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現代版「エリート教育」のすすめ / 大学の大衆化に合わせて、エリートの養成を考える必要あり

男「組織図というのを見たことがありますか?」

女性

「△の形をした図ですよね。それが何か?」

「どうして、先が細くなっていると思いますか?」

女性

女「余り考えたことはなかったのですが、トップは司令塔なので、指令がいろんなところから来ないように、ということではないかなと思います」

「三角形の組織図はいろいろなものを示唆していると思うのですが、1つは、トップが限りなく高くなれば成る程、組織も高いレベルに到達できるということです」

女性

「組織はトップ次第ということですね」

「2つ目は、上から来る指令はシンプルなものであるべきだということです」

女性

「そういう意味で、先端が尖っているということですね」

「それから3つ目は、先端をいかに重層化するかということが大事だと思います」

女性

「先端部分を重くすると、アンバランスになって倒れてしまいませんか?」

「その位の心配をしたいものですね。最先端に辿り着ける人材は、意識して養成したとしてもほんの一握りです」

女性

「逆に、意識して育てなければいけないということですね」

「そうですね、その理屈は企業も国も同じではないかと思います」

女性

「ここからが本論です  ↓」

 

 組織を引っ張っていくのは、エリートの力

人間社会には多くの組織がありますが、必ず組織には、リーダーがいて、そのリーダーのもと組織が動いています。そのリーダーの力量が高ければ組織として飛躍できますし、リーダーの問題意識が深ければ、あらゆる場面に対応できるような組織を構築することができるでしょう。つまり、リーダーとして様々なことを知り、様々なことに考えを巡らせることが出来る人間でなくてはなりません。

実は、そういう人材を育てるために大学を設けたのです。現在では、大学は就職までのワンステップみたいな捉え方になっていますが、もともと大学というのは、国にとって有為な人材を養成するための組織として考えられたものです。

従って大学そのものの歴史は古く、奈良時代に遡ることができます。山川出版の「日本史教科書」には次の様に書かれています――「教育機関としては、官吏養成のために中央に大学、地方に国学がおかれた。入学者は、大学の場合は貴族の子弟や朝廷に文筆で仕えてきた人々の子弟、国学の場合は郡司の子弟を優先した」。

官吏というのは、今でいうところの国家公務員です。大学を卒業してさらに試験を課して合格した者だけを官吏として登用していたのです国家の運営にエリートが携われるようにしたのです

    (「try IT」)

  戦前の「飛び級」、「落第」ありのエリート教育

 国家という組織を維持するためにはエリートをどのように養成するのかということを、戦略的に考える必要があるのですが、今の日本にはそういった考えが余りありません。このように言うと、近代以降はそんなことをしてこなかったと言う声が聞こえそうですが、今までは意識されることなく、自然にエリート教育が行われてきただけなのです。

どういうことか。例えば、明治時代に公教育制度がスタートしていますが、当時は有償教育です。授業料を払えない家庭の子供は小学校に通えなかったのです。明治27年の就学率は約60%です。その後急速に就学率が高くなり、大正時代の頃にはほぼ100%となります。ただ、それはあくまでも尋常小学校の話です。中学校(現在の高校)進学者は男子の場合、約7%でした。大学の進学者は推して知るべしでしょう。とにかく、戦前は大学を卒業すれば「末は博士か大臣か」と言われた時代だったのです。自然にエリート教育が行われていたというのは、そういうことです。

ここで余談を。ノーベル賞作家の川端康成が書いた『伊豆の踊子』という小説があります。時代背景は大正から昭和にかけての時代です。何回か映画作品にもなっていて、多くの俳優が演じたことでも有名ですが、主人公の学生と踊り子が出会う場面で、踊り子が学生ということを聞いて「学生さんかね」と大変驚く場面があります。あのリアクションは、多分現代の人たちには理解できないのではないかと思います。今では、石を投げれば大学生に当たるような状況だからです。

(1963年日活作品/主演 吉永小百合、高橋英樹 「hulu.jp」)

 戦後になって、しばらくは大学の入学、卒業は一つのブランドだったことは確かです

ところが、昭和30年頃から高学歴化、言葉を換えると大学の大衆化が進行します昭和20年代生まれのいわゆる「団塊の世代」がを押し進めたと思っています。昭和30年代に高校の進学率が50%を超えます。ちょうどその頃に、「高校3年生」とか「学生時代」といった歌謡曲、高校を舞台にした学園ドラマの放映が高校生活に夢と希望と憧れを与えたのではないかと思っています。その後は、年々上昇して、今や準義務教育というような状況です。大学進学率もそれに比例して高くなります。現在の大学進学率は50%位です。大学が大衆化した場合は、さらに上の組織を作る必要が出てきます。そのために大学院の制度をつくったのでしょうが、位置づけが曖昧です。特に修士課程が曖昧です。公務員試験や司法試験などいろいろな試験があるのですが、殆どが大学卒で対応できてしまいます。せめてもの償いとして大学院の博士課程については、授業料免除の措置をとるべきだと思っています。その上で、大学の教員については必ず修士か博士課程を修了した者とするのです。今は、授業料をしっかりとっていますし、大学卒でも大学の教員になることができます。

 「エリート」が多いと、頭が重くなって組織は沈滞化する

 三角形も逆三角形になれば不安定となり、倒れやすくなります。「船頭多くして……」という諺もあるように、「頭」を重くすると組織は混乱し、国家も混乱、衰退をし始めます。これが現在の日本の状況です。大学設立の許認可事務を担当している文科省に一番の責任があると思います。さらに、それをコントロールすべきなのが内閣ですが、歴代の内閣はそういったことに余り問題意識を持っていなかったように見受けられます。とにかく大学を作り過ぎです。しかも、少子化が進行して大学の7割位が定員割れをしていると言います。何をやっているのかと思います。

例えば、戦前であれば、帝国大学をつくって官吏を養成し、師範大学をつくって教員を養成するという明確な方針があったのです。そして、政治家は官吏経験者から人材を出すようすれば、国の重要な部署の人材は国立大学の卒業生によってまかなうことができたのです。学生も国立大学の出身ということでプライドをもち、国のため、地域のため、子供のためということで仕事ができたのです。あとは私立大学もいくつかありましたが、基本的には民間の会社でリーダーとして活躍するという志をもった者たちが入学をしたのです。

このように、ある程度の棲み分けが自然に行われ、エリート教育が自然に行われ、能力がある者は学歴を与えられて社会の中で活躍できたのです。

ところが、1970年代以降、国としての人材育成の青写真を描くことなく過ごしてきたツケがここに来て露呈するようになってきました国家公務員の上級職を目指す人や教員志望者が減っているというのは、単に仕事が大変だという単純な理由だけではなく、国家戦略のプランの立て方の問題から来ていることなのです。

(「Var Uta」)

それでは、どうすればいいのか。原則に立ち返って、エリート教育を行うことです。多くの国は、何らかのエリート教育を行っています戦前は、飛び級制度も落第制度もあり、教育制度の中で人材選抜が行われていたのです北朝鮮ですらと言うと叱られるかもしれませんが、優秀な人間は選抜して最先端の教育を受けさせています。特に、これからは国家間の競争が激化してきます。悠長に「平等」という掛け声のもと、同じ教育を全国民に提供しようという発想では、隣国に呑み込まれてしまいます。この1年余のコロナ対応を見ただけでも、日本の政治力が落ちていることが分かります。ワクチン開発も自前ではできませんでした。憲法26条にも「能力に応じてひとしく教育を受ける権利」とあります。エリート教育憲法的にも許されます具体的な方策を考える時代です

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