「前(5/18日公開)にフィンランドのことをここで紹介したことがありますが、覚えていますか?」
「北欧の国ですよね。確か、ロシアの隣国にある国ですよね」
「かつてはソ連、今はロシアという少し「癖」がある国と国境を接している国です」
「まだ30代の若い女性が首相なんですよね」
「よく覚えていましたね、最近、コロナになってしまったようです」
「本当ですか? あら、可哀そう。ロシアからもらったのかしら?」
「ロシアに特別な感情をもっているのですか?」
「私はスポーツをやっていたじゃあないですか、ドーピングで引っかかるのは、大体ロシアの選手なのですよ」
「ずるいというイメージなのですね」
「つい最近も、ロシアの野党指導者が毒を盛られて、ドイツに救急搬送されましたよね」
「国内の病院ではなく、ドイツの病院というのが、凄いなと思いましたね」
「ロシア国内の病院に入院したものの、そこで毒入り点滴でトドメを刺されるかもしれないということでしょ」
「そういう可能性があるので、支援者がどこか外国の病院ということで、手を挙げてくれたドイツに搬送されたみたいですね」
「政敵を毒殺してしまえという、普通そういうこと考えますか?」
「私は、そこまでして自分の権力の座を保持したいのかと思いましたけどね」
「いずれにしても、日本人はそういう発想はしないと思います」
「すいません、話が横道にずれてしまいました。フィンランドの教育について、ここからが本論です ↓」
国を一つのチームに例えて、どうすれば強くなるかを考える
例え話から入りたいと思います。国を一つのチームとして考えてみたいと思います。そのチーム、例えば、あるサッカーチームを強くしようと思う。あなたがそのチームのオーナーなら、まず最初に何を考えるでしょうかということです。一応、グラウンドとかトレーニング・マシーンなど環境設備は整っているとします。別にサッカーチームにこだわっていませんので、野球チームでも良いです。理屈は同じですから。
もしかしたら、2つの意見に分かれるかもしれません。つまり、強い選手を獲るという意見と、優秀なコーチ、監督といったスタッフをまず揃えるという意見に分かれるかもしれないということです。「かもしれません」と言ったのは、選手を獲るという意見を言う人もいると思うからです。
プロの野球チーム、サッカーチームを見ていると、まずスタッフを固めています。そこを固めて、彼らの「目」でチームに貢献してくれそうな選手を探すという手順だと思います。このように、チームスタッフを揃えるというのは、これはある意味、常識的な話ですが、日本の教育の場合はそのような考えに至っていません。つまり、コーチ、スタッフを固めるという発想に至っていません。
フィンランド――国の未来を教育にかける
『平等社会 フィンランドが育む未来型学力』という本があります。ここには、フィンランドでの教育のことが書かれていますので、これを紹介したいと思います。
日本の起源を辿ると神話の世界に行ってしまうほど古い歴史を誇っています。一つの王朝としてみた場合は世界最古の国なのです。ただ、逆に国があって当たり前みたいな感覚が国全体を覆っています。
フィンランドの建国は1917年です。苦難の末の独立ということもあり、その国歌は国民の悲願が歌詞の中に歌い込まれています。祖国の発展の中に、自分の幸せや希望、喜びを重ね合わせようという気持ちが込められています。
そのようなフィンランドですが、国として一番に力を入れているのが教育なのです。フィンランド政府は「持続可能な開発のための教育の10年計画」という方針を立てています。個人のための教育、社会のための教育という位置付けなのです。つまり、様々な教育を受けることにより、受けた本人が成長し続けることができますし、国や社会も発展し続けることができるということです。日本には、このような捉え方はありません。
フィンランドの学校の考え方はユニークです。「居心地のよい学校」というのがコンセプトです。日本では、勉強の場であり生活を共にする場という捉え方でしょうか。どう違うのかということですが、フィンランドでは学校を子供たちの家庭の延長のような施設として考えています。だから、大きな規模の学校はつくりません。
日本では、勉強ができて当たり前、普通に生活できて当たり前を前提に学校づくりが行われています。だから、落ちこぼし(落ちこぼれ)、不登校という言葉が生まれます。フィンランドの場合は、そういったことは誰にも当然起こりうるという前提で学校づくりがなされています。学校内に集団生活になじめない子供たちのスペースや部屋、さらにはスタッフが用意されているのです。日本では、保健室くらいでしょうか。教員と事務員以外に余分なスタッフが配置されることはありません。
フィンランドはPISA(国際学習到達度調査)で常に上位に入っている国です。PISAというのは、数学的リテラシー、科学的リテラシー、読解力の3分野で行われる国際テストですが、フィンランドは2004年には総合ランキング1位となっています。
なお、2018年のPISA は、79カ国・地域の15歳計約60万人を対象に実施。フィンランドは3分野で上位にランクインし、総合順位でも7位(520点)でした。国際経済競争力に関しては、5年連続1位を獲得しています。ちなみに日本は、「読解力」で15位、「数学リテラシー」で6位、「科学リテラシー」で5位となり、いずれも前回の2015年調査よりも順位・スコアが後退しています。
教員養成が教育の鍵を握る
フィンランドの大学進学率は約30%です。フィンランドは基礎学校(小学校)から大学院まで学費が無償です。そして、私立大学はなく、すべて国立大学です。能力がある者は修士課程、さらには博士課程まで無償で受けることができます。そういうこともあり、国家予算の18%が教育予算とのことです。日本の教育に関する公的支出はOECD(34か国)の中で最下位でした(2018年統計)。日本の場合は、各家庭の教育費負担に頼っている国であることが分かります。
フィンランドの教育制度の歴史の中では、高度な教育を受け、一般教養を身に付けた人のみが教師になる資格があると考えられてきましたので、教師になるためには大学院の修士課程以上の学歴が必要です。そして、教員になるために必修の教育実習は6か月行うとのことです。ちなみに、日本は3週間です。
さらに教育実習を専門に指導する教官がいて、その人のもとに実習生が10~12人の1グループでついて実習をするということです。教員免許をとるのが大変ですが、フィンランドでは教師は人気の職業です。採用試験は約10倍とのことです。日本は、自治体ごとの採用になっていて一概には言えませんが、東京の小学校は昨年度あたりは実質1.2~1.5倍程度だと思います。
教科書についていえば、フィンランドでは1994年から教科書検定制度が完全に廃止されています。教科書として使えるものを各現場の教員が考えて使うということです。日本のように、現場を知らない教育委員会が決めている訳ではないのです。
さらに、教科書を使わない自由もあるとのことです。中には、モンテッソーリ教育を実践する教員もいるとのことです。とにかく多くの裁量権が現場に与えられているのです。
21世紀のAI時代を生き抜くためには、このような考え方に基づく教育システムの方が良いと思います。日本の教育は20世紀の工業社会には合っていますが、今の時代には合っていません。
ついでに言えば、検定教科書にするから、近隣諸国からその内容について干渉されるのです。干渉されたくなければ、社会科だけでも検定を外せばよいと思います。それは出来ないと言うならば、他国から何を言われても「内政干渉するな」と毅然と言って欲しいと思いますし、「近隣諸国条項」という不合理な条項を早く削除して欲しいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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