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日本の学校教育で足りないもの (3) ―― 経済教育 / 経済や金融は「生き物」なので、柔軟に取り扱うべきもの

「現代社会や政治経済を担当した時は、4時間位金融の話をしていました。社会を生きていく上で大事なのて、金融の続きを、昨日に続いて行いたいと思います」

女性

「昨日の話で、ウサギとカメの話がありましたよね。ちょっと、ショックを受けました」

「ただ、誤解をしないで欲しいのですが、コツコツ努力することが無駄だと言っている訳ではありませんからね」

女性

「ええ、それは分かります。要するに、もう一つ別のことを考えなければいけないということですよね

「まあ、そうですね。今は封建時代と違いますので、コツコツだけではダメなんです。そして、経済は生き物だと思えば分かりやすいと思うんですけど、その生き物の生態を理解して、上手く立ち回る必要があるということです」

女性

「生き物ということは、いつかは死んでしまうということですか?」

「結構、それは鋭い質問かもしれません」

女性

「生き物って言われたので、突っ込みで質問したんですけど……」

「資本主義の終焉を本気で考えている人も、中にはいますからね。簡単に言うと、一種の革命理論です」

女性

「その辺りは、私は全くよくわからないのですが、そういうことが理論的に可能なのですか?」

「資本主義をどう見るか、だと思っています。だから、誤解しないように、私は「資本主義市場経済」と言うようにしています」

女性

「前回も言っていましたよね。今の資本主義は、永遠に生きるだろうと」

「政治は「色」が付いていますが、経済には「色」が付いていません。ところが、人によっては格差があるのは経済、あるいはそれを支えるシステムが悪いという、一種の八つ当たり的に捉える人がいます」

女性

「それは、マルクスですか? ここからが本論です ↓」

 

 マルクスの資本論が焼き直されて、現代に蘇ろうとしている

マイケル・H・ハート氏が自身の著書の中で、人類史上、最も影響を及ぼした人物ベスト100というのをリストとして上げています。マルクスは27番目にランクされています。こういったランキングを日本人は好みますが、一つの参考として捉えて頂ければと思います。

ここでマルクスの名前を出したのは、マルクスの「焼き直し」が21世紀になっても相次いで出ているからです。その一つが、昨日紹介したピケティです。ピケティの法則を紹介しましたが、 r > g ということです。

ピケティの法則をそのまま素直に理解すると、資本主義経済が続く限り、格差が拡大していくということになります。そして、彼に言わせると、トップのメンバーは固定されてしまうと言います。固定するようになると社会は活力を無くし、不公平感が増大しますので富裕層に対する課税をすべきだという主張になるのです。彼の試算によると、課税率は80%という凄まじいものです。実際には、実行できるような数字ではありません。

もう一つの焼き直しが、最近出てきた「人新世の『資本論』」(斎藤幸平著)というものです。こちらは、マルクスの資本論の多くを焼き直したものです。この書は20万部を超えるベストセラーということですが、ただ、日本には30万人位の共産党員がいますので、そういう人たちが買ったのでしょう。私も参考までに買いましたが、結構読み進めるのは大変な書です。

 

 経済競争をどのように捉えるかで決まる

 我々は、資本主義市場経済をベースにして民主主義国の一員として生きています。競争をあってはならないものだと考えるならば、社会主義・共産主義となるでしょうし、競争があっても仕方がない、やむを得ないと考えるならば、今の経済社会が全体的に容認されることとなります。最後は、その価値判断だと思います。

ピケティが判断基準としたものは格差、マルクスは搾取、そして斎藤氏は環境です。競争社会なので、当然格差は生じますし、様々な問題が生じます。それでどうするのかということです。

運動会に例えます。運動会を行えば、勝利者と敗北者が出て、勝利者は敗北者の悲しみの上に喜びを見出し、運動会によって多くの二酸化炭素が排出され環境は悪化するわけです。ゴミも出ます。要するに、すべての物事は2面性があり、マイナス面からすべて見れば、そういう評価になります。

そうなってくると、煎じ詰めれば運動会を実施しないことがお互い幸せで平和に暮らせるのではないかと思うようになります。ルソーの発想は、殆どこれに近いものです。そして、斎藤氏の立場もこれに近いものがあります。ただ、そうなると人間は文明社会から原始共産制の社会に戻れば幸せになるという主張になり、理屈の上では成り立っても、現実には不可能です。

(「Goo  ブログ」)

 経済や金融の巨大な波を止めるのではなく、利用することを考える

彼らに共通しているのは、経済の巨大な波を人為的に変えたり、止めたり出来ると思い込んでいることです。そして、社会全体の富ということが考えられていません波に乗れれば、社会全体の富が増えるのです

そして、経済社会は絶えず発展をし続ける社会だということを見過ごしています。政治の社会は静止的、固定的に考えても構わないのですが、経済社会は流動的、そして柔軟に考える必要があります。例えば、環境にとって悪影響を及ぼすプラスチックゴミが、化学的な発見によって、それらがエネルギー資源として利用できるようになるかもしれません。

 マルクスの搾取やピケティの格差も同じです。それを固定的に捉えるから、短絡的に運動会を無くしてしまえという発想になるのです。そういう「被害者」的な発想ではなく、主催者や勝利者の側から物事を見る必要があります。格差や搾取が、現在の成長と将来の成長を産み出している側面もあるのです。

とにかく、人間の社会を形式論理的に考えるのは、間違っていると思います。なぜなら、人間はそれ程単純な生き物ではありませんし、社会は動態的に動いているからです。

傍から見ていて、マイナスのことが仮にあったとしても、本人の受け止め方によって、それをプラスにすることが出来るのです。人間のそういった複雑なメカニズムを踏まえて、経済理論というのは構築されるべきでしょう。

読んでいただき、ありがとうございました。

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