「昨日のブログで、反日がなぜ21世紀になってから激しくなったのか、その事情を経済面、国力面から捉えた話だったと思います」
「もちろん、それだけでは捉えきれない側面があります。この社会は因果関係で成り立っていますが、ありとあらゆる繋がりがありますからね」
「一筋縄ではいかないということですね」
「数学の公式の様にはいかないということです。こう言うと、何を当たり前のことをと思うかもしれませんが、人間は思い込みがありますので、結構単純に考えがちなんです。前置きはその位にして、今日は歴史的な面から、反日のルーツを探っていきたいと思います」
「節目になるような出来事やキーマンについて、考えを言っていただいて、それについて論じていくという順番でいきたいと思います」
「朝鮮通信使、福沢諭吉、朝鮮併合、河野談話でしょうか。その前に、彼らは歴史を変えようとしますので、その辺りのエピソードを紹介します。前方後円墳が朝鮮半島で発見されたことは知っていますか?」
「日本独自のものと教えられたのですが、朝鮮半島にもあったのですね」
「戦前に存在が確認され、1983年には前方後円墳だとする韓国の大学教授の論文まで発表されたのですが、それがいつの間にか3つの円墳になってしまったという件です」
「何があったのですか?」
「前方後円墳など、あってはならないので手を加えたということでしょう。古墳の前方と後方が2分され、その間に小山が造られていたそうです」
「前方後円墳、日本の影響、それはまずいということですか? だけど、発想が凄いですね」
「発想というか執念ですね。感覚が我々と違うと思います。そういうふうに自分たちの都合で歴史を解釈するので、かつて「日韓歴史共同研究」というのが行われていた時期があるのですが、自分たちの歴史解釈を押し付けてくるということで、結局2010年で終わりになりました」
「共同研究にならなかったということですね。ただ、日本の教科書はその影響を受けているのではないでしょうか? ここからが本論です ↓」
福沢諭吉の脱亜論は今でも読む価値あり
日本には、大局観をもって物事を判断できる方が過去に何人かいますが、福沢諭吉もその一人です。中津藩の下級武士の出身ですが、幕末期にアメリカ、ヨーロッパを見て見分を広め「脱亜論」を『時事新報』の「社説」(1885.3.16日付)に掲載しています。「社説」ですので、そんなに長い文章ではありません。今は、インターネットで「脱亜論」で検索すれば全文も読めますし、YouTubeでも配信しています。
「脱亜論」が書かれて135年が経とうとしていますが、今でもというか、今だからこそと言った方が良いかもしれません。彼の言葉は説得性を持ちます。是非、ご一読下さい。
その骨子は以下の通りです。
・日本の不幸は、近隣諸国に中国、朝鮮があること。
・過去にこだわり続ける中国、朝鮮の精神は1000年前と変わらない。この2国が国際的な常識を身に付けることを期待するな。
・中国、朝鮮に対しては、国際的な常識に従い、国際法に則って接すれば良い。
(文章は、すべて現代語訳で要約しています)
そして、最後に「悪友を親しむ者は、共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」(悪友の悪事を見逃す者は共に悪名を免れ得ない。私は東アジアの悪友と絶交するものである)と言っています。
中国のウイグル人に対するジェノサイド、香港や南シナ海での行状、韓国の反日いやがらせ外交など、まるで予見していたかのような書き方です。日本の国内に「悪友の悪事を見逃す」どころか、祝電を打つ人たちも出る始末です。
(「Twitter」)
朝鮮併合を歴史的教訓とせよ
朝鮮併合は、国際法的に何の問題もなかったのですが、政策的には間違っていたと思います。日露戦争の後、朝鮮半島に次第に関わっていくことになります。これが後々まで疫災を呼び込むことになるのです。
朝鮮併合によって日本がどのような統治政策をしたのか、朝鮮半島をわが国の如くその発展を願って資金と人材をつぎ込んだことは様々なデータが示すところです。だから、実際にインフラが整備され、識字率が高くなり、人口も増えたのです。
当時の日本に落ち度があるとすれば、国を見る目がなかったことです。人間と同じです。いくら相手のためと思って様々なことを行っても、おせっかいそのものを嫌う人、それだけでプライドが傷ついたと騒ぐ人もいるのです。その見極めがヘタクソだったということです。
人間の付き合いと国の付き合いとは基本的に同じだと思います。積極的に関わるべき人、関わっても関わらなくても良い人、できれば関わることを止めた方がいい人、絶対に関わってはいけない人がいます。人はある程度人生経験を積むと、自分の中にそういったモノサシが出来、それで判断するようになります。人生経験、つまり自分の生きてきた歴史の中から自分なりに学ぼうとします。当時の日本人は歴史を紐解かなかったのかなと思うことがあります。
(「Twitter」)
朝鮮併合が1910年ですが、約1900年の日本と半島の交流史を見ると、国同士のまともな交流がなされたことがありません。戦争、あるいは朝貢という形での関わりはありましたが、対等交流、親善交流はありません。わずかに、百済との間にあった位です。白村江の戦い(663年)、秀吉の文禄、慶長の役(16世紀)がありますが、日本は半島に一切関わろうとしなくなります。中国とは遣隋使、遣唐使で交流があるのですが、その際もすべて海路を使っています。安全な陸路を使わなかった理由が何かあったのでしょう。
そこには、何か深い理由があるはずと考えれば良かったのです。
何故、絶対に関わってはいけない人がいるのか。人生が悪しき方向に暗転するからです。国も同じです。朝鮮併合以降、人もお金もつぎ込んで、逆恨みをされて殆ど馬鹿みたいです。高い授業料と思い、これからは断交するために努力をすることです。それが、自己を守る、つまり国を守るために必要なことです。
「河野談話」の撤回を求める
近年において、韓国との問題でこじれ始めたのは、「河野談話」(1993年)からです。慰安所の開設や慰安婦の募集に軍が関与していたことを何の裏付けもないまま発表してしまったのです。「河野談話」の河野というのは、かつての衆議院議長の河野洋平氏です。現在の河野太郎行政改革担当大臣の父親にあたる人です。自分の息子が大臣にまでなったならば、自身は一線から身を引いて見守るというのが日本の伝統的な隠居の考え方です。
最近では、中国共産党100周年にあたって祝電を打ったり、自民党本部で講演会をしたりしています。呼ぶ方も呼ぶ方ですが、行く方も行く方です。本来は本人が「河野談話」を撤回するのが日本の国益に適っているのです。
自民党のこの間の行状を見ていて、あきれている方も多いのではないかと思います。原点に戻ることです。
(「長州より発信」)
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