「「連合赤軍」事件って、知っていますか?」
「聞いたことがあるという程度です。時代的には、かなり前の話でしょ。いつ頃ですか?」
「1970年代ですね」
「60年安保、70年安保の頃ですね。私が生まれる以前のことですが、言葉だけは知っています」
「私も直接関わった訳ではありません。私が大学に入学した頃は、70年安保が終わって、少し虚脱感が流れていたような時代です」
「今の香港のような感じですか?」
「単純に比較は出来ませんが、巨大な権力に立ち向かったけど、全く太刀打ち出来なかったという無力感ですね。それがそれぞれの大学キャンパスに漂っていた時代です」
「ただ、「残り火」があったのでしょ」
「70年安保を経験した人が大学に残っていたので、話として聞くことは出来ましたし、全学連という組織もありました。その残り火が場所を変えて発火したというのが、連合赤軍事件ではないかと思います」
「その事件を描いた漫画を知っていますか?」
「えっ、そうなんですか!」
「『レッド』です。2006年から2018年まで、12年間にわたって漫画として連載されています」
「それは知りませんでした。普段、漫画を読まないものですから……」
「「日経」は「かつて日本中に衝撃を与えた連合赤軍事件を克明に追い、ディテールまで入念に再現した作品だ」と評価しています」
「その作品についての評価はさておいて、ノスタルジアに流されることなく、戦後の左翼運動をきちんと評価する時代ではないかと思っています」
「70年安保の後、急速に下火となります。一体何があったのかということを教えて欲しいと思います。ここからが本論です ↓」
戦後の左翼史へのノスタルジア
池上彰氏と佐藤優氏の共著による『激動 日本左翼史』(講談社現代新書)という書が昨年出版されました。2人の対話形式によって話が進行していきますが、予定によると全部で3冊を出すようです。1冊目が「戦後左派の源流 1945-60」、2冊目が「学生運動と過激派 1960-72」です。近く3冊目を出版するとのことです。ただ、新書3冊を出して語る程の理念が戦後左翼運動にあるとは到底思えません。せいぜい、新書1冊程度で止めるべきでしょう。
せいぜい1冊程度のものを3冊にして出版する。それは何故か。簡単に言えば、池上彰氏と佐藤優氏の両氏が戦後の左翼史にノスタルジアを感じているからだと思っています。かく言う私もその一人です。受験勉強から一気に解き放たれたところに、全く考えてもみなかった考えが一気に頭の中に流れ込んできたのです。その当時の学生運動の論理は殆ど覚えておらず、一つの良き思い出として全てが捨象されてしまっています。多分、両氏もそうなのだろうと勝手に思っていますが、だからと言って総括すべきことは端的に総括する必要があると思います。
連合赤軍事件から50年
1972年に当時の日本社会を震撼させた連合赤軍事件が起きます。事件の舞台となったのは、群馬県のあさま山荘ですが、事件後に改修され現在も残っているそうです。そのあさま山荘に連合赤軍のメンバーが10日間立て籠り、機動隊との銃撃事件を繰り広げ、警官3人が死亡しています。この騒動の結果逮捕されたのが17人。その後に、このあさま山荘を舞台に総括と言う名のリンチ殺人事件があったということを世間は知ります。
それから50年目の今年の5月に元日本赤軍の重信房子氏が満期出所する予定です。SNSに配信された記事によれば、『オリーブの樹』という支援通信に毎回、近況を日記形式で書いているとのこと。それらを読むと、政治的なことは何も書かれていません。だから、出所後にどのような活動を考えているかは全く分かりません。
昨年の11月30日に書かれたと思われるものが配信されていました。少し長いのですが、紹介します――「ちょうど50年前、連合赤軍による雪山での共同訓練がこの頃から始まりました。……略……そして新年には一つの新党を結成しました。この新党の処罰による「共産主義化」は、繰り返し死をもたらし、破産していきました。この過ちに満ちた中であったとはいえ、純粋・純情な革命精神は強いられた対権力への挑戦として、死力を尽くしてあさま山荘での闘いに至りました。真心を尽くして革命家であろうとした思い。何が何だかわからない「総括」の混迷の中で必死に革命を求め、権力と闘おうと対峙し続けた同時代の仲間たちを思うと、悼みと哀しみが湧きます。連合赤軍事件の犠牲が革命の財産になりきれていないことが、この哀しみの極みです」
