。ましてや相手の国のお国柄を見ればなおさらでしょう。
今となっては愚痴になりますが、ソ連が崩壊した時が千載一遇のチャンスだったのです。1993年10月にはロシアのエリツイン大統領が北方領土問題として4島の名前を明記した上で、帰属について「法と正義の原則を基礎として解決する」とする東京宣言に署名をしたのです。細川内閣の時です。冷戦構造が崩れたので、一瞬要衝の地ではなくなったのです。
そして、相手の態勢も崩れたので、ここが勝負でしたが見極めることができなかったようです。スポーツと同じで相手の一瞬のスキをチャンスと捉えて行動することが肝要です。チャンスと感じるかどうかは、政治家の外交センスの問題です。
内政と外交、センスが光る政治家がめっきり少なくなったと思います。そういう意味で、「日本の危機」はこれからもしばらく続きます。
読んでいただき、ありがとうございました。
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