「子ども庁のことですが、まさか選挙向けのポーズということはないでしょうね」
「さすがに、それはないと思います。省庁横断で取り組みたいという菅総理の意向も伝わっています」
「二階幹事長の『子供は国の宝』発言が伝わってきています」
「お二人の話を総合すると、子どもを国の政策の『真ん中』にするということだと思います」
「『真ん中』というのは、どういうことですか? 憲法では子どもの教育を受ける権利を定めていますよね」
「権利が保障されていることと、それが政策の主軸になることとは別です」
「なるほど、確かに教育については常に「2番煎じ」という感じがしていました」
「「2番煎じ」というか、文科省に任せきりになっていたように思います」
「一種の「聖域」になっていたかもしれません」
「教科書検定権、大学開設の許認可権や財務の監察権など多くの権限を握ってますし、大学の学長クラスの人たちとの様々な折衝をしています」
「そのことについて、ノーチエックですよね」
「そのために利権の温床になりやすく、しばしば事件が起きているじゃあないですか。文科省は実際には政務次官が仕切ってしまっています」
「文科大臣の役割は何ですか?」
「文科大臣の問題意識が強ければ、文科省をコントロール出来ますが、今までの文科大臣をみていると、殆どが「腰掛け大臣」です。20年間で20人の文科大臣が出ました。これでは、文部官僚は大臣の言うことは聞き流すでしょうね」
「文科省の元政務次官の前川喜平氏の座右の銘が「面従腹背」だったそうですが、それは文科省の官僚にも受け継がれているのでしょうか」
「受け継がれているということは、コントロールできていないということです。萩生田文科大臣は教育に対して一家言を持っている人ですが、結構手こずっているようです」
「『子ども庁』を設けても構わないと思いますが、庁の長官は実質的に長めの任期にして腰を据えた仕事をして欲しいとおもっています」
「大臣は名誉職ではありませんからね」
「ここからが本論です ↓」
文科省と子ども庁、組織的に乗り越えるべき問題
文科省は中央集権的教育行政を遂行する日本の省庁です。文科省の前身の組織が文部省ですが、1871(明治4)年に設置されています。これは、廃藩置県と同じ年です。明治憲法の制定(1889年)、帝国議会の開設(1890年)のはるか前、つまり内閣の影も形もない時に創設されたのが文部省なのです。近代化のためには、人材育成が必要。国がまとまるためには、国語教育も必要。そんな判断があったのです。
それ以来、150年間日本の教育をリードしてきましたが、今の時代の要求に応えきれていません。組織的改革の時期に来ていることは確かです。
組織というのは、建物と同じで「老朽化」します。耐用年数を超えて存続させても、国にとって桎梏(しつこく)となるだけです。どういう組織的な位置づけにするのか。文科省の代替機関として子ども庁を考えているのか、文科省の補助的な機関とするのか、それとも子どもに対する総合的なプランを体系的に発信する機関として考えているのか、その辺りは現在のところ確定していません(下図参照)。文科省案はやめた方が良いでしょう。何の問題解決にもなりません。
ただ、一番最後のプランであれば、子ども省にした方が良いと思います。識者の中にも、そういった意見を述べている人がいます。
(「Yahoo! ニュース」)
子どもを地域の中心に位置付ける――子どもを社会の真ん中に位置付けるとは
アフリカの古い諺の中に、「一人の子どもを育てるためには、一つの村が必要」というのがあります。これは、アメリカの上院議員として40年以上にわたって活躍したヒラリー・クリントンが信念としている言葉でもあります。
一人ひとりの子どもは個性をもって何らかの才能をもってこの世に生まれてきます。その個性と才能を花開かせるためには、彼を取り巻く多くの人の協力が必要とこの諺は教えてくれます。子どもの教育を矮小化して、学校に行かせていれば後は教師が教科書で教えてくれるだろうといった考えでは駄目ということです。実際に、不登校やいじめ、子どもの貧困や体罰、ハレンチ教員など様々な問題が起きているのは、学校教育の構造的な捉え方が間違っているからです。
子どもたちが集う公立の小学校、中学校を地域の中心組織に位置付けます。中心組織なので、地域に開かれた態勢をつくる必要があります。そのような方向性(コミュニティ・スクール)は出ているのですが、大きな流れにはなっていません。何故なのか。原因があるところに結果があります。その辺りを探っていきたいと思います。
(『産経ニュース』)
コミュニティ・スクール構想は21世紀になって出てきた
コミュニティ・スクールという名称は、教育改革国民会議の提案で用いられ、その後2003年3月に閣議決定された内閣府「規制改革推進3か年計画」の中にも記載されています。それらを受けて地教行法が改正され2017年4月1日より施行されています。ただ、当初の構想と、法文化された内容を比べると、そこにはズレが生じています。それがこの構想が広がっていかない原因ともなっていると考えます。
2015年に中央教育審議会は「新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた 学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について」という必要以上に長い題名の答申を出します。その中で「未来を創り出す子供たちの成長のために,学校のみならず,地域住民や保護者等も含め,国民一人一人が教育の当事者となり,社会総掛かりでの教育の実現を図るということであり,そのことを通じ,新たな地域社会を創り出し,生涯学習社会の実現を果たしていくということである」(「はじめに」)と書いています。方向性も構想も良いと思います。
ところが、制度を予めこうすべきということで定めてしまったのです。地教行法の改正によって付け加えられた条文を見ます――「教育委員会は、……その所管に属する学校ごとに、当該学校の運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する機関として、学校運営協議会を置くように努めなければならない」(第47条の5)。
そして、この「学校運営協議会」と学校(コミュニティ・スクール)とが「相互に補完し,高め合う存在として,両輪となって相乗効果を発揮」(2015 中教審答申)すべく努力をすることを謳っているのです。
「頭」を2つ作ってしまったのです。しかも、「学校運営協議会」に現場の教員に対する評価権を与えていますので、これでは校長も含めて現場の教員は二の足を踏む人が多いと思いますし、校長の権限を制限することになりますので、中にはプライドを傷つけられたと思う人がきっといるでしょう。子供のため、地域の発展のためというシステムづくりということを謳いながら、その組織づくりを地域の特性を踏まえて自由に創らせれば良いものを、行政が手を入れ過ぎて結局、監督機関のようなものをつくってしまったということです。
現場を知らない方が頭の中で考えるので、どうしても地に足が着かないものが出てきてしまうのです。法律や経済の政策については、頭の中で考えるだけでも構いません。それは「現場」がないからです。しかし、教育の場合は子どもや教員が実際に活動する現場があります。それに見合った構想、条文の内容になっているのか、現場の方の意見を踏まえて調整しないと、現実の問題解決に役に立たない提言となることもあるということです。
(「泉大津市ホームページ」)
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