「歴史を毀(こわ)された国は衰退し、歴史を消された国は消滅する、という言葉を紹介したいと思います」
「何か、格好いいですが、恐い言葉ですね」
「この言葉は、元防衛大学校教授の平間洋一氏の言葉です」
「毀された、消されたという受け身の言葉があるということは、歴史を毀そうとしたり、消そうとしたりする国があるということですか?」
「当然、あります」
「それはどの国ですか?」
「そういうふうに、物事を固定的に捉えるのではなく、動態的に捉える必要があります」
「ドウタイですか? これで、どうだい」
「つまらないことを言わないように。読者が逃げますから。つまり、加害者になったり、被害者になったりするということです」
「日本の場合は、常に被害者という感じなのですが……」
「島国なので、『大陸ルール』を知らないだけです」
「何ですか? 『大陸ルール』って?」
「大陸では、常に国境線を挟んで対立をしてきた歴史があります。その対立に勝つためには、2つのことを考える必要があります。1つは、軍備増強です。2つ目は、イデオロギー攻撃です。隣国の歴史抹殺攻撃です」
「成るほど、それをお互いにやったり、やり返されたりしたということですね」
「そういうことです。そして、敵は隣国です。帝国主義国の植民地支配は別にして、国境を超えて敵国が国をまたいで攻めてくることはなかったからです」
「そう言われても、日本は四方を海に囲まれているのでピンと来ないかもしれませんね」
「スポーツで言うと、練習試合すらしていないということですが、自国が生き延びるために、隣国に対してイデオロギー攻撃をするのは当たり前のことなのです」
「日本は波風立てないように、穏便にいきましょうという感じですよね」
「それは、ある意味では世界の中でも稀有な考え方だと思います。主張すべきは主張して、お互い議論する中で共通点を見いだしていこうというのが国際常識です」
「ということは、隣国が日本を攻撃するのは、別におかしいことではないということですか?」
「ないに越したことはありませんが、隣国がそのように動いたとしても、ある意味生き延びていく上での行動と理解する必要があります。問題なのは、そこからです。隣国のイデオロギー攻撃に呼応、もしくは同調して、反日攻撃をするというのが、日本のマスコミの特徴です。そういうことは、世界を見ても余り例がありません」
「日本の敵は日本人と言われる所以ですね。ここからが本論です ↓」
李登輝氏のことを話題にしながら、『朝日』は反日記事を書く
李登輝氏のことを話題にしながら、反日的な記事を書くマスコミ。例えば、『朝日』の「天声人語」―—「日本の支配をくぐり抜けた台湾の人たちは、それぞれに日本式の名を持つ。97歳で亡くなった元総統李登輝氏は『岩里政男』」だった。台湾で生まれ育ち、京都帝大に学び、……」。「日本の支配をくぐり抜けた」という書き方がいやらしいです。さすが朝日新聞という感じです。
そもそも、李登輝氏自身、「私は22歳までは日本人だった」と言っています。生粋の台湾の人が京都帝国大学(現京都大学)に入学できたということは、その当時すでに日本によって、台湾に近代的な教育制度と施設が整備されていた証拠です。
西洋の植民地支配は、単に収奪のための支配ですが、日本のそれは現地のインフラ整備はもちろん教育制度を整え、台湾には台北帝国大学まで創設しています(1928年)。日本名があるということは、現地の人を一人の日本人として大切に扱っていた証拠です。当時の日本が親身になって統治をしたのです。そんなことから、親日家も多くいますし、観光旅行に行った時に、我々日本人に大変好意的です。3.11の時には官民合わせて総額253億円の義援金も頂いています(ちなみに韓国は約60億円)。
明治天皇の明治38(1905)年の御製(和歌/「外交」)を紹介します。
まじはりをむすぶ國國へだてなくしたしまばやとおもふなりけり
どの国とも分け隔てなく親しくする、それが植民地の民であったとしても、同じ仲間として扱う。それが明治天皇が切に望まれていたことなのです。現地の発展を願い、現地の産業育成の手伝いをし、ダム建設やインフラ整備をした先人たちの努力が今になってようやく台湾の人たちに理解され始めたところなのです。ダム建設など治水事業として力を尽くした八田與一(よいち)氏のことは台湾の教科書に載っています。銅像も建てられ、毎年慰霊祭が現地で行われています。
『朝日』は、そういったことを記事にすることはないでしょう。戦前はとにかく日本支配の暗黒時代であったということを書くのが使命だと思っているからです。
「天声人語」はさらに、「『犬が去って豚が来た』。台湾でよく聞く言葉である。半世紀に及ぶ日本の支配がようやく終わったが、入れ替わるように大陸から外省人が押し寄せる。台湾の本音そのものだ」。しつこくここでも「日本の支配」を使っています。
