「日本記者クラブの党首討論会の中で、志位委員長が「人類の社会は資本主義でおしまいか。私はその先に進むことができる。社会主義・共産主義です」と発言したそうです」
「そうなんですか、余り党首討論で言う内容ではないと思いますけど。だけど、彼らしい発言だと思います」
「志位委員長を個人的に知っているの?」
「知りませんけど、言っていることと表情を見れば、真面目一直線という人だと思っています。信じたことを言う、信じた道を脇目もふらずひたすら突っ走るという方ではないかと思ったからです」
「当たらざるとも遠からずかもしれませんね。たた、彼の人柄と共産党の主張、考え方は別ですから、基本的な部分についての問題点だけ指摘したいと思います」
「昨日のブログでも、二律背反的な見方とおっしゃっていましたよね」
「それも含めて、基本的な問題点として3つあります。1つは、モノの見方考え方、弁証法に関わる問題について。2つ目は、歴史の見方について、最後は、民主集中制についてです」
「国民を敵と味方に分けて考えるのは、おかしいとおっしゃっていましたよね」
「組織は矛盾した要素の統一として存在するというのが弁証法の考え方ですが、それを形式的に当てはめてしまっています」
「資本家階級と労働者階級ですね」
「弁証法というのは、物事を流動的に見なければいけないのですが、「階級」という言葉を使って固定的・硬直的に見ています。資本主義社会自体も、流動的にその構成要素が変わると考える必要があります」
「いつまでも、マルクスの言っていたことをそのまま公式的・形式的に適用すれば良いとは私も思いません」
「資本家の中には事業に失敗する人もいれば、起業をして財をなす人もいますからね。指導者にとって一番いけないのは、国民を予め白と黒で類別してしまうこと、そういう見方は弁証法ではなく、単なる二律背反思考であり、危険な見方だと思っています」
「白にもなるし、黒にもなり得る、だからすべて平等に扱う必要があるということですよね。ここからが本論です ↓」
目次
社会主義は、20世紀の世界の一部の国に咲いた「あだ花」
50年前ならいざ知らず、いまだに社会主義が資本主義の先にあると考えている人がいるのだと改めて思ってしまいました。勝手に資本主義から社会主義・共産主義というシナリオを描いているようですが、歴史はそのようには進んでいません。
1917年のロシア革命により世界最初の社会主義国家が誕生しました。計画経済の導入、生産手段の国有化を特徴とする社会主義経済を導入しましたが、見事に破綻しました。現在のロシア連邦は資本主義国家として歩んでいます。
中国は途中で方向転換した国です。毛沢東の指導のもと人民公社をつくって一旦社会主義国家の建設に動きますが、余り上手くいきませんでした。その後、鄧小平が改革開放路線を掲げて資本主義市場経済を導入しました。中国はそれから約40年余、あっという間に世界第二位の経済大国にのし上がったのです。ただ、中国は国有企業も多くある上、一党独裁国家なので、今後どのように変化するか予測がつきません。最近は、自由市場を規制しようという動きになりつつありますが、完全な社会主義経済には戻らないでしょう。なお、隣国のベトナムも共産党一党支配の国ですが、資本主義市場経済を導入しています。
世界を見渡しても、社会主義経済の国は、北朝鮮とキューバ位のものではないでしょうか。少なくとも先進国の中で、社会主義経済を採用している国はありません。そういった現実を直視すれば、「社会主義的変革が社会への前進」(志位委員長)とは、とても言えないだろうと思います。
(「AI TRUST」)
自由市場、生産手段の私有と私有財産制度――3大原則は人類の歴史とともにある
人類が地上に降り立った瞬間から、食料の確保やモノの生産が始まり、それらに対して所有(私有)観念を持っていたことは間違いありません。そのため、余分に生産してしまった場合は、他のモノと取り換えるという物々交換市場が自然に形成されていったと思われます。自由市場、ならびに道具である生産手段の私有、そして私有財産といった意識が制度創設に向かいます。何を私有財産として認めるのかといったことは国や民族によって違いがあり、多少のタイムラグはありつつも私有財産制度として成立します。
つまり、自由市場、生産手段の私有、私有財産制度といった3大原則は、人類の歴史とともに存続してきたと言えます。ということは、これらは時代が変わっても、かたちを変えて存続するはずです。
社会主義経済が実践的に何故破綻したのかと言えば、その大原則をすべて変えようとしたからです。何事も、原理・原則、基礎・基本があります。それを無視しての発展はあり得ません。起業をするにせよ、スポーツをするにせよ、それはすべてに当てはまることです。
(「www.konkatunavi.jp」)
直すべきところを直さず、直してはいけないところを直してしまった―― アプローチの仕方が根本的に間違っていた
社会主義を目指す動機は正しかったと思います。自由、平等の世の中になって欲しいと思ったのでしょう。ただ、動機が正しくても、やり方や考え方が間違っていれば、上手くはいきません。
どこが間違っていたのか。自由市場や私有財産制度といった原理・原則を修正してしまったのです。本来直さなければいけないところは、固定的な労働市場であり、資本の自由だったのです。つまり、誰もが自由に働く場所を選べて、そして誰もが自由にお金を集めて会社を作り、社会には多くの働く場所である企業が存在しているといった社会環境をつくることが方向性としては正しかったのです。ところが、固定的な労働市場をそのまま「階級」として一つの身分的な扱いと捉えた上で、対立物として資本家階級なるものを持ち出し、さらに革命理論を構築した上で、生産手段の公有化、計画経済といった社会主義経済の考えを打ち立てたのです。
原理・原則から外れたものが仮に出てきたとしても、それは定着せずに歴史の中で消滅します。悪いフォームでも体力があれば1、2回は勝つことが出来るかもしれませんが、勝ち続けることはできません。理屈は同じです。社会主義・共産主義という考え方は、19世紀になって出てきた考え方ですが、アプローチの仕方が根本的に間違っていたということです。そして、悪いフォームと認識できずに、そのフォームで打ち続けようとする人も現実にはいるということです。自分のことはよく見えないために、分からないことが多いのです。
(「国際勝共連合」)
最後の民主集中制の問題は、実は重要な問題が多く含まれています。そんなこともあり、明日にまわしたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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