「小中高生の自殺者が増えているそうです」
「親としては、気がかりですよね」
「昨年1年間で527人だそうです。ウチの子は大丈夫だと思っていますが、数字を聞くとビックリします」
「1日に1人は、全国のどこかで小中高生が自殺しているということですからね」
「親としては原因を知りたいと思い、チャットGPTに聞いてみました」
「AIは一般的なことしか答えないでしょ?」
「原因は様々あるということで、いじめ、進路、家庭環境などいろいろな原因を挙げていました」
「ただ、それでは問題解決に向かって収束しませんよね」
「あれもある、これもあるということならば、絞った対策を立てられないと思います」
「そんなことを、ここ30年くらい繰り返してきていて、何の具体的進展もないという状況です」
「子どもたちの自殺はいつ頃から増え始めているのですか?」
「1990年頃から、ほぼ一貫して増えています。特にここ4,5年は増え方が増しています」
「少子化で子供の数が減っているのに、自殺者が増えているという逆転現象が起きているということですね」
「しかも、これといった原因が分からず、そのためこれといった対策も立てられずという状態です」
「表紙にあるように日本は子供の自殺率が高い国です。抜本的対策が求められます。ここからが本論です ↓表紙は「ともに生きる、江戸川区」提供です」
教育問題は現場にカギが落ちている
新聞記者もチャットGPTを使っていると思いますが、それを使ったような記事はあまり意味を為しません。それを乗り越えるような記事でなければ、新聞を読む意味も価値もないということです。チャットGPTが出てきたので、ある意味、新聞受難の時代かもしれません。いきなり、こんな書き出しから始めてしまったのですが、今日の『日経』(2025.1.30日付)の自殺を報じた記事がまさにそういう記事だったからです。
「進路など『学校原因』4割」というサブタイトルを付けたのですから、プライバシーに配慮しつつ、どのような状況が本人を追い詰めたのかを調べて参考事例として紹介すべきだと思います。そこには、もしかしたら学歴を求める親と本人の希望が合致せずという問題があったかもしれません。ただ、その問題は、今に始まった問題ではないと思います。
子供たちに関わる問題なので、教育現場に何か問題があるのではないか、ということで現場に足を運ぶ、文科省という本丸に乗り込んでみる、各地の教育委員会に足を運ぶという基本的なことをして欲しいと思っています。なぜ、ここにきて自殺者が増えているのか。その理由が分かるような記事を配信するのだ、という強い使命感を少しでも感じさせるような記事を期待したいと思います。少なくとも、机上でパソコンをいじって、そこから出てくるデータを繋ぎ合わせて記事を書くのは止めて欲しいと思っています。
(「時事通信」)
今のマスコミ報道には何らかの規制がかかっている
先日、笹川平和財団の上席フェローの山上信吾氏の講演を聞きました。元外交官の方です。今年の4月から同志社大で教鞭を執ると言っていましたが、彼は外務省でも「反主流」の道を歩んできた方です。だから名もない団体の講演会を引き受けてくれたのですが、彼は「新聞もテレビも見る必要ない」と言っていました。その理由は情報に規制が掛かっているからと言うのです。新聞社には、それぞれの社のカラーがあります。そこから外れた内容の記事が載ることはありません。それも一つの規制です。
今回の『日経』の記事に関して言えば、自殺の問題の根本的原因を探っていくと、家庭と教育行政の問題に突き当たるため、多くの「規制線」に触れる可能性が出てきます。家庭の問題はプライバシーに関わるので報じにくい、教育行政の問題は文科省や教育委員会との絡みが出てくるので、下手なことを書けば睨まれてしまうということです。
前置きが長くなりましたが、小中高生の自殺が増えている根本原因は、教育態勢にあります。現在の日本は中央集権国家ですが、教育行政がそれを支えるかたちになっています。教育というのは、本来的に子供たちの能力と発達に合わせて、個別具体的に行われるべきものです。そしてそれは地域の実情を踏まえて行われることによって、効果が倍増します。そうはなっておらず、あくまでも第一優先が「国の都合」です。資金の都合、欲しい人材の都合、文科省の都合などです。そこが一番の問題なのです。
(「中学受験ナビ-マイナビ」)
日本は広大な国—— 地域を舞台に多様な教育を展開すべき
日本は世界でも屈指の広大な国であるという認識が足りないと思っています。北海道にみぞれが降り、沖縄が初夏、裏日本が大雪で関東は春の陽気ということが普通にあります。日本の海岸線を繋ぎ合わせた長さは、世界第6位ですし、日本の国土と排他的経済水域を合わせた総面積も世界で6番目の広さです。人口は約1億2千万人で世界12位です。世界の国の数は約200ですが、いずれの分野でも上位に入っています。
「狭い国」としきりに言うことによって、中央集権的教育行政を正当化しているのです。広大な国なので、アメリカのように、それぞれの地方の教育委員会がその地域の実情に合わせて教育カリキュラムを組むべきなのです。文科省はそれをサポートすれば良いのです。江戸時代は各藩で独自の教育を施しました。そういった歴史的経験もありますし、当時子どもが自殺するということは考えられなかったことです。地域の中で子供が育てられ、子供が見守られる態勢が作られていたからです。
周りの自然環境も社会環境もすべて違うのに、全国一律教育を北は北海道から、南は沖縄まで行っています。その根本的矛盾を解消するように動くべきでしょう。それが子供の自殺とどう関係するのか、と思われるかもしれません。子供が自殺を考える時は、自分探しが上手く行かず、かつ自分の将来の見通しがなくなったと思う時です。いわゆるアイデンティティの確立に関わる問題ですが、学校教育の中では扱われていないテーマです。学校は勉強を教える処、というのが文科省の考え方です。そういう地域があっても良いと思いますし、自分探しに重点を置く地域や学校があっても良いと思います。何も一つの方向にまとめる必要はまったくありません。地域に教育権限を移行し、多様な教育が日本列島で行われるようにするべきでしょう。そうすることによって、自殺者は徐々に減っていくでしょう。
(「grape」)
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