「夫婦別姓制度についてのニユースが流れていましたが、数字が大きく変わってしまったという印象を持つのですが、何があったのですか?」
「2017年に内閣府が世論調査をしているのですが、その際の質問事項が問題だという指摘があり、今回それを修正して行ったからです」
「問題だと指摘をうけた質問とは、どういったものですか?」
「「夫婦は同じ姓を名乗るべきだが、婚姻前の氏を使うことが出来るように法律を改正しても構わない」という曖昧な質問事項があったのです。推進派は、これを賛成意見でカウントしてしまったのです」
「その結果、6割以上の人が夫婦別姓制度の導入に対して、賛成しているということになったのですね」
「そして、いくつかの地方議会に夫婦別姓制度の導入についての請願が出され、結構多くの自治体で賛成決議が挙がっています」
「よく分からないのですが、法改正なので国会しか権限がありませんよね。地方議会で決議をいくら挙げても意味がないような気がするのですが……」
「地方自治体は条例しか制定できませんので、おっしゃる通り法的な効果は全くありません。要するに、「本丸」を落とすために「出城」を攻撃したり「堀」を埋めたりしますね。そういったイメージです」
「成る程、簡単に言えば、世論づくりということですか?」
「この問題については、賛成派の動きはかなり組織的で、指令組織も作られていて、様々な政党の国会議員への陳情も精力的に行っていたことが分かっています」
「一番カギを握るのは、自民党議員ですよね」
「自民党議員が賛成しなければ法案は通りませんからね。だから、殆どの自民党議員にアプローチしていると思います」
「そういう中で理解を示した議員さんもいるということですね」
「ただ、今回の世論調査の結果(夫婦別姓制度導入をすべきは28.9%)が出て、動きが止まると思います」
「国防とか、経済や教育など重要課題は山積ですからね。別姓は各自の判断でどうぞで良いと思いますけど……」
「賛成派は単に制度導入だけではなく、その後のシナリオを考えての行動なのです。そこを見極める必要があります」
「そのことは本論でお願いします ↓」
旧姓を通称として使用する社会環境が広がった
今回の夫婦別姓制度のアンケート結果について報道したのは、読売、産経、日経です。朝日、毎日、東京は1行も報じていません。昨夜(3/25日)のNHKのニュースで報じたことを意図的に報じないというのは、責任ある公器としての新聞の姿勢とあり方が問われています。ただ、逆に報じたくないと思わせる程、ショックな数字だったのでしょう。
読売、産経、日経の中で、一番詳しく報じていたのが読売です。大きく数字が変動した原因について「今回は質問や選択肢の文言を変えており、その影響が出たと思われる」(「読売」3/16日付)とコメントしていますが、その是非については何も書いていません。その点においては産経も同じで、「前回平成29年から設問を大きく変えたため単純比較できない」としています。日経は扱いは小さく、数字だけを紹介していました。
選択肢の文言を変えたのは、2つ理由があるのではないかと思っています。1つは、前回の調査の文言が一部、夫婦別姓について賛成なのか反対なのかが分からないような設問になっていたということ。そして2つ目は、この5年間でそれまでと比べて、旧姓を通称として使用することが社会的に容認されるようになったからです。今では、身分証明書として使われる運転免許証やパスポートにも旧姓が認められるようになっています。そのため、敢えて法改正してまで夫婦別姓を導入する必要性を感じないという人が増えたということです。
(「西日本新聞」)
「夫婦別姓」を皮切りに日本社会の内部からの崩壊を狙う
今回の世論調査のデータを改めて紹介したいと思います。「現在の夫婦同姓制度を維持した方がよい」27%、「維持した上で、旧姓の通称使用の法制度を設けた方がよい」42.2%、「夫婦別姓制度を導入した方がよい」28.9%ということです。
今回の設問の方が前回より国民の意見が分かりやすいと思います。今回は3つの設問の語尾が合っていますが、前回の設問は、末尾の言葉が不統一でした。「するべき」と「した方がよい」の2つが使われていたのです。
朝日、毎日、東京が何も報じていないことを見ると、逆に彼らは「夫婦別姓」を皮切りに日本社会の内部からの崩壊を期待していたきらいがあります。これは言ってみれば、日本の家族制度に対する攻撃的な性格を有するからです。そして、ひいては日本社会の弱体化に繋げようという考えがあるのだと思います。どういうことか。日本は農耕民族の国として、家族主義的な国家観のもと有史以来国を維持してきました。農耕民族にとって大事なのは、先祖から受け継いだ土地や職業を後の世代に伝えていくことです。そうすれば、少なくとも家系は残るだろうと考えたのです。どうやって残せば良いのか。先祖の知恵は相続の仕方に表れていますが、姓とセットにして考えたのです。
いわゆる長子相続です。土地や商標といった財産は長男が受け継ぐ。そこに嫁いだ女性はその家系を盛り立てる義務があると考えられたので、当然姓は変わります。姓を変えるのは、自分の生き方の覚悟を決める、つまり個人として生きるのではなく、その家の存続のために結婚するという意味がそこにはあったのです。そして、女性はその家の発展の中に幸せを見出すことを求められたのです。「嫁」という字がそういった考えを表しています。純粋に個人的な結婚ではなく、公的な意味があったのです。結婚に対する日本のそういった伝統的な考え方が、今回は支持されたということだと思います。
(「相続弁護士相談Cafe」)
大陸と日本では名前や家族の考え方が根本的に違う
「選択的夫婦別姓」という欺瞞的な名称が使われていますが、本質は「夫婦子ども別姓制度」です。父親と母親の姓が変わるということは、子供はどちらかの姓となります。兄弟だけど別々の姓ということもあり得ます。そういったことをわざわざ法律で決めなければいけないのでしょうか、ということなのです。もし、法律が制定されれば、日本の国の根幹部分が揺らぎ始めると思います。
日本の国民が意識しているか、していないかは別にして、今の日本の国家は家族主義的な考え方の延長線上のもとに成り立っています。実際に例えば、トヨタやホンダのように姓を会社名にしている例も多いと思います。そして、その創業者の子孫が経営陣に入っている例はあまたもありますが、もとを辿れば日本の長子相続制からきているものです。
ちなみに大陸の遊牧民族は、そのようなことを考える必要がなかったのです。土地をもらってもそこから安定した獲物を得られる保障がなかったからです。保障がないものを相続しても仕方がありません。むしろ、家族が自由に大地を行動でき、獲物にありつけた家族のメンバーから分け前をもらえれば良いという発想になります。当然、家族の財産をどう受け継ぐのかということに殆ど関心を持ちません。当然、名前についてのこだわりは、自分のルーツくらいのものとなります。自分の親は祖父母は誰なのか、その繋がりさえ分かれば良いという発想になりますし、名前もそういったことが分かるように付けられたのです。
たかが姓、されど姓。その国に定着しているということは、そこに何らかの理由があるのです。姓の付け方も言ってみれば日本の文化です。外国の猿真似をするのではなく、大きな不都合がなければ、先祖が守り通したものを受け継ぐというのが基本的な在り方だと思います。
(「JBpress」)
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