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自由市場経済を否定した経済政策、経済体制は破綻する ―― 「資本主義」そのものが悪ではない

女性

「この前の話の続きですが、古典といわれているものの中には、ほとんどそのまま現代に通じるものとそうでないものがあるという話でした」

「文学、哲学、教育学、地理学、考古学といったものは、対象が人間であったり、自然そのものであったりなので、時代の波を受けても殆ど変わらないのです。ただ、多くのものは時代の波をどうしても受けてしまいます」

女性

「その典型が経済学とおっしゃっていましたよね。それなのに、なぜマルクスの『資本論』が今でも取り沙汰されるのかということですよね」

「一つは、彼のカリスマ性が利用されているということ、二つ目は、錯覚をしている人がまだ多くいるということです」

女性

「一つ目は何となく分かります。中国がまさにそうですよね。6中全でしたっけ、習近平氏はマルクスを乱発していましたものね。次の「錯覚」というのは、何ですか?」

「天才児マルクスの言葉は、時代を超越して有効なはずだという思い込みをもとにした考えですね」

女性

「そうなると、「資本論」がバイブルになるということですね」

「そうですね。その視点から、現代を視て、現代を批判しようとします」

女性

「当然、そこには無理が出て来ますよね」

「そうですね、そしてその無理の根底には、思い込みということですが、哲学的に言うと、演繹法です」

女性

「演繹法は、何ですか?」

「簡単に言えば、法則が絶対的に正しいという前提で、総ての物事をその法則で解釈しようとすることです」

女性

「資本主義から社会主義・共産主義に移行せざるを得ない、それは歴史の必然だという考えですね」

「主観的な人間たちが集まって織りなす社会が、必然的に何かの法則に導かれて変化することはあり得ないことです。これは企業経営や政治、教育などあらゆる場面に言えることだと思いますが、思い込みありきでは上手くいきません」

女性

「言葉を変えると、「独断専行」ということですね。ここからが本論です ↓」

 2つの「顔」をもったマルクス

マルクスが「資本論」の初版を発行したのは1867年です。実は、翌年の1868年は明治元年で、「五箇条の御誓文」が発布され、江戸城無血開城の都市です。そういった時代に出された本だということを認識して欲しいと思います。

この「資本論」学術書とも言って良いような本です。『共産党宣言』はアジテーションのような内容になっていますが、そこにはマルクスがそれぞれに対して違う思いを持っていたからです。彼の生涯を考える時に、ユダヤ人として祖国復興運動に取り組むマルクスと、資本主義社会の解明に心血を注いでいたマルクスという2つの側面から見る必要があるのです。

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 自由市場経済を否定した経済体制は崩壊する

気を付けなければいけないのは、資本主義社会が歴史の中で突然変異のように表れたものではないということです。もともと、人間の自由市場経済が有史以前、それこそ人類の起源とほぼ同時期から続いていて、産業革命によって大量生産・大量消費の社会が誕生し、その社会をたまたま資本主義社会と呼んでいるに過ぎないということです。一つの連続体として捉えるべきで、産業革命期に資本主義という新しい経済システムが生まれた訳ではないということです。

人類は、この大地で社会生活を営み始めるのですが、ほぼ同時に経済活動をします。つまり、余剰生産物を市場で他の生産物と交換するということをし始めます。つまり、自由市場経済は人類の誕生と一緒に成立をしていたのです。その辺りは、考古学的にも明らかでしょう。漢字の成り立ちを見ても分かります。貨幣、購買、買い物など、経済活動に関わる漢字には貝へん若しくはそれが字に組み込まれています。

だから、資本主義社会は、言い換えれば自由競争市場がなければ成り立たない社会です。自由競争市場を無くしてしまって、すべて国家管理で経済活動を行おうという考えが社会主義です。社会主義経済を採用したソ連は崩壊しました。世界の中で、純粋に社会主義経済を採用している国は、今や北朝鮮とキューバ位のものではないでしょうか。いずれにしても上手くいかないというか、上手くいくはずがありません。何故なら、人間の歴史とともに歩んできたものを否定するような経済体制が人間に受け入れられるはずがないからです今、政府は「新しい資本主義」と言っていますが、自由競争市場を無くすような発想の政策を連発し始めると、上手くいかなくなります。例えば、給付金バラマキは自由競争市場の原理から外れたものです。こういう考えは、危険だということです。

日本共産党の発行している「しんぶん」(機関紙)『赤旗』ですが、商業新聞と大きく違うのは株式欄がないことです。大企業敵視政策を取っているためだと思われますが、株式市場も自由競争市場です。そういうものを否定したところで、何も生まれません。

(「大川研究室Blog」)

 資本主義を悪の元凶のように考える歪んだ見方

『人新世の資本論』(2020年、集英社新書)という本が2021新書大賞を受賞したということで中を読んでみました。この本を書いたのは、大阪市立大学准教授の斎藤幸平氏ですが、「資本主義」だけを歴史の流れから無理矢理はぎ取って、環境問題や格差問題などすべての悪の元凶は「資本主義」にありという書き方をしています。こういう捉え方をするのは、マルクス主義者と言われる人たちの特徴でもあります。彼がそういう思想の持主かどうか分かりませんが、考え方は近いものがあります。以下、紹介します。

・「資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が充分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い」(42ページ)

・「資本主義が発展して、都市と農村のあいだで分業が進むと、農村で収穫された穀物は、都市の労働者向けに販売されるようになっていく。そうすると、都市で消費される穀物に吸収された土壌養分は、もはや元の土壌に戻ってくることがない」(43ページ)

・「資本主義が人間だけでなく、自然環境からも掠奪するシステム」(58ページ)

何かすべて悪いことがあれば、「資本主義」の責任にしてしまえというところがあります。問題ありの箇所は下線を付けましたが、エビデンスなしの決めつけが多いという印象です。人間のつくるシステムなので、完璧ということはありません。その都度時代に合わせて変えていくということだと思いますが、このような全面否定からは何も生まれません。

環境問題の重要性に人類が気付いたのは、20世紀の後半です。日本で言えば、四大公害訴訟があって世論が一挙に変わりますが、年代で言えば1970年代以降です今は、CO2の削減を目指して、国も企業も前向きに取り組もうとしているところだと思います。何故、「見込みは薄い」のか、その論拠が示されていません。2つ目も何故、「土壌養分は、もはや元の土壌に戻ってくることがない」のか、3つ目も資本主義のどのような面を捉えて自然環境から掠奪するシステムと言っているのかがよく分かりません。

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 環境問題は経済問題ではなく政治の問題

自然という言葉と対比して使われる言葉が人為とか作為です。つまり、人間が普通に何か行動すれば何らかの環境破壊をしているということです。人は、他の動植物の命を奪って食べることによってしか生きていくことはできないからです。空気と水だけでは死んでしまいます。そして、文明が高度化すればするほど環境への負荷は高まります。資本主義とか社会主義という経済体制とは関係がありません。環境問題をどう解決していくのかというのは、経済ではなく、政治の問題です。例えば、CO2をどの程度削減するかとか、まぐろの漁獲割り当てをどうするかということを世界会議で決めています。そういった取り決めに従って、各国で経済活動をするということだと思います。

次回は、剰余価値と搾取について話題にしたいと思います。

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