
「熊が市街地に出没するようになり、人に被害を与える事件が起きています」

「何人かお亡くなりになっていますし、大けがをされた方もいます」

「今まで、こういったニュースがなかったのですが、急にどうしたのかと思っています。熊は人間を基本的に避ける動物だと思っていました」

「その認識は、正しいと思います。熊側の事情として、敢えて人里に向かわなければいけない事情があるということでしょう」

「ただ、そのことについて余り語られておらず、出てきたら駆除するという発想になっています」

「市街地での猟銃使用をOKにしましたからね」

「それを想定した訓練の様子をテレビで放映していましたね」

「人命が大事なので、それはそれとして行いつつ、クマにとって住み良い自然の環境を作ってあげるということも大事だと思います」

「どうすれば良いですか?」

「里山の保全と森の環境整備の2つでしょうね」

「里山については、昨日(9/1)のNHKの解説者も言っていましたが、そもそも里山自体がよく分かっていません。そこから教えて下さい」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「東京新聞」提供です」
熊が人里に出没する背景
野生の熊が人間の生活圏に頻繁に姿を現すようになった背景には、いくつかの要因が複合的に作用しています。熊はもともと木の実や昆虫、小動物などを食べる雑食性ですが、近年はどんぐりやブナの実などの不作が各地で発生しています。山中で餌が不足すると、熊は人里に降りて農作物や果樹、あるいは家庭ごみを漁るようになります。特に秋は冬眠に備えて大量の栄養を必要とするため、食糧が不足すると出没が急増するのです。
さらに、森林伐採や宅地開発、道路整備によって熊の生息域は人間の生活圏と重なりやすくなりました。山中にまで林道やキャンプ場が広がった結果、「人間の領域」が山奥に入り込み、人と熊の接触機会が増えています。加えて、日本各地で進む過疎化により、かつて人が手を入れていた田畑や里山が放置されました。熊は本来、人の臭いや気配を避ける性質を持っていますが、人の活動が薄れた土地は熊にとって「安全な行動範囲」となり、人里へと行動圏を広げる要因となっています。こうして熊の出没は単なる一時的現象ではなく、地域社会の構造変化と環境条件の重なりによって生じた現象といえます。
(「好書好日-朝日新聞」)
里山の境界機能とその喪失
「里山」とは、山のふもとに広がる人と自然の中間的空間を指します。農地や雑木林、入会地など、人が生活資源を得るために利用してきた土地が含まれます。放置された無主の野山とは異なり、村や集落によって共同管理され、薪や炭の材料、落ち葉の肥料、山菜やキノコ、タケノコなどを採取する場として活用されてきました。
このような里山では、人々の往来が絶えず、農作業や犬の声など人の気配が常にありました。そのため、熊をはじめとする野生動物はそこを避け、人里との間に自然な境界が形成されていたのです。しかし戦後のエネルギー革命や農村の過疎化により、薪炭利用は急速に衰退しました。人が入らなくなった里山は荒れ地となり、野生動物にとって入りやすい場所に変わってしまいました。
つまり、里山が利用されていた時代には人と熊の間に明確な「緩衝帯」が存在していましたが、その境界が曖昧になったことで、熊はより容易に人間の生活圏に入り込むようになったのです。こうした背景から、近年では獣害対策の一環として里山の再生活動に取り組む自治体も増えています。間伐や薪炭利用の復活、あるいは里山散策イベントなど、人の気配を取り戻すことが境界の再生につながると考えられているのです。
(「Feel Kobe」)
森の生態系の機能不全と熊の出没
熊の出没は里山の荒廃だけでなく、森そのものの生態系が機能しなくなりつつあることにも原因があります。北海道の知床や白神山地のように人の影響をほとんど受けなかった原生林は、自然の循環によって維持されますが、そのような原生林はほんのわずかです。本州・四国・九州に広がる多くの森は、実は人が長年利用してきた「二次林」です。定期的に伐採や下草刈りを行うことで光が入り、多様な草花や昆虫、小動物が生息できる環境が保たれていました。しかし手入れが止まると、暗く単調で生物多様性の乏しい森に変わり、熊にとっても餌資源が不安定になります。
日本の森林率は約67%と世界でも高水準ですが、その内訳の大部分は二次林や人工林です。戦後に造成されたスギやヒノキの人工林は間伐が行われずに荒廃し、下草や広葉樹が育たない「痩せた森」になっています。その結果、熊が山中で十分な栄養を得られず、人里に出没する事態を招いています。
森は古来、人々の生活と密接に結びつき、建材や道具、文化財を生み出してきました。豊かな森林は川や海の恵みを支える基盤でもあります。熊の出没は、こうした森の機能低下を示す「警告」とも受け取るべきでしょう。単なる駆除ではなく、森と人の関係をどう再構築するかという視点から、この問題に向き合うことが求められています。
(「農林水産省」)
為政者への警告 ― 森林を忘れた政治
熊の出没をめぐる問題の根底には、為政者の姿勢が横たわっています。日本は世界有数の森林国でありながら、森林保全に充てられる予算はごくわずかです。林野庁や環境省の予算の中で、実際に森の再生に回る金額は全体の0.01%程度にすぎないのではないでしょうか。その一方で、為政者はいまだに「列島改造」や都市開発の掛け声を繰り返し、森の再生や里山の復活を国家戦略として位置づける視点を欠いています。
熊の出没は、単なる「山の不作」や「動物の異常行動」ではなく、国家が森を忘れ、地域を見捨ててきた結果としての社会現象です。列島改造よりも先に、森林改造にこそ政治の力を注ぐべきではないでしょうか。人工林を放置し続けるのではなく、多様な広葉樹林の回復や里山の再生に投資すること。それは獣害の抑制にとどまらず、水源涵養や防災、ひいては地域経済の持続可能性にも直結する課題です。豊かな森林資源が日本の特徴です。日本の森林率は約 67%ですが、この比率は実は世界第三位です。森の国と言われているドイツでも約30%、アメリカ、カナダは30%台、フランス、イタリアは20%台、ブラジルでさえ58%です。この豊かな森林資源があるお陰で、海の幸、川の幸が可能になっています。
為政者は「森林大国」という自国の資産を忘れてはなりません。熊の出没を前に銃を向けることは容易ですが、真に向き合うべきは森の再生であり、国家の未来をどう描くかという政治の問題です。いまこそ政治が森を見つめ直すべき時です。 【参考文献】 稲本正 『森の自然学校』(岩波新書、1997年)
(「農林水産省」)
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