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憲法改正のタイミングとなった ―― 真の国際貢献をするためには、憲法改正が必要

女性

「前回のブログで話題にしたフィンランドですが、首相のサンナ・マリン氏はまだ36歳の若き女性なんですね。昨日(4/27)の「産経」に記事が載っていました」

「2019年に世界最少の若さの34歳で首相に就任したのですが、27歳で市議会議長に就任し、その2年後に国会議員になっています」

女性

「政治的手腕が優れているということなのでしょうね」

「先日の3月下旬の世論調査によると、6割近くの支持率を得ているということです。NATOへの加盟申請も抜群のタイミングだったと思います」

女性

「それは、前のブログでおっしゃっていましたよね。ただ、ロシアとの関係が一番気掛かりだと思いますが、その辺りはどうなんでしょうか」

「国防への備えを充分にした上での加盟発表でしたね。最新鋭のアメリカ戦闘機60機以上を導入し、国防費の拡大も行っています。これは「産経」の情報ですけどね」

女性

「彼女の評価が高いようですが、そうなると素朴な疑問として浮かぶのは、政治家としての経験とは、一体何なのかということです。日本の政界を見ていると、多くの経験を踏まなければトップになることはありませんよね」

「当選1回生、2回生という言葉がありますからね。当選を何回か重ねて大臣のポストに就き、それをいくつか経験をして、総裁、首相というのが一つの定番みたいなものとしてあります」

女性

「日本以外の国でもそういった「お決まりのコース」みたいなものがあると思います。「お決まりのコース」を通っても力を発揮できずという人もいる中で、彼女のように経験らしい経験がなくても、政治的手腕を発揮できる。それは一体何なのかと思います」

「政治家にとって大事なのは現場感覚と政治的判断力だと思います。これらは、経験に裏打ちされれば磨かれるというものではないので、私自身はセンスだと思っています」

女性

「センスさえあれば、このように能力を発揮出来るということですね。逆に、センスがない方は長くやっても、芽が出ないということもあるということですね」

「ウクライナのゼレンスキー大統領も役者から大統領になった人ですが、タイミングの取り方、言葉の使い方など、政治的センスがあると思います」

女性

「センスがあるかないか、多分本人は分からないでしょうね」

「それはどの分野の仕事でもそうだと思います。自分の事が一番誰も分からないのです。そこが人間の実はやっかいなところなんです」

女性

「成る程。私も自分のことがよく分かっていませんからね。ここからが本論です ↓」

 憲法改正のタイミングとなってきた

スポーツはタイミングが大事と言われていますが、政治もタイミングが重要です憲法改正の絶好のタイミングになってきたと思います。日本は硬性憲法のため大変ハードルが高いのですが、ロシアのウクライナへの軍事侵攻もあって、国民の意識も徐々に変わって来ていると思います。

その意識の変化が何で分かるのか。それはSNSによって発信される国民の声や反応で分かります。「ネトウヨ」という言い方をする人がいますが、別に右翼の人たちだけが発信している訳ではありません。いろんな方が様々な意見を発信していますが、反日の人たちからすると、まるで信じられないような意見の数々ということなのでしょう。そんなことから「ネトウヨ」という言葉が出てきたと思いますが、そこには自分の立ち位置こそが正しいという驕りがあります

それはともかくとして、今のSNSで発信されている状況を見ると、「核共有」という言葉が普通に受け入れられています。もちろん反対する人もいますが、「核」という言葉に対してかなりの拒否反応があった一昔前と比べれば、隔世の感があります。

憲法改正を最終的に決めるのは国民投票によりますが、改正に対して今や国民の多数は賛成だと思っています。感覚的には現時点で60%位の人が賛成ではないかと思っています

(「GANREF」)

 憲法改正のタイミングで大事なのは、国際情勢

日本の場合は、国民の意識は結構情報に敏感に反応するのですが、いつもその後追いをするのが政治家や役人という感じをもっています。庶民感覚と離れたことを言ったり考えたりするのは、政治家が深く有権者の懐に飛び込んでいないか、自分たちの定めた理念優先で、そこから考えをスタートさせているかのどちらかです。

