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AI時代の教育は、少人数、個別教育が基本 / 一人ひとり能力を見極め開花させる教育を

「お子さんは、小学生でしたよね。通常登校に戻ったのでしょ?」

女性

「ええ、一応。一時期は自宅待機で大変でしたが、学校が再開されたお陰で私も安心して、こうして働きに出られています」

「喜んで登校していますか?」

女性

「ええ、毎日楽しそうに行っています」

「全国的にも学校が再開されたので、9月入学説も無くなったので、ホッとしています」

女性

「一時期は危なかったですよね」

「日本人は、波に乗るのが好きですからね。今回も乗ってしまったらどうしようかなと思いました」

女性

「ただ、私は個人的には9月に延ばしてもらっても良いかなと思いましたけどね」

「ダメだよ、自分の子供のことだけ考えるのは」

女性

「だって、学校がない間は、あの子ったら、思考停止状態なんですよ」

「ところで、「5歳入学説」というプランが出ているのだけれど、どう思いますか?」

女性

「いろんなことを考えるのですね。お勉強の好きな子なら良いと思いますけど……」

「ということは、どちらかというと反対ですか?」

女性

「自分の子供しか分からないので、私の意見が正しいかどうか分からないですが、ウチの息子が5歳で入学していたら、担任の先生は大変だったと思います」

「5歳入学で大丈夫な子と、そうでない子がいるということでしょうか?」

女性

「そうだと思います。何事も一律に考えるところがありますが、個別具体的に考えることではないかと思います」

「ここからが本論です ↓ 」

 5歳入学説


5歳入学説は、国際競争時代を勝ち抜く必要があるので、そのためには少しでも早く小学校の入学を早めにしたらどうかという提案だと思います。そして、5歳から7歳が幼稚園・保育園から小学校に移行する時期ですが、日本は6歳になった4月から入学をするとしていますので、他の先進国と比べて少し遅めなのです。そんなところから、1歳前倒し出来ないのかという提案なのです。

<小学校の開始年齢>と<学年の始期>

イギリス 5歳   9月

フランス 6歳※  9月

ドイツ  6歳※  8月

アメリカ 6歳※  8月~9月

韓国   6歳※  3月

オーストラリア 6歳※  1月

中国   6歳   9月

(注) ※は小学校や義務教育開始時に5歳児も存在

アメリカ、ドイツ、オーストラリアは州によって異なる

(外務省ホームページより)

入学を5歳にすることによるメリットとデメリットを考えてみましょう。5歳で入学した子どもたちが、すべて全員大学を卒業すると考えた場合は、今までより全員1年早く卒業できます。今までよりも、さらにフレッシュな力が社会に入ってくるから良いのでは、と思ってしまうのも分かります。

ただ、計算通りに行くのかという問題があります。人間は機械ではないからです。人には、それぞれ「レディネス」(学習条件)があります。同じことを教えたとしても、レディネスがその子にあれば受け止めることができますが、ない場合は教えても受け止めることができません。「レディネス」は個人によって違いますので、一般的に論じることはできません

さらに、幼稚園と保育園側の問題として、経営上の問題と教育上の問題が発生します。前者は容易に分かる問題だと思います。後者の問題は、「年長」の学年が小学1年生になると、今までの「年中」が「年長」となります。子供の集団というのは、一番年上の学年が全体を引っ張るというのが自然の姿です。従って、今まで以上に子ども集団が作りにくくなるでしょう

 AI時代は、個別化を組織的にどの程度実現できるかが鍵

9月入学説も5歳入学説も、実は従来の一斉・一律授業の延長で考えているという問題があります。教育のあり方は、時代の流れとともに変えることを考えなければいけません。変えてはいけないもの、変えなくてはいけないもの、それをきちんと見極めることが大事です

AIとの共存時代に入ろうとしています。これからの教育は、個別化、具体化、選別化をいかに図るかが問題となります。欧米に合わせて、9月入学にしたり、5歳入学にしたりすれば、子どもたちの能力が高まる訳ではありません。機械と人間とは違います。そんなに単純な問題ではありません。

一人ひとりの子どもの状況に合わせて教育プログラムを組む位のことを、これからは考える必要があると思います。経済同友会が昨春に「小学校高学年以降は修得主義にし、留年や飛び級を実施するよう提言」(『日経』2020.7.8日付)し、文科省もそういった教育システムについての検討を始めたとのことです。

ただ、戦前の日本においては、飛び級も修得主義も採用されていたのです。そして、憲法26条には「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とあります。持って生まれた才能、それはもしかしたら将棋、テニス、マンガかもしれません。才能が開花するような教育プログラムが用意される態勢を整える必要があるのです。

 AI時代だからこそ教育の地方分権化をすすめる時

教育改革は専ら文科省が引っ張ることになると思いますが、問題なのは、力関係上で文科省は財務省より弱いということです。どういうことか、何かを改革する場合は、当然お金が掛かります。政府と財務省の充分な協力がなければ、無理ということです。

日本では、適正規模が「学校教育法施行規則」により、公立小中学校の標準規模が12~18学級と定まっています。1学級の児童・生徒数の標準は現在40人(小学校1年生は35人)と定められていますので、単純に計算すると1つの学校の児童・生徒数が480人~720人となります。

そのような大規模校を想定しているのは、世界の先進国の中では日本くらいのものです。世界は小さな学校、小さな教室で、一人ひとりに合わせて教育をする時代に入っているからです。それにも関わらず、日本の学校はかつての時代のように「すし詰め教室」での一斉授業を行うという発想から抜け出していません。

いま進められている学校統廃合は、多くの場合、学校の「標準規模」(12~18学級/校)を目標に計画されていますから、単純計算で480~720人という、世界に例を見ない大規模校になっています

文科省もその辺りの事情を多少は分かっていて、「2011年度に小1の35人学級が制度化された後、中3までの拡大を目指した」(「毎日」2020.7.9日付)ことがあるのです。その時に、財務省の反対にあって実現しませんでした。それどころか、現在は逆に「財務省はこの間、小1を40人学級に戻す案を示すなど少人数学級には厳しい姿勢をみせてきた」(「毎日」2020.7.9日付)のです。

つまり、政府が教育政策ないしは戦略を、国の方針として定めない限りは、教育条件は良くはならないでしょう。政府は保育のことは言っていますが、教育については殆ど何も語っていません。

教育が中央集権制であるならば、財務省よりも多くの権限を文科省に与えるべきでしょうし、それができないのであれば、教育の地方分権化を進めるべきだと思います。

江戸時代の頃のように、それぞれの藩(地方)の責任において、その地方の特色を生かした教育営為が行われるべきでしょうその方が、人間性豊かな人材を育てることができると思います

今の政治状況の中でのこの間の様々な対応を見ていても、中央政府より知事や市長の方がよっぽどしっかりした考えに基づいて発言し行動しているように思えます。何でも中央という時代ではないと思います

読んで頂きありがとうございました。

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