最後の「革命の財産になりきれていない」ことを由とするのか、その上に立って新たな活動を考えているのか、それは本人しか分かりません。
(「ABEMA TIMES」)
「8月革命説」を紹介する
憲法学者の宮沢俊儀氏が唱えた「8月革命説」というのがあります。これは明治憲法と日本国憲法の基本原理の違いを理論的に説明するために、便宜的に8月の終戦と同時に革命が起きたと考えようというものです。実際に起きてもいないのに、起きたものとして考えるのは許されないのではないかという最もな批判も含めて、その他有力な批判もあるのですが、芦部信喜氏は「国民主権を基本原理とする日本国憲法が明治憲法73条の改正手続きで成立したという理論上の矛盾を説明する最も適切な学説」(『憲法』岩波書店、30ページ)と評価をしています。
宮沢氏、芦部氏は東大憲法学の流れを汲む方たちということもあり、この「8月革命説」が憲法学会の中でも一定の影響力を持ちますし、実際に高校の政経教科書の中にはこの「8月革命説」を紹介している書もあるのです。
少し話が横道に逸れてしまいましたが、憲法学会で「8月革命説」が根強く残っているのは、戦後の民主的な改革を革命が起きたかのような変化として捉えても構わないという評価が根底にあると思われます。
現在の歴史教科書でも紹介されていますが、戦後日本の「三大改革」と位置付けられているのが、「財閥解体」「農地改革」「労働改革」ですが、それ以外に自由権、平等権、社会権を規定した憲法の制定、寄生地主制の解体などが行われました。この結果、無権利状態であった女性、小作農、賃金労働者に市民権が与えられ、まさに封建的遺物がなくなってしまったのです。そして、これは同時に社会主義革命の存在理由がなくなったことを意味しています。
それが証拠に、今から99年前に設立された日本共産党は1922(大正11)年に「22年テーゼ」を発表していますが、戦後の民主的改革で天皇制の廃止以外はすべて目標を達してしまったのです。ということは、日本国憲法が制定されたその瞬間が、共産党の存在理由がなくなった日であり、それは同時に「革命」が無用な社会になった瞬間だったのです。
(「スズトリ/スッと図解でわかる『法律』トリビア」)
「左翼の掲げた理想はなぜ『過激化』するのか」
戦後の左翼運動史は、つまり革命の基盤も具体的な目標もないところで、それぞれのセクトが相争うことになります。革命の前提としては、階級社会でなければいけません。階級というのは、固定的な身分制度のことで生まれ落ちた身分が生涯ついて回ることになります。武士階級として生まれれば、死ぬまで武士というように身分が固定されます。戦後の社会でそのような階級は存在しません。労働者階級という言い方は、産業革命期なら成り立ちますが今の時代では無理です。実際に高校生でも起業できるような時代だからです。
「左翼の掲げた理想はなぜ『過激化』するのか」(『激動日本左翼史』)と問いかけていますが、答えは簡単です。革命そのものが成立しない社会での運動なので、その戦略、戦術が各自が頭の中で観念的に描いたものになります。空理空論の言い合いなので、どれが正しいかを決着する術がありません。勢い、力任せということでリンチ殺人といった暴力に走らざるを得なかったのでしょう。
それは、糸の切れた凧に例えることができます。糸が切れたので、コントロールできませんし、凧同士が絡み合うこともあるでしょう。殆どが地上に真っ逆さまに落ちます。左翼の過激派がその後急速に力を無くしたのは、そういうことです。日本共産党はかろうじて糸が繋がっていますが、彼らの糸は日本国憲法に繋がっています。彼らにとって、現行憲法は綱領のようなものです。だから、必死で守ろうとしているのです。
(糸の切れた凧/「北海道photo―撮り旅」)
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