憲法改正のハードルが高いため、どうしてもそれを提起するタイミングが大事です一番大事なのは、国際情勢です。国の憲法というのは、2つの視点から考える必要があります1つは、国際的視点。日本という国が、国際社会の中でどのようなポジションでいるべきか、ということです。約200の国と地域によって国際社会は成り立っていますので、勝手な「位置取り」は出来ません。2つ目は、国柄を明らかにすることです。日本という国の歴史と文化について簡潔かつ分かりやすい文章で前文を書き、それを受けて様々な規定を設ける必要があります。

後者のことはさておいて、国際的な視点から、日本の憲法との間に齟齬(そご)が目立つようであれば、国の責任において改正に取り組むべきなのです。

(「プレジデント オンライン」)

 今から約30年前の湾岸戦争の時が、憲法改正のチャンスだった

その点で言えば、今から約30年前の湾岸戦争の時が一つのチャンスだったかもしれません。湾岸戦争というのはイラクがクウェートに侵攻をし、それに対してアメリカを中心として約30か国が国連軍を組織してイラクと戦闘をしたという事件です。多国籍軍がアメリカ主導のもと戦後初めて組織され、イラクに侵攻して、約1か月でイラクのクウェート侵攻が止まったのです。

この時に日本に対して多国籍軍への参加を打診されたのですが、憲法9条の絡みでそれは無理ということとなり支援金だけを送ったのです。その後、クウェート政府から国名を挙げて感謝の意を表した中に、日本の国名はありませんでした。それはある意味彼らの感覚からすれば当然なのです。湾岸戦争によって多国籍軍の中から約300人の犠牲者が出ているのです。侵略されたクウェートからすれば、日本はカネだけ出して終わった「冷たい」国という見方をされたのです。

そこから真の国際貢献とは何なのかという議論が国会で行われ、自衛隊の国際貢献という話題、さらには条件付きで自衛隊を海外に派遣できるように法整備がなされたのですが、憲法的に言うと想定外だったのです。つまり、憲法前文を読めば分かりますが、この世界をお花畑の平和な世界という捉え方なので、自衛隊の存在を100歩譲って認めるにしても、海外派遣は絶対にあり得ないことなのです。現実と憲法との乖離が出たので、そのタイミングで憲法を改正する必要があったのです。

(「毎日新聞」)

 真の国際貢献をするためには、憲法改正が必要

ところが、結局「国際平和協力法(PKO法)」を作ってお茶を濁したのです。そこで曖昧にしたことが、今になって響いています。ウクライナの窮状があっても、日本はヘルメットと防弾チョッキという装備品しか送れない国ということが改めて分かったことです。ウクライナの市民の苦しみを考えれば、武器の供与が必要ですし、ウクライナの本心はそれを求めています。それに応えることができない日本に対しては、感謝国とは思ってはいません。

ウクライナ外務省が公式ツイッターに投稿した各国の支援に対する感謝の動画に、日本が含まれていないということで一騒ぎになっていましたが、ウクライナ側から「武器支援を行った国々への謝意を示した」との説明があったとのこと。実は、これが国際常識なのです。日本の言い分は、避難民を受け入れ、装備品や医薬品、食料品を送り届けているというものですが、自分の手を汚さずに、良いところだけを取っていく行為と西洋の人には見えてしまうのです。

彼らからすれば、本当の友人は同じ立ち位置から共に闘ってくれる人と考えます。日本人の「阿吽の呼吸」は通じません。血を流す覚悟があるかどうかなのです。ヨーロッパ大陸の中で2000年以上にわたって民族対立と紛争、さらには多くの戦争の中で彼ら彼らなりにもっている規準なのです

相手の心情に寄り添うと簡単に言いますが、そのためには相手の国の歴史や文化、ものの考え方を理解する必要があります。そして、後はタイミングです。同じことをしても、タイミングが悪いと何の評価もされないということが社会生活の中でも実際にあります。タイミングというのは、相手との間合いです。それがないと、単なる独りよがりになることもあるということです。

(「テレ朝news-テレビ朝日」)

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