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少子化・人口減という「重い病」(その3) ―― 少子化は内部崩壊の兆し / 自然村の統合――少子化の「種」が蒔かれた瞬間

  • 2026年1月10日
  • 歴史
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女性

「「五公五民」は理解しましたが、中央集権国家と「少子化」がどのように関連するのですか?」

「少子化を単なる一時的な現象として見るのではなく、内部崩壊の兆しと捉えるのが正着です。がけ崩れの前に、小石が落ちたり、水が吹き出たりします。そういったイメージです」

女性

「斜面の構造そのものが問題ありということですね」

「中央集権国家という、日本的ではない体制を西欧から移植します」

女性

「ただ、日本の古代の時代に、中央集権体制を採用したことがありましたよね」

「「大化の改新」(645年)の一時期ですね」

女性

「大化の改新を経て、律令制を導入して中央集権制の日本になったと習ったような気がします」

「そのように書いている教科書も実はあります。ただ、殆どの教科書が明確に書いていません。地方分権なのか、中央集権なのかは国にとって極めて重大な問題ですが、曖昧に書いてあるものが多いのです」

女性

「それは、どうしてですか?」

「文科省の本音は、中央集権国家・日本が正統な姿であることを教え込みたいのです。ただ、それを明確には書けません。ウソを書くことになるからです」

女性

「明治以降に中央集権国家・日本になりますが、それは古代において成立しており、それを引き継いだというイメージを植えつけたいのですね」

「大化の改新と明治維新が教科書で太字扱いになっています。連続して捉えて欲しい、そういう気持ちの表れです」

女性

「実際には、どうだったのですか?」

「大化の改新というのは、社会主義的な改革でした。「公地公民」というスローガンを掲げて、豪族たちの私有地を国家権力によってすべて没収し管理するというプランです。当然、多くの反発を招きます。中央の貴族たちの中には、反乱計画を立てるものが出てきました」

女性

「自分たちの領地を召し上げられる訳ですからね。反発は当然でしょうね」

「天智天皇の在位が10年足らずということもあり、結局、改革は途中で頓挫します。後を継いだ天武天皇は、そういった各地の反発を見て、地方分権国家をつくることを決めたのです」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙は「30代からでも大丈夫! 独学の英語勉強法」提供です」

 少子化は内部崩壊の兆し

「少子化・人口減」、特に少子化は単なる一時的な社会現象ではなく、内部崩壊の兆しと捉える必要があります。政府はそれなりに少子化対策と称して手当も増やしています。一時的なものであれば、回復しないまでも何か好転反応があるはずです。それすらもありません。2024年の出生数が約68.6万人、2025年が約66.5万人でした。10年連続で最少を更新したことになります。回復する兆しがありませんので、内部崩壊を始めたと見るのが正着だと思います。

何がいけなかったのでしょうか。最初が肝心と言います。明治の最初のスタートがいけなかったのです。中央集権制を導入して、富国強兵政策を実施します。江戸時代を振り返れば分かりますが、もともと地方分権国家として発展した文化国家です。“日本の国柄に合わない服”を着て、違った方向に歩み始めたのです。このことによって、社会に亀裂が入り始めます。ただ、その国にとって相応しくないことをしたからと言って、国はすぐには崩壊しません。人間の健康と同じです。少しずつ少しずつ「土台」が蝕まれていくことになります。

日本の地形から考えて、中央集権制も、富国強兵政策も、無理なのです。植民地の脅威を振りまきながら、植民地主義に走ります。最初に踏み出す方向を間違えます。それ以来、敗戦まで修正されることはありませんでした。そして、中央集権制の方は、どうなったのか。こちらについては、戦前の体制そのままです。立法、行政、司法の三権にプラスして外交、教育、財政すべて中央に権限が集まっています。今でも見事な中央集権国家です。

(「読売新聞オンライン」)

 自然村の統合――少子化の「種」が蒔かれた瞬間

中央集権国家にしたからと言って、少子化という現象が起きる訳ではありません。世界には多くの中央集権国家がありますが、少子化とは無縁のアフリカの国もあります。日本の場合は、明治政府が地方行政組織をつくる過程で、地域の共同体である自然村を統合して自分たちの都合で「人工村」をつくります。これは小学校を村人たちに作らせるためでした。政府は軍事費に多くの税金を使いたいので、教育関係は地元住民に負担させたいと思ったのです。

渡辺尚志氏の『百姓たちの幕末維新』によると、もともと日本の各地には自然村があり、数にして約6万3千あったそうです。平均的な自然村の規模――戸数60~70軒程度、耕地面積50町(東京ドームの10~11個分)、人口400~500人、石高400~500石(1石が150キロ、それに400~500を掛ける/だから60t~75tとなります)。約6万3千の自然村があったのですが、これを行政の都合で「人工村」にします。

実は自然村は文字通り自然に成立した村であり、それぞれ数百年の歴史を持っており、その間に作られた伝統行事や風習、ならわしがそれぞれにあったのです。それを行政の都合で強権的にまとめてしまったので、混乱が生じたところもあったのです。藩もそうです。幕末には約300の藩がありました。だから廃藩置県をした直後は全国に約300の県があったのです。こちらも行政の都合で統合されていきます。少子化の「種」は、ここで蒔かれたと見ています。

(「星野自然村」)

 「少子化」、無差別殺人は同じ土壌から

邦人という言い方があります。自分が生まれ育ったところを「軸足」にして人生を考えるのが、農耕民族のDNAを受け継いでいる日本人の特徴です。村人全員が知り合いで、大きな家族という意識を持っていたと思われます。年貢も村単位で課されていました。病気やケガで農作業が出来ない家もあったでしょう。そういったことも周りがカバーしていたと思われます。そのような共同体の中で生活をし、様々なことを学びながら人間として成長し、アイデンティティを確立していく。そんなライフスタイルが自然に確立していたと思われます。村という共同体を維持していくために、年頃の男女を結び付ける世話係のような人もいたでしょう。行政はそのような自然村をそのまま統治に利用すれば良いものを、この160年間破壊し続けます。近年は、市町村合併です。行政側には破壊という感覚はないのですが、客観的に破壊行為です。

自然村が人間で言えば一つの細胞にあたります。健全な細胞によって身体が覆われていれば、病気になることもなく、健康に過ごすことができます。しかし、変な食習慣を採り入れて、健康な細胞を破壊して、癌細胞にしてしまうことがあります。身体が弱くなれば、耐性が弱くなり、ウイルスが侵入しやすくなります。ウイルスの中には、増殖し始めるのもあります。悪しきことが次々と起こり始めます。

飛鳥の時代に地方分権制度を導入して以来、約千百年間、江戸時代は地方分権社会の究極のかたちだったと思います。日本中が自然村という健全な「細胞」によって覆われていた時代です。今のような変な犯罪は殆どなかったでしょう。「カギ」そのものがなかった時代です。江戸時代はお金を殆ど使わず全国一周できた時代です。「善人宿」と言って、見知らぬ旅人をもてなす習慣が全国各地の村にありました。

日本の治安の良さを褒める外国人がまだ多くいます。ただ、それは律令の千百年の間に健全な「細胞」である自然村が各地につくられた結果です現在は、それが崩壊している過程です。千年近くかかってつくられたものなので、そんなに簡単には崩壊しないのですが、そろそろ限界が近づいています。その兆しが実は「少子化」という現象として現れているのです。無差別殺人という凶悪犯罪がこの日本でも起きるようになりました。実は、これも「少子化」と同じ「土壌」から出ている現象です。

(「www2.city .ichinomiya.aichi.jp」)

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