「豚」とは国民党のことです。その国民党は、今でこそ野党ですが、台湾人の支持を得て政権を運営したこともあります。そもそも、その総統であった人が李登輝氏なのですから。その国民党よりも日本の統治の方が良かったというのが「犬」という言葉に表されています。「犬」はペットとして愛され、番犬としても役に立つ動物です。従って、「犬」と「ようやく終わった」という言葉は、文脈上合いません。
「天声人語」は続けて、「総統在任中も退任後も、李氏は日本支配に対する嘆きや恨みを公言しようとはしなかった」とあります。短い文章の中に3回目の「日本の支配」の登場です。「日本の統治」と正確に書けないのかと思います。日本人に何を刷り込みたいのかと思います。「公言」とあるので、何か私的にでも「嘆き」「恨み」を語ったものが資料として残っているのかと朝日新聞に電話で問い合わせてみました。そういうものは「ない」という回答でした。つまり、この一節は、あくまでも「天声人語」を書いた人の主観、つまり思い込みで書かれた一文だということが分かりました。
そもそも彼は、日本の統治に対して、感謝こそすれ、「嘆きや恨み」などもっていないでしょう。彼は総統を辞任した後、日本に8回来ています。念願であった「奥の細道」の旅行を果たしたといって喜んで帰って行った方です。「嘆きや恨み」を抱いていれば、そんな国に8回も来ないと思います。その間に講演もしています。日本語で本など出版しないでしょう。
日台の国境を超えた協力によって台湾新幹線は開通しました。その実話をもとに日台共同制作ドラマ『路(ルウ)―台湾エクスプレス』が先日NHKで放映されました。
両者が接近すればするほど、引き離そうとする力が大陸から働いて、それを受けて反日の『朝日』が記事を書くという図式なのでしょう。
『朝日』は反日のマルクス主義新聞
『朝日』は何故、そこまで記事を捻じ曲げてでも反日を訴えたいのでしょうか。簡単に言えば、革命が起きれば良い、そのためには政権を弱めることが大事、政権を弱めるためには、反日の雰囲気を醸成する必要があるという「三段論法」的単純発想による行動です。
第二次世界大戦の時は、戦意高揚を謳っていたではないか、180度の方針転換があったと思う方がいるかもしれませんが、戦前から一貫して上記の考え方に基づいていたのです。無謀な戦争に突き進み、敗戦により国が疲弊すれば革命の機会が広がります。原爆が投下されても、さらに戦争を続けるべきだと鼓舞し続けたのです。
ポツダム宣言を受諾した日(1945.8.14)の『朝日』の社説です――「敵はこの新型爆弾の使用と同時に謀略宣伝を開始し、国民の戦意喪失を計りつつあるという。これは新兵器の威力を過大視せしむることによって、その謀略に乗せられる隙を作り出さんとするものである。……軍当局を信頼して、絶対に敵の謀略に乗るひとがあってはならない。……すでに幾多の同胞は戦災者となっても、その闘魂は微動だもせず、いかに敵が焦慮の新戦術を実施しようとも、一億の信念の凝り固まった火の玉は消すことはできない」(『朝日新聞の戦争責任』太田出版.1995年/120ページ)。原爆が投下されても関係ないので、さらに戦えと鼓舞しています。
この辺りについて、「大東亜戦争で聖戦貫徹を唱え、軍部の宣伝活動にも協力した少なからざる知識人が戦後に日本共産党員になったり、その陣営に復帰して旗振りをしたり、その側でさらに過激化したりした。占領軍総司令部のGHQに出入りした有名なマルクス主義者もいる。これも彼らにとっては、時流に応じて次々と変身する一部のよく名指しされる人物を除き、戦中からの変節では決してなく、彼らの理論としては首尾一貫していたのだろう。支那事変も大東亜戦争も、その戦争を激化させ、疲弊した日本を共産主義国家に変質させようとするマルクス主義の戦争でもあったという複雑な性格を帯びていた」(長谷川熙『崩壊 朝日新聞』ワック株式会社.2015年/199ページ)
「性急な共産主義革命は退けつつもマルクス主義そのものは否定しない、いわゆる『容共リベラル』的な彼らの考え方が、戦後の『良識』と朝日社内でみなされ、社内の思潮の主流派を形成していたことは否定できない。長く社内にいた私がそう思う」(長谷川熙 前掲書/125ページ)と言っています。
マルクス主義という体制破壊理論が、紙面を通して多くの日本人に日々届けられているということです。『朝日』の読者は、『赤旗』を読んでいるようなものです。お近くの共産党員に、試しに商業新聞を1紙購読するとしたら、どこがいいですかと聞いてみて下さい。力強く、「朝日新聞」と答えると思います。
読んで頂きありがとうございました。
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