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語り直される沖縄戦 ── 歴史認識と政治発言の責任 / 歴史の切り取り方が生む、加害と被害の逆転

「自民党参議院議員の西田氏の発言が問題になりましたが、ユーチューブで聴きました」

女性

「何が問題になったのか、私にはよく分かりませんでした」

「そうでしょうね。肝心なことは何も放送していなかったように思えます。最初は撤回しないと言っていましたが、後になって撤回し、謝罪すると言っていました」

女性

「参議院選挙が近いので、謝ったのではないかと言われていましたよね」

「ある意味、日本的な終わり方ですね」

女性

「問題点は何なのかをはっきりさせずに、頭を下げて終わるという……」

「日本人は頭を下げられると、弱いですからね。そこで終わりになってしまうのです」

女性

「水に流す文化ですね」

「先の大戦については、きちんと因果の流れを元まで辿って原因究明すべきだと思いますけどね」

女性

「なぜ、それが出来ないのですか?」

「簡単に言うと、戦争当時に政権の中枢部にいた方たちの子孫が、現代においてなお、それなりの影響力をもったポジションにいるからです」

女性

「忖度しているということですね。ここからが本論です ↓表紙写真は「ameblo.jp」提供です」

 西田昌司議員、ひめゆり発言を撤回・謝罪

自民党の西田昌司参議院議員は、沖縄戦における「ひめゆり学徒隊」への言及に関して、発言の不適切さを認め、謝罪・撤回の意向を表明しました。問題となったのは、彼が沖縄県でのシンポジウムで語った内容で、「日本軍がひめゆり隊を死なせ、アメリカが沖縄を解放したと書いてある。歴史を書き換えるとこうなる」との発言でした。これに対し、多くの批判の声が上がりました。

「ひめゆりの塔」は、戦時中に動員され命を落とした沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちを悼む慰霊碑です。隣接するひめゆり平和祈念資料館は1989年、元生徒らによって設立されました。目的は、亡くなった227名の学徒と教師たちの鎮魂、そして戦争の悲惨な実態を次世代に伝えることです。

西田議員の発言が問題視されたのは、戦争責任や史実の解釈について、学徒らの犠牲に十分な敬意が払われなかったことにあります。沖縄の歴史的な記憶と向き合う際には、政治的な立場ではなく、まず亡くなった人々への追悼と謙虚な姿勢が求められます。政治家の発言には特に慎重さが必要であり、今回の謝罪を機に、歴史の捉え方を再考する必要があると感じます。

(「IRAW by RCC」)

 日本で唯一「本土決戦」が行われた沖縄の悲劇

1945年3月から6月にかけて行われた沖縄戦は、民間人を巻き込んだ日本で唯一の「本土決戦」でした。日本軍は沖縄を「本土防衛の最終防波堤」と位置づけ、持久戦に持ち込む作戦を選択しました。一方、アメリカ軍は沖縄を日本本土進攻の前線基地と見なし、圧倒的な戦力で攻撃を加えました。

この戦いによる死者は、日米両軍合わせて20万人以上に達し、そのうち約12万人が沖縄県民でした。沖縄の人々は軍民問わず、事実上「根こそぎ動員」されました。中等学校や師範学校の女子生徒までもが戦場に送り出され、「ひめゆり学徒隊」もこの中に含まれていました。生徒たちは看護要員として従軍しましたが、実態は極めて過酷で、多くが命を落としました。

ここで問題となるのは、国の責任です1945年3月1日は、東京大空襲がありました。日本の制空権はアメリカにあり、その時点ですでに敗戦は濃厚であったにもかかわらず、終戦の決断がなされず、多くの無辜(むこ)の命が犠牲となりました。沖縄における地上戦は、軍事的意味を超えて、国が国民を守るべきという責任を果たし得なかった象徴的な出来事だったといえます。生徒たちの命は、国の硬直した戦略と指導者の判断ミスによって奪われたのです。

(「nippon.com/ひめゆりの塔」)

 「被害者か加害者か」を左右する歴史の切り取り方

西田議員の講演には、歴史の因果関係を一方的に捉える傾向が見受けられました。彼が講演の中で紹介した「日本はABCD包囲網に追い詰められたため戦争を始めた」という論は、歴史観として一定の根強い支持がありますが、包囲網は国際社会の警戒感から出てきたものです。

国際関係における「喧嘩」の発端をめぐる議論は、しばしば原因と結果の連鎖のどこで「切るか」によって、加害者と被害者の立場が入れ替わる構図を生みます。人間の喧嘩と同じです。最初にAが手を出したとBが言えば、Bが悪口を言ったからと言い、それはAが睨んだからだとBが言えば、Bがからかうような態度を取ったからとAは言う。原因と結果はこのように連鎖して起こりますので、延々と辿ることができます。

問題なのは、どこで切るかということです。日本の侵略的行動は、日清戦争や日露戦争、そして朝鮮併合などの帝国主義的拡張に端を発し、それがアメリカなど列強の警戒を招いたことは否定できません。

戦争の責任を語るとき、誰が先に手を出したかだけではなく、その行動に至るまでの国際的な文脈と国内体制の在り方を見直す必要があります硬直した思考や組織体制が、戦争回避のチャンスを奪ってしまったことを踏まえると、歴史教育においても複眼的な視点が不可欠です

(「ホリショウのあれこれ文筆庫」)

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