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ジェンダー平等を考える / 男女観はそれぞれの国の社会的、文化的、さらには伝統的状況によって違うもの

女性

「男女平等ではなく、最近はジェンダー平等というようになりましたが、同じ意味ですか」

「男女の違いは、社会的、文化的に作られたものに過ぎないと説くのがジェンダーです」

女性

「男女の違いは生物学的なものだと思うのですが、そうではないと否定するのですか?」

「生物学的な違いは認めるのですが、男女差や役割の差というのは、社会的、文化的、歴史的に作られたものなので、その差を無くしていこうという考え方です」

女性

「それで思い出しました。中学校の時に、1年の時は男女別名簿だったのですが、2年から混合名簿になりました」

「かつてジェンダー・フリー教育を熱心に推し進めていたのが日教組ですが、男女混合名簿はジェンダー・フリー教育の象徴だったのです。ところで、その変更にあたって何か説明された記憶はありますか」

女性

「私の記憶では特にありません。あっ、そうなるんだ、という受け止め方だったと思います。ただ、名簿が混合なので、ロッカーも男女別ではなくなり、朝礼の整列も男女混合になりました」

「ジェンダー・フリー教育のきっかけとなったのは、1999年の男女共同参画社会基本法の制定がきっかけです」

女性

「男女参画というのは、男女が協力してという意味だと思いましたけど……」

「そういう意味も含んでいますが、狙いは男女の性差、つまりジェンダーを乗り越えて共同して社会を作っていこうという考えです」

女性

「それって、日本のもともとの男女観とは違いますよね」

「そうですね。古き日本の価値観を抹消したいのだと思います」

女性

「消し去ってどうするのですか? 」

「簡単に言えば、社会を内部から突き崩したいという思想が見え隠れしています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 ジェンダーフリーの動きは、男女共同参画社会基本法の制定から

男女共同参画社会基本法が制定されて以降、各地の自治体で変な条例が連鎖反応的に制定されるようになりました。「男女共同参画推進条例」というものですが、「推進」するために「苦情処理委員会」を設けて、目に付いた「違反」を訴える機関を作り、そこが判定するようなシステムを作ったのです。中には、紅白歌合戦を違反として訴えるという事例もあったそうです。

条例の内容を説明するパンフレットには、男女共同参画社会を「性別又は性的指向にかかわらずすべての人が、社会の対等な構成員として……均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ……」(宮崎県都城市、2003年)としています。「性別又は性的指向にかかわらず」とあり、ジェンダー・フリーだけではなく、現在のLGBTに対する保護の動きがここでもう始まっているのです。

(「会津若松プラス」)

 男女観はそれぞれの国の社会的、文化的、さらには伝統的状況によって違うもの

男女の役割分担論を単純平等の考え方で機械的に決められる訳ではありません社会的、文化的、さらには伝統的に作られたものに従うことが、社会的な対応としては正着です

ジェンダー平等という考え方は、世界的に通用するものではありません。例えば、イスラム社会でこのような考え方を言ったものならば、撃ち殺されるかもしれません。自分たちの伝統を守るのが、我々の使命だと言うでしょう。

日本でも、同じ理屈だと思います。ましてや、日本は世界で一番歴史が古い国です。歴史の重みの中で、男女のあり方が確定したのです。それを崩す理由は全くありませんし、変に崩せば、社会全体が乱れます。そして多分、日本社会内部から崩壊させようとする勢力が裏で動いているのです。

                    (「AFPBB News」)

 男らしく、女らしくが日本の伝統的なあり方

日本ははるか昔の古代に、定住生活をした時点から、男女役割分担的な考え方で家族生活を営んできたと考えられています。縄文時代の住居の発掘などから、定住生活は地域によって縄文時代から始まっていたと言われています。それはさておいて、移動せずにその場所にいて食料が確保でき、生活できるならば人は定住を選択します。

大陸の遊牧民が移動生活をベースとしたのは、定住では安定した生活が見込めなかったからです。家族単位で移動し、何かを行う場合は、家族で同じことをした方が能率的です。

定住生活の場合は、違う仕事をお互いにした方が能率的です。後は、家の外と内をそれぞれどちらが分担するのかという問題ですが、力が比較的強い男が外、子育てや料理を女という役割分担がごく自然に形成されていったと思われます。

同じことを同じように行うのも平等ですが、その能力や適性に合わせて仕事を分担するという考え方も平等です。前者を形式的平等と言い(下図左)、後者を実質的平等(下図右)と言います。下の場面では、実質的平等の考えで処理するのが合理的です。逆の、場合も当然あります。場面によって適用する「平等」を変えるということです。日本の伝統的な男女分担論も、男女平等に則っています。敢えて、ジェンダー平等という言葉を使って、形式的平等の考え方だけを採り入れる必要は全くありません。

(「Twitter」)

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