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なぜ日本人は「チュチェ思想」にはまってしまうのか/国の防衛とともに個人の防衛を考える時代

「面白い本を見つけてきました。これです。「なぜ彼らは北朝鮮の『チュチェ思想』に従うのか」という本です」

女性

「彼らというのは、具体的に誰を指しているのですか?」

「日本の大学教授や教員を含め、多くの日本人を指しています」

女性

「チュチェ思想って、何ですか?」

「日本語で「主体思想」と訳するのですが、北朝鮮の金日成国家主席が唱えた思想ですが、簡単に言えば、自主独立路線です」

女性

「あら、日本共産党と同じじゃあないですか」

「ただ、当初はチュチェ思想に批判的でした」

女性

「今は?」

「この本の中に、不破氏が朝鮮総連と関係改善をしたとありますね。それが2005年とあり、それ以来チュチェ思想に対して、沈黙を守っていると書かれています」

女性

「ただ、委員長は志位氏ですよね」

「あそこは、不破氏が事実上のトップなのです。多分、その感覚は分からないかもしれませんけどね」

女性

「黙認と自主独立とは、意味が違うと思いますけど」

「両者の大きな目的が一致したので、そこでの妥協だと思います」

女性

「大きな目的というのは、革命ですか? ただ、北朝鮮は社会主義国なので、革命はもう必要ないでしょう 」

「チュチェ思想が日本で広まれば、それだけ反権力の気風が高まり、日本革命の展望が開ける、そうすれば北朝鮮にとって有利な情勢となるといった理屈だと思います」

女性

「革命よりも、まず拉致した日本人を返すことに力を尽くして欲しいですね」

「北朝鮮だけに限らず、近隣諸国に対して野党は総じて 弱腰ですね」

女性

「中国の香港に対する国家安全法の制定に関して、共産党が中国を批判したことが記事になる位ですからね」

「今まで、いかに何も言わなかったのかが分かります。対外的な問題に対しては、与野党一致してあたって欲しいと思っています」

女性

「ここからが本論です。続きをどうぞ ↓」




 なぜ彼らは北朝鮮の『チュチェ思想』に従うのか

「なぜ彼らは北朝鮮の『チュチェ思想』に従うのか」。この本は、元日本共産党国会議員の秘書の篠原常一郎氏と政治学者の岩田温氏の全編対談形式で書かれた本(育鵬社.2019年)です。チュチェ思想とありますが、思想というほど体系的なものではなく、一つの論理です。要するに、彼らの問題意識は、そのような論理に、どうして大学教授をはじめとして、多くの日本人がはまってしまうのか、ということなのです


一言で言えば、日本人は疑うことを余りせず、信じやすいので、騙されやすいのです。そう言うと、何故そうなのかという疑問が湧きます。その原因は、2つあります1つは、はるか昔と言ってもいいくらいの長年の生活環境とそこからくる宗教心の問題。もう一つは、教育の問題があります。それから、騙す主体側の問題もあります。それら三者が絡み合って、思想的・イデオロギー的影響を受け、被害を受けやすいのです。その辺りについて、順番に見ていくことにします。

 

 「日本の深層を知るには、縄文文化を知らねばならない」(梅原猛)

縄文時代と聞いて、「えっ」と思うかもしれません。およそ1万年以上も前の、はるか昔の時代ですが、祖先の遺伝子を確実に何らかのかたちで受け継いでいるはずです。だから、原初の時代の人々の生活感覚や倫理感、自然観が極めて大事なのです。それは丁度、宇宙のことを解明するためには、素粒子といったミクロ世界のことを知る必要があるのと同じ理屈です

縄文人たちは狩猟採集の生活をしていたことは確かですが、三内丸山遺跡の発掘調査などから分かったことは、栗、粟、稗(ひえ)、豆類などを栽培しての定住生活をしていたこともわかっています。そして、縄文人が遺した縄文土器や土偶の数々を分析することによって、生活用の土器と祭祀用の土器の区別があること、そんなところから、「縄文文化は、宗教的、詩的な文化」(梅原猛『日本の深層』集英社文庫.1994年/227ページ)と指摘しています。予想以上に高度な文化であったため、学者の中には縄文文明と言っても良いのではないかという意見もある位です。


人間は死ぬとどうなるのか。その問いは、縄文人たちも発していたと思われます。能力自体は現代人と変わりはないからです。我々が疑問に思うことは、彼らも疑問に思っていたはずです。彼らは死ねば肉体は滅びるけれど魂はあの世に還る、ただ一挙に還るのではなく近くの山に行き、そこから還ると考えたようです。

それが後の山岳信仰になり、山を一つの道場とする修験道が生まれます。山には多くの生き物が生息します。鳥やバッタ、蝶といった羽のある虫は霊界の使い、鳥やカエルの鳴き声は死者の泣き声、いわゆる自然宗教が成立していたようです。日本人が自然を求めて旅に出たり、鎮守の森としてそこに神社を建てたりして慶事や願い事をする時に訪れたりするのは、先祖からのDNAを受け継いでいる証拠なのです。ちなみに、大陸の人にはそういう感覚はありません。だから、山の木は切りっぱなしにして、平気でハゲ山にしてしまいます。

つまり縄文人のこの世のイメージは、生ある者と死者の魂に囲まれて生活しているというものです。悪しきことをしたり、嘘をつけば、すぐ分かり、罰せられるという倫理感がやがて定着します。従って、嘘はつけない、正直に生きよう、そしてそれが先祖に報いる生き方と思うようになります。

やがて、大陸の方から稲作文化を主体とする弥生文化が、縄文文化を受け継ぐかたちで広がっていきます。長い年月の間に両者の混血が進むものの、縄文人たちの宗教観・倫理観はそのまま受け継がれていったのではないかと思われます。



 「道徳」でマキャベリズムについても教える

ユーラシア大陸に住む民族は、われわれ農耕民族とは倫理観が違うということを強く意識する必要があります。条約を締結したり、契約を交わしたりしますが、彼らと我々では過ごしてきた文化的背景がかなり違います。我々は約束事は守るのは当たり前というのが常識的な感覚ですが、彼らは「碁石」をそこに置く程度の感覚だと思います。そういうことを念頭に置いて判断することが大事なのです。

インドネシアに高速鉄道計画が持ち上がった時に、日本が新幹線方式を売り込みましたが、土壇場で中国にその受注をとられてしまいました。中国が総事業費は約60億ドル(約6500億円)、インドネシアに財政負担を求めない方式を提案して採用されたのですが、結局、契約通りに工事が完了しなかったうえに、総事業費もオーバする見込みとのことです。そのため、今になって日本に助け船を求めてきています。これは典型的な「碁石」作戦です。巨大プロジェクトなので、一度受注してしまえば、工期を多少伸ばしても、予算より多めに費用がかかっても、相手は従わざるを得なくなります。

こういう手法を、マキャベリズムと言います。ルネサンス期の思想家のマキャベリが唱えた考えで「どんな手段や非道徳的な行為も、結果として国家の利益を増進させるのであれば許されるという考え」(『ウィキペディア』)です。騙し、脅し、謀略など非人道的なことでも結果が良ければ、許されるというものです。

何千年も領地・領土をめぐって争っていれば、自然とそのような考え方になるでしょう。正直者が馬鹿を見る世界が延々と広がれば、騙される方が馬鹿という価値観を自然と身に付けてもおかしいことではありません。現代のニュースはその点で、生きた良い勉強となっています。大陸や半島の指導者は平気で嘘をつきますし、歴史を書き換えようともします。

嘘をつくなと言っても、無駄です。嘘をつくことによって、自分や家族、そして国を守ってきた歴史があるからです。グローバリズムというのは、相手の判断の大元の歴史の重みを理解することでもあるのです

自分たちが嘘をつくな、嘘をつくことは悪いことと教えられているからと言って、他国の国民がそのように教えられているかどうかは分かりません。彼らの歴史を説明し、彼らがそのように行動しがちであること、それを踏まえての友好ということを理解させる必要があるのです

そういったことは、本来中学校の「道徳」の時間に教えることだろうと思っています。ただ、文科省検定教科書は、まるでこの現実の社会を「真空地帯」であるかのように教えようとします。単元に添った「作り話」を載せているだけです。テニスで言えば、コーチが球出しをしたりして、パターン練習をして終わりという感じになっています。試合に勝つためには、もう1ステップ違う練習をしなければなりません。試合では、常に攻撃的なボールが飛んでくるからです。その対処の仕方を教えずに、実際の社会に子供たちを飛び込ませています。だから、首脳会談で相手の笑顔に騙されて、それを真に受けるという判断ミスをするのです。

だから、隣国から何か言われるたびに過剰に反応し、変な約束までする始末です。このように、日本の政治家が現実の外交で力を発揮できないのは、彼らが受けてきた教育の問題もあるのです。

読んで頂きありがとうございました